第2話 キラキラ
「川井先輩っていつもお姉さんと一緒にいますよね。だから、話しかけるタイミングがないというか」
汗と制汗剤の匂いが入り混じる合宿所のロッカールーム。私は、日本代表の練習着に身を包んだ他の先輩たちに尋ねる。みんなWリーグのトップ選手たちで、新人女王を獲ったとはいえ、まだ下っ端の私は少し緊張してしまう。
「ああ、あのふたりはね……」
私の問いかけに対して先輩たちは顔を見合わせて、みな一様に言葉を濁す。
私は先輩たちの神妙な空気に首を傾げながらどうしたものかと策を練る。
何を隠そう、私は川井れん選手のファンだ。オタクだ。
いや、きちんと隠してはいるんだけど。流石に部屋一面に川井選手のグッズがあるなんて本人に知られたら、まずい気がして。
そもそもバスケを始めたのだって、川井選手がまだ高校一年生の時、ブザービートを決める姿をたまたま近所の市民体育館で見たからで。だから、私は川井選手の最古参オタクを自認していた。
けれど、やっと、同じチームに、日本代表の一員になれたのに、話しかけるタイミングが見つからず先輩たちに相談しているというわけだった
「あと川井先輩、お話ししてみたいんですけど、クールで一匹狼な感じでちょっと話づらくて……」
私はなおも先輩たちに話題を投げる。すると先輩たちはまた顔を見合わせて、柔らかに笑った。そして、その中の一人、リーダー格の選手がにこやかに告げる。
「夢を壊すようで悪いけど、れんはあんな見た目してかなりポンコツだよ」
「え、冗談ですよね……?」
「ああ、その反応も懐かしいなぁ。うちらってさ、みんな多かれ少なかれ、れんに対しての憧れとかあったわけよ。高校生の途中から急に頭角を表した超新星でさ。それであれだけ綺麗で美人で、そりゃもうファンが多かった」
「わかります!」
私は思わず大きな声を出してしまう。しまったと思ったが、特に珍しい反応でもないのか、先輩たちが気にするそぶりはなかった。
「それが同じチームになってみるとビックリ。まさか、あんなお姉ちゃんバカだとは……」
先輩の言葉にみな一応にうんうんと頷く。
「お姉ちゃんバカ……?」
私は言葉の意味がわからず聞き返す。
「まあ、実際に話してみたらわかると思うよ。れんって本当に良い子ではあるから、話しかけて嫌な顔することはないと思うし。ただ、一時間コースは覚悟した方がいいと思うけど」
「一時間コース……?」
さっきから先輩の言ってることが一つもわからず、首を傾げることしかできない。
そして、最後のダメ押しのように先輩は告げた。
「あと、真に怖いのはれんじゃなくてお姉さんだよ」
◇◇◇
練習後、補食を取ろうと合宿所の食堂に向かうと。隅っこの席に川井先輩が座っていた。そして、いつもはピッタリと寄り添うように座っているお姉さんの姿は見当たらない……そういえばなんでいつも、わざわざ向かい合わせじゃなくて隣同士で食べているんだろう?
そんな疑問を抱きながらも、今がチャンスとばかりに、私はそろりそろりと川井先輩の元へと向かった。
「あのー、先輩。今いいですか?」
私はできるだけかわいく聞こえるように、いつもよりワントーンかツートーンくらい高い声で尋ねる。
「いいけど……どうしたの?」
川井先輩はクールな声色と仕草で、ゆっくりと首を傾げる。その私を見つめる瞳があまりにも綺麗で、直視できなくて、思わず視線を逸らしてしまう。逸らしたまま、若干早口で再び尋ねる。
「いや、川井先輩と一回お話ししたいなぁと思いまして。ところで、お姉さんは?」
「お姉ちゃんは今スタッフの人たちと会議してる」
川井先輩は少しだけ不満そうな声色で呟く。その口元が拗ねたように尖ってるように見えたのは、きっと……気のせいだろう。
「じゃあ一緒にお昼食べましょー。私何か取ってきますね!」
私は強引にそう告げて、ビュッフェ方式の食堂で、大皿に、おにぎりやサラダや豚肉のトマト煮など消化に良くて栄養価の高いものを盛り付けていく。
そういえば、このメニューも過半数はお姉さんが考えているらしい。代表チームにも栄養士さんはいるけれど、男子チームのお仕事も兼ねているから、そこまで手が回らなくて、その分をお姉さんが担当している。ふわふわした雰囲気に見合わず、かなりのハイスペさんだ。
川井先輩の専属マネージャーとして普段の食事から、メディア対応やスケジュール管理、クラブチームでの外国籍選手との通訳までこなしてるという噂で。そんなお姉さんのマネジメントの成果か、川井先輩はいつだって調子が良さそうで。お肌もいつもツヤツヤしていて。常に美しさを保っている。
先輩たちが口を揃えて言う「お姉さんの方が怖い」はそういう人間離れした仕事ぶりのことを指しているのだろうか?
私は首を傾げながら、2人分の食事を持って、席に戻る。
戻ると、川井先輩はスマホの画面を見つめて、しきりに何かを打ち込んでいた。誰かと連絡でも取っているのだろうか?
もし仮にトークルームを開いているのなら、これってチャンスなのでは?
私は川井先輩に尋ねる。
「ご飯とってきましたよー。ところで先輩、ラインってやってますか?」
憧れの先輩の前で緊張して、キモいナンパみたいになってしまった。
しかし川井先輩は特に気にするそぶりもなく頷く。
「やってるけど」
「連絡先、交換しませんか?」
私は勇気が臆病でかき消される前に、手短に伝える。
しかし、川井先輩は首を横に振った。
「ごめん。交換できない」
目の前が真っ暗になるようだった。私はせめて気まずくならないように、少しおどけながら、尋ねる。
「ちょっと急に距離詰めすぎでしたかー? 川井先輩にずっと憧れてたのでつい……」
「ううん。話しかけてくれるのは、嬉しいよ」
「じゃあどうして……?」
思わず未練がましさを漏らしてしまった、私に、川井先輩はボソッと告げる。
「お姉ちゃんが、連絡先交換したらダメだって」
「……ん?」
「必要な連絡は全部お姉ちゃんが管理してくれてて、『れんはバスケに集中して』って」
「……ちょっとだけ、ラインの画面見せてもらって良いですか?」
「良いけど」
そういって、川井先輩が見せてくれた画面には、確かに、友だちが4人しかいないことが示されていて。それもお姉さんと、川井糸さん(恐らくお母様だろう)と島本さんという人だけで。現代に生きる人とは思えない光景に、恐れ慄く。確かに、ここまで徹底的に選手を管理するお姉さんは、マネージャーとして、相当怖い。妹にも容赦なくストイックさを求めるあたり、ふわふわとした雰囲気とは裏腹にかなり厳格な人なのだろう。
「お姉さん、厳しい人なんですね」
私がスマホをかえしながらそう呟くと。
「ううん。お姉ちゃんは、とってもやさしいよ」
ん?
私は思わず、川井先輩の顔を見つめる。うん、確かにいつものクールで大人びた、氷のように美しい先輩だ。そんな先輩の美しさとは不釣り合いなくらい、今聞こえた声は甘くデロデロに溶けてるように感じたけど、きっと気のせいだ。
しかし、そんな心象を否定するかのように、川井先輩は言葉を続ける。
「けどね、お姉ちゃんひどいんだよ。さっきからね、何回ラインしても返信してくれないの」
え、子供?
そう勘違いしてしまうくらい、川井先輩の口調は舌ったらずで。けれど、目の前の顔はやっぱり恐ろしいくらいに綺麗で、整然としていて。そのギャップに腹話術を見た時みたいに、脳がバグりそうになる。
バグった脳で、必死に答える。
「それはミーティング中だからでは……?」
「……やだ」
「え?」
「お姉ちゃんに構ってもらえないの、やだ」
「わ、私に言われても……」
「けどね。こうやって、待ってたらね。絶対、『良い子で待ててえらいね』って褒めてもらえて。頭を撫でてもらえて。それが嬉しいから、我慢しなきゃなんだ」
あ、ダメだこの人。私の言葉、全然聞こえてない。
そして、その裏付けのように、川井先輩は急に顔を顰めて、私に尋ねる。
「ていうか、もしかして。お姉ちゃんのこと狙ってるとかじゃないよね? 私づてにお姉ちゃんと繋がろうって考えてたりとか」
川井先輩の瞳からハイライトが消えて、目を見開いて、急にものすごい圧をかけてくる。子供みたいな口調でも美人に凄まれると迫力がすごくて。推しの選手だからなおのこと、私はしどろもどろになって答える。
「ね、狙ってないです。むしろ……」
私が気になってるのは川井先輩です、とは言えなくて。そんなヘタレの隙間を埋めるように、川井先輩がまたマシンガンのような勢いで、語り始める。
「それはよかった。けれど、本当に気をつけないと。お姉ちゃんってちょっとかわいすぎるから。本当にありえないくらいかわいくて、それなのにお仕事も完璧でかっこよくて、モテないわけがないから。だから、お姉ちゃんにちょっかいかける人が出ないように、私が守ってあげなきゃなんだ」
「は、はぁ……そうですか」
「ね、お姉ちゃんってね、本当に凄くて、優しくて。この前もさ。一緒にお風呂に入ったときにね……」
あ、ロッカーで先輩たちが言ってた一時間コースってこのことか。私はそんな気づきを得ながら、止まらない川井先輩のお姉さんトークに機械的な相槌を打つ。というか、しれっと一緒にお風呂に入ってるっていう爆弾発言をしていたような気がするけど、もうなんか、気にしたら負けな気がする。
その後も、川井先輩のお姉さんトークは止まることを知らなくて。一時間どころか、一日でも、何日でも話し続ける勢いだった。
実際、お姉さんが帰ってくるまで、川井先輩のありがたいお話は続いた。
そして、お姉さんが帰ってくると。
「お姉ちゃん!」
席を立って、一目散にお姉さんの元へと駆け寄り、熱い抱擁を交わしていた。
「れん、外ではぎゅっするのダメって言ってるでしょ?」
「わ、わかった」
「よし、えらい。ラインいっぱいくれてたのに返信できなくてごめんね。待っててくれてありがとう」
そう言って、お姉さんは、川井先輩の頭を撫でる。
「うん。けどね、この子が私のお話聞いてくれてたから」
川井先輩は急に、私にお鉢を回してくる。私が急なパスに固まっていると。
お姉さんも川井先輩の言葉に固まって、目を見開いて、それから。
微笑みを浮かべて、私に語りかけた。
「ごめんね、うちのれんが迷惑をかけたみたいで」
「いえいえそんな!」
私はガクガクと震えながら直立不動で答える。だって……
「いや、本当。"わたしのれん"の面倒を見てくれて、ありがとう」
目が、笑ってない。先ほどの川井先輩を凌ぐ勢いで、ハイライトが消え失せている。
「あ、もう全然私のことはお構いなくで大丈夫なので……それでは!」
私はそう言って、踵を返して、一目散に席を後にした。
確かに、お姉さんの方が怖い。
あと、川井先輩に連絡先の交換を禁止してるのってバスケに集中してもらうって理由じゃなくて、もしかしてお姉さんの独占欲だったりして。束縛だったりして……
なんて妄想を必死に頭から振り払った。もう、なんか、考えないでおこう。このままだとひどい目に合いそうだ。
私はそっと、一度だけ、ふたりの方を振り向く。
ふたりはほとんど抱擁のような、あまりにも近い距離感で仲睦まじそうに言葉を交わしていて。
川井先輩は見たこともないような眩しい笑顔を浮かべていて、まあ推しが幸せならいっか、ってそんなことを思った。
デロデロに溶けた川井先輩は私の部屋にあるどの写真よりもかわいくて、綺麗で、キラキラしていた。
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