最終話 結婚
87対87。史上稀に見る熱戦。女子バスケットボール世界最終予選、日本対アメリカ。オリンピック出場をかけたグループリーグ最終戦、勝った方が本戦への切符を勝ち取る。そんな大切な試合の第4クォーター残り30秒。会場中が固唾を呑んでその成り行きを見つめる。
わたしも息をするのも忘れて、戦況を見守る。
体格で勝るアメリカの選手は、高さで日本を圧倒し、特にその中でも一際大柄なセンターを中心に、ポストプレーから強引に得点を重ねていく。
今も、ボールを受け取ったセンターの選手が日本の選手を背中で押さえつけ、無理やり反転する。そのまま抜け出し、豪快にダンクを叩き込んだ。
アメリカが2点リード。残り20秒、日本陣営からため息が漏れる。
しかし、ピッチに立つ選手はみんな、少しも諦めていなくて。素早いリスタートから細かくパスを回してアメリカの選手を左右に揺さぶる。刻一刻と減る時間。しかし焦ることなく、細かなパスワークとスクリーンも駆使しながら、じわりじわりと前線を押し上げる。
そして、センターライン少し手前、ピッチの中央で。日本チームのエース、れんにボールが回った。
ボールを受け取ったれんは屈強なアメリカの選手のダブルチームにも臆することなく前を向いて、ドリブルを開始する。細かいタッチで相手を交わし、敵陣に切り込んでいく。
しかし、アメリカの選手はれんが得意としているスリーポイントシュートを防ぐべく、センターの選手を中心に壁を作る。
残り10秒を切り、恐らくこれが最後の攻撃。会場中の視線がれんに集まる。
「がんばれ」
わたしは呟く。手首のシュシュをぎゅっと握りながら、祈る。
そんな、わたしの視線の先、れんはじわじわと、アメリカの選手の圧に押され、サイドラインへと追いやられていく。
もうダメか、と誰もが思ったその瞬間。
れんが、唐突に、俊敏な動きで反転した。虚を突かれたアメリカの選手の隙間を縫うように、ドリブルで敵陣深くへと駆け抜ける。
慌ててフォローに入るアメリカの選手を尻目に。
れんが、跳躍した。これ以上なく美しい、洗練されたフォームで放たれたボールは綺麗な放物線を描いて。
静寂に包まれたスタジアム、ボールがゴールネットを通過する微かな音が、会場に響いた。それと同時に、祝砲をあげるように、ブザーがけたたましい音を立てて鳴った。れんが右手を高く掲げた。
地響きのような歓声が鳴る。いくつもの声援や黄色い声が会場中を包む中。
わたしは立ち上がり、"ベンチ"を飛び出した。
「れん!」
わたしは一目散にれんの元へと向かう。れんも、駆け寄ってくるチームメイトたちを躱して、まっすぐにわたしの元に向かう。
そして、程なくして、わたしたちの距離はゼロになって。
強く、抱擁を交わした。
「お姉ちゃん! 私やったよ!」
普段は冷静なれんも、興奮冷めやらぬ様子で、全力で喜びを伝える。
そんなれんの声色や熱い体温、汗だくでそれでも甘い匂いに包まれていると、自然に涙がこぼれた。
「よかった……本当によかった……」
「お姉ちゃんのおかげだよ。側でずっと支えてくれた、お姉ちゃんのおかげ」
れんはそっと囁くように、わたしに耳打ちをする。会場はものすごい歓声で、様々な音が鳴っていて、それなのに、れんの声しか聴こえない。
世界で一番愛しい声しか聴こえない。
「ううん。わたしは何もしてないよ。れんがずっと努力してきたから……本当にここまでよく頑張ったね」
わたしはそう言って、れんの頭を撫でる。つま先立ちで、自分より背丈の大きな妹を全力で讃える。
れんは少しかがんで、それからわたしに尋ねる。
「わたしだけ、見ててくれた?」
「うん、れんしか見えなかったよ」
「惚れ直した?」
「うん。けど、惚れ直す必要もないくらい。わたしはれんのこと、ずっと大好きだから」
さっきのお返しのように、耳元で囁いたら。
「……お姉ちゃん!」
もう一回ぎゅっと抱きしめられた。
先ほどまで熱戦が繰り広げられたコートの真ん中で。れんは選手として、わたしはれん専属のマネージャーとして。掴み取った栄光をふたりで噛み締めた。
◇◇◇
『会場の皆様、聞こえますでしょうか? ヒロインインタビューのお時間です。今日のヒロインは、攻守に大活躍、川井れん選手です!』
「ありがとうございます」
先ほどの興奮はどこへやら、れんはすっかりいつもの平坦な口調でクールに答える。
そんな様子をなぜかわたしは壇上で、れんのすぐ隣で見つめる。
いや、なんでわたしがこんな場所に。
といっても理由は明白で。
ヒロインインタビューを打診されたれんが、
「お姉ちゃんと一緒じゃないとインタビューは受けません」
と断言したそうだ。
そんなれんの無茶苦茶な要望がなぜか通ってしまって。選手でもないわたしが、れんと一緒に壇上に登っていた。スタジアムの大きなスクリーンには、わたしとれんが映し出されていて、何かの冗談のような光景に、唖然としてしまう。
『今日は特別に川井選手のマネージャーであるお姉様にも壇上に来ていただいているわけですが。まずは、川井選手、大活躍でしたね』
『はい、ありがとうございます』
れんは、ぶっきらぼうに答える。あまりにもインタビュアー泣かせな手短すぎる回答に、会場が笑いで包まれる。れんのインタビューでの塩対応は半ば恒例行事としてファンの間で浸透していて。むしろ、これが一番のファンサービスかもしれない。
そんな相変わらずのれんに、インタビュアーさんも苦笑しながら次の質問へと移る。
『この喜びを誰に伝えたいですか?』
「チームメイトと、観客席にいるお母さんと、友達と、けれど、誰よりも……」
れんは饒舌に語ったかと思うと、急に押し黙り、そして。
わたしの手をぎゅっと握った。その拍子に手首につけられた、お揃いのシュシュが重なった。
「ずっと側で支えてくれた、大好きなお姉ちゃんに、ありがとうって伝えたいです!」
れんは快活にそう答える。
そのれんらしからぬ様子に、会場がざわめく。
身体が熱い。繋がった手が熱い。人生でこれ以上はないくらい多くの人の視線がわたしたちに注がれていて。観客席にいるお母さんも、友香ちゃんも、島本さんも、見てくれているはずで。
それなのに、わたしの視界にはれんしかいない。れんしか、見えない。
『素晴らしい姉妹愛ですね! それでは、最後に。川井選手のこれからの夢は何になるでしょうか?』
インタビュアーさんが、最後にそんな質問をする。
恐らく会場中の誰もがオリンピックへの抱負を期待する中。
れんはなぜか、わたしの方に向き直って。ふたりで見つめ合って。
強く、抱きしめられた。
それから、れんは。体温や鼓動が重なったまま、会場中に響き渡るくらい、大きな声で叫んだ。
とびきりの笑顔を浮かべて。
「わたしの夢は、お姉ちゃんと結婚して、ずっと一緒にいることです!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます