9. 幸福と苦痛の本質

 いよいよ今日は、人類永遠のテーマ、「幸福と苦痛の本質」について、我らが感情探検隊と一緒に冒険の旅に出かけましょう。まるで、脳内のジェットコースターに乗って喜びと悲しみの峰々を巡るような……いや、そんな激しい体験はご免ですが、人間の感情の神秘に迫る知的冒険に出発です!


 今回も、量子意識理論のパイオニア、高橋誠一郎博士と、多元的現実認識モデルの創始者、ソフィア・ラミレス教授をお迎えします。


 高橋博士が、少しはにかんだ様子で口火を切ります。


「やあ、みんな。今日のテーマは『幸福と苦痛の本質』だけど、正直言って、ちょっと気恥ずかしいね。だって、科学者が幸せについて語るなんて、まるでロボットが恋愛相談に乗るようなもんだからさ(笑)。でも、恐れずに探求していこう。なぜって? この『究極の感情』は、私たち一人一人の人生の質に直結する大切な問題だからね」


 ラミレス教授が、クスッと笑いながら応じます。


「その通りです。幸福と苦痛は、人類が太古の昔から追求し、あるいは避けようとしてきたものです。さて、この普遍的なテーマに科学はどこまで迫れているのでしょうか?」


 高橋博士は、眼鏡を外してレンズを拭きながら、真剣な表情で語り始めます。


「うーん、幸福については、最近の脳科学研究で興味深い発見がいくつかあるんだ。例えば、幸福感と関連する脳内物質、特にドーパミンやセロトニン、オキシトシンなどの働きが明らかになってきているんだよ」


 博士は立ち上がり、ホワイトボードに向かいます。


「まず、みんなに考えてほしいことがある。『幸せ』って、どんな感じがする?」


 会場から様々な声が上がります。「温かい感じ!」「ふわふわした感じ!」


「そう、人それぞれだよね。でも、脳の中では、ある程度共通のメカニズムが働いているんだ」


 博士はボードに脳の簡単な図を描きます。


「例えば、ドーパミンは『報酬系』と呼ばれる脳の回路で重要な役割を果たしている。目標を達成したときや、美味しいものを食べたときに分泌されて、快感や満足感をもたらすんだ」


 ラミレス教授が興味深そうに付け加えます。


「そうですね。そして、セロトニンは気分の安定や幸福感に関与しているとされています。瞑想やヨガなどの精神的実践が、このセロトニンのレベルを上げる効果があるという研究結果もありますね」


 高橋博士は頷きながら続けます。


「そして、オキシトシンは『愛情ホルモン』とも呼ばれていて、人との触れ合いや信頼関係の構築に重要な役割を果たしているんだ。つまり、科学的に見ると、幸福感はこれらの脳内物質のバランスによって生み出されているというわけさ」


 博士は一呼吸置いて、会場を見渡します。


「でも、ここで大事な疑問が生まれる。幸福は単なる脳内物質の働きだけで説明できるのだろうか? そして、もしそうだとしたら、人生の意味や精神的な成長との関係はどうなるんだろう?」


 ラミレス教授が深く頷きます。


「そうですね。これは非常に重要な問いかけです。脳科学の知見は確かに貴重ですが、人間の幸福という複雑な現象を全て説明しきれるわけではありません。ここで、東洋の智慧、特に仏教の教えを参照してみるのも面白いかもしれません」


 高橋博士が興味深そうに聞きます。


「仏教の教えですか? 具体的にはどんなことでしょうか?」


 ラミレス教授が説明を始めます。


「仏教では、幸福は外部の条件ではなく、心の状態に依存すると教えています。例えば、『四無量心』という概念があります。慈悲喜捨、つまり慈しみ、思いやり、喜び、平静さを培うことが、真の幸福につながるというものです」


 ラミレス教授の言葉に、高橋博士は深く頷きます。

 会場の空気が少し変わり、参加者たちは身を乗り出して聞き入ります。


「なるほど、四無量心ですか。これは本当に興味深い概念ですね」と高橋博士。


「もう少し詳しく説明していただけますか?」


 ラミレス教授は微笑みながら答えます。


「もちろんです。四無量心は、仏教における心の修養の重要な要素なんです。『無量』というのは、限りないという意味で、これらの心の状態を無限に広げていくことを目指します」


 教授はホワイトボードに向かい、四つの漢字を丁寧に書きます。


「まず、『慈』。これは愛情や優しさを表します。全ての生きものに対する無条件の愛を育むことです」


 高橋博士が興味深そうに聞き入ります。


「次に『悲』。これは他者の苦しみを取り除きたいと願う心です。単なる同情ではなく、積極的に苦しみを和らげようとする態度です」


「『喜』は、他者の幸せを自分のことのように喜ぶ心。これは嫉妬や競争心の対極にある感情ですね」


「最後に『捨』。これは平静さ、平等心を指します。全てのものに対して平等に接し、動揺しない心の状態です」


 高橋博士が感心したように言います。


「これらの心の状態を培うことが、幸福につながるというわけですね。でも、現代社会でこれを実践するのは難しそうですね」


 ラミレス教授は頷きます。


「確かに簡単ではありません。でも、日常生活の中で少しずつ実践することはできるんです。例えば……」


 教授は会場を見渡し、参加者に語りかけるように続けます。


「朝、出勤時に行き交う人々に対して、心の中で幸せでありますようにと願う。これが『慈』の実践になります」


「困っている人を見かけたら、できる範囲で手を差し伸べる。これが『悲』です」


「友人や同僚の成功を心から祝福する。これが『喜』の実践ですね」


「そして、日々の出来事に一喜一憂せず、平静な心を保つ。これが『捨』です」


 高橋博士が感銘を受けたように言います。


「なるほど。つまり、幸福とは外部の条件ではなく、こういった心の持ち方にかかっているということですね」


 ラミレス教授は頷きます。


「その通りです。興味深いのは、最近の心理学研究でも、これに近い結果が出ているんです。例えば、感謝の気持ちを持つ人ほど幸福度が高いという研究結果があります」


 高橋博士が目を輝かせます。


「つまり、古代の智慧と現代科学が、同じ真理を指し示しているということですね。これこそ、完全昇華学が目指すべき方向性の一つかもしれません」


 会場から小さなどよめきが起こります。参加者たちの表情には、新たな気づきと深い思索の跡が見られます。


 ラミレス教授は続けます。


「そうですね。そして、この四無量心の概念は、個人の幸福だけでなく、社会全体の幸福にも適用できるかもしれません。例えば、政策立案の際にこの概念を取り入れれば、より思いやりのある社会システムが作れるかもしれません」


 高橋博士が頷きます。


「確かに、そういった視点は現代社会に欠けているかもしれませんね。科学技術の発展と同時に、こういった心の智慧も大切にしていく必要があります」


 会場の空気が変わり、参加者たちの間で小さな議論が始まります。四無量心の概念が、単なる仏教の教えではなく、現代社会や科学研究にも適用可能な普遍的な智慧として受け止められたようです。


 高橋博士の目が輝きます。


「なるほど! 四無量心って、最近の心理学研究とも通じる部分があるね。ポジティブ心理学の創始者として知られるマーティン・セリグマンは、幸福には『PERMA』という5つの要素があると提唱しているんだ」


 博士はボードに「PERMA」と書き、それぞれの文字を説明していきます。


「P は Positive emotions(ポジティブな感情)、E は Engagement(没頭)、R は Relationships(人間関係)、M は Meaning(意味・目的)、A は Accomplishment(達成)。これらの要素がバランスよく満たされることが、持続的な幸福につながるというわけさ」


 ラミレス教授が熱心に聞き入ります。


「素晴らしいですね。科学的アプローチと精神的な教えが、ここで見事に交差しています。でも、ここで一つ疑問が浮かびます。苦痛はどのように位置づけられるのでしょうか?」


 高橋博士が真剣な表情で答えます。


「いい質問だね。実は、苦痛も幸福と同じくらい重要な研究テーマなんだ。進化論的に見ると、苦痛は生存のために不可欠な警告システムとして発達してきた。でも、現代社会では、この仕組みが必ずしもうまく機能していない場合もある」


 ラミレス教授が頷きます。


「そうですね。慢性的な痛みや心の苦しみは、もはや単なる警告信号ではなく、それ自体が問題となっています。ここで、再び東洋の智慧を参照してみましょう。仏教では『苦』を人生の根本的な特徴の一つとして捉え、そこからの解放を目指します」


 高橋博士が興味深そうに聞きます。


「仏教の苦の捉え方について、もう少し詳しく教えてもらえますか?」


 ラミレス教授が説明を続けます。


「仏教では、苦には三つの種類があるとされています。苦苦(くく)、壊苦(えく)、行苦(ぎょうく)です。苦苦は直接的な苦痛、壊苦は楽しいことが終わる苦しみ、行苦は存在することそのものに伴う不満足感です。これらの苦から解放されることが、悟りの境地とされるのです」


 高橋博士が深く頷きます。


「なるほど。これは現代の心理学でいう『レジリエンス』の概念とも通じるものがありそうだね。苦痛や逆境を乗り越える力を育むことが、真の幸福につながるという考え方さ」


 ラミレス教授が笑顔で応じます。


「そうですね。そして、この考え方は、単に個人の幸福だけでなく、社会全体の幸福にも適用できるかもしれません。例えば、ブータン王国の『国民総幸福量(GNH)』という概念があります。これは、経済的な豊かさだけでなく、文化の保護や環境保全、良い統治なども含めた総合的な幸福度を国の発展の指標とする考え方です」


 高橋博士が目を輝かせます。


「おっ、それは面白い! つまり、幸福を個人の問題としてだけでなく、社会全体の課題として捉えるわけだね。これって、完全昇華学が目指す『個人と社会の調和』にも通じるものがあるよ」


 ラミレス教授が頷きます。


「その通りです。そして、この視点は現代社会が直面する多くの問題にも新しい光を当てるかもしれません。例えば、環境問題。自然との調和を取り戻すことが、実は私たちの幸福感を高めることにつながるかもしれないのです」


 高橋博士が真剣な表情で続けます。


「そうだね。そして、この考え方は、科学技術の発展の方向性にも影響を与えるはずだ。例えば、AI技術の開発。単に効率を追求するだけでなく、人間の幸福感を高めるためにAIをどう活用できるか、という視点が重要になってくる」


 ラミレス教授が興奮気味に言います。


「そうですね! そして、教育のあり方も変わってくるでしょう。知識の詰め込みだけでなく、幸福に生きるための智慧や、苦痛に対処する力を育む教育が必要になってくるはずです」


 高橋博士がにっこりと笑います。


「そう、まさにその通り! そして、ここで一つ面白い考え方を提案したいんだ。幸福と苦痛を、対立するものではなく、相補的なものとして捉えてみるのはどうだろう? つまり、苦痛を通じて成長し、その結果としてより深い幸福を得る、というサイクルさ」


 ラミレス教授は、目を見開いて驚きます。


「まあ! それは本当に革命的な見方ですね。でも、そう考えると、私たちの人生観も大きく変わってきます。苦痛や困難を避けるのではなく、それを成長の機会として受け入れる。そんな姿勢が、真の幸福につながるということでしょうか」


 高橋博士が頷きます。


「その通りだ。そして、この見方は、現代社会が抱える『幸福のパラドックス』にも一つの解答を提供するかもしれない。物質的な豊かさが増しても、必ずしも幸福感が高まらないという現象があるけど、それは私たちが『成長の機会』を失っているからかもしれないんだ」


 ラミレス教授が真剣な表情で言います。


「そうですね。そして、この考え方は、個人の生き方だけでなく、社会システムのデザインにも影響を与えそうです。例えば、労働のあり方。単に楽で快適な仕事を目指すのではなく、適度な挑戦と成長の機会がある仕事が、結果的により大きな満足感をもたらすかもしれません」


 高橋博士が笑顔で応じます。


「そうそう! そして、この考え方は、科学と精神性の真の融合への道を開くんじゃないかな。幸福を追求し、苦痛を避けるという単純な図式ではなく、両者のバランスと相互作用を理解することで、より豊かな人生観が得られる。これこそ、完全昇華学が目指すところだね」


 ラミレス教授も同意します。


「本当にその通りです。幸福と苦痛の本質を探ることは、単なる感情の研究ではなく、人生そのものの意味を問い直すことにつながっているのですね」


 高橋博士が真剣な表情で締めくくります。


「そうだ。幸福と苦痛は、人生という壮大な交響曲の中の高音部と低音部のようなものかもしれない。どちらか一方だけでは、豊かな音楽は奏でられない。両者のハーモニーこそが、人生を味わい深いものにするんだ。ニーチェの言葉を借りれば、『深い喜びを味わいたければ、深い悲しみをも経験しなければならない』というわけさ」


 会場から大きな拍手が沸き起こります。高橋博士とラミレス教授の対話は、幸福と苦痛という普遍的なテーマを、科学と精神性の融合という観点から鮮やかに描き出しました。それは、人類永遠の課題に対する新たなアプローチの可能性を示すと同時に、私たち一人一人の生き方そのものを問い直す機会ともなったのです。


 高橋博士は、会場の熱気に押されるように、さらに話を展開します。


「さて、ここまで幸福と苦痛の大きな話をしてきましたが、もう少し日常的な視点からも考えてみましょうか。例えば、私たちの日々の習慣と幸福感はどんな関係があるんだろう?」


 ラミレス教授が即座に応じます。


「そうですね。実は、最近の研究で、日常的な習慣が幸福感に大きな影響を与えることが分かってきています。例えば、『感謝の習慣』がありますね。毎日3つの感謝すべきことを書き留めるだけで、幸福感が増すという研究結果があります」


 高橋博士が興味深そうに聞き入ります。


「へえ、それは面白いね。つまり、幸せは大きな出来事だけでなく、日々の小さな積み重ねで作られていくってことか。これって、量子力学でいう『バタフライ効果』みたいなものかな。小さな変化が、大きな結果をもたらすってやつさ」


 ラミレス教授が微笑みながら答えます。


「素晴らしい比喩ですね。そして、運動習慣も重要です。定期的な運動が、うつ症状の改善や全般的な幸福感の向上につながるという研究結果も多数あります。これは、脳内物質の分泌とも関係していそうですね」


 高橋博士の目が輝き、その表情には科学者特有の発見の喜びが満ちています。会場の空気が一瞬で変わり、参加者たちは息を呑んで博士の次の言葉を待ちます。


「そうそう、運動すると脳内麻薬のような働きをする『エンドルフィン』が分泌されるんだ」と高橋博士は語り始めます。彼の声には興奮が滲んでいます。


 博士はホワイトボードに向かい、簡単な脳の図を描きながら説明を続けます。


「このエンドルフィンは、痛みを和らげたり、幸福感をもたらしたりする働きがあるんだ。だから、運動後に気分が良くなるんだよ」


 参加者たちは熱心にメモを取り始めます。

 しかし、高橋博士の表情はさらに興奮を増します。


「でも、ここで一つ面白い発見があるんだよ」


 博士は声のトーンを少し落とし、まるで秘密を明かすかのように話し始めます。


「実は、他人のために何かをする『利他的な行動』も、同じように幸福感を高めるんだ」


 会場からどよめきが起こります。

 何人かの参加者が驚きの声を上げます。


 高橋博士は続けます。


「つまり、誰かを助けたり、ボランティア活動をしたりすることで、運動をしたときと同じような幸福感が得られるんだ。これって本当に驚くべきことだと思わないかい?」


 この瞬間、ラミレス教授が身を乗り出します。彼女の目には、高橋博士と同じ興奮の色が宿っています。


「そうですね」とラミレス教授は高橋博士の言葉に賛同します。


「これは『ヘルパーズ・ハイ』と呼ばれる現象ですね」


 教授は立ち上がり、高橋博士の隣に立ちます。

 二人の科学者が並んで立つ姿に、会場の空気がさらに引き締まります。


「他人を助けることで、自分も幸せを感じる」とラミレス教授は続けます。


「これって、進化の過程で獲得された、社会を維持するための素晴らしい仕組みかもしれません」


 高橋博士が頷きます。


「まさにその通りだ。利他的な行動が個人の幸福につながるという仕組みは、社会の結束を強める上で非常に効果的だったはずだ」


 ラミレス教授は参加者たちに向かって問いかけます。


「皆さん、最近誰かを助けた経験はありますか? その時、どんな気持ちになりましたか?」


 会場から様々な声が上がります。

「気分が良くなった」「充実感があった」「またやりたいと思った」といった回答が次々と飛び交います。


 高橋博士とラミレス教授は顔を見合わせ、満足げに笑みを交わします。


「ね、興味深いでしょう?」と高橋博士。


 「私たちの幸福は、単に個人的な快楽だけでなく、他者との関わりの中にもあるんだ。これは完全昇華学が目指す、科学と人間性の融合の一つの形と言えるかもしれないね」


 ラミレス教授が付け加えます。


「そして、この知見は社会政策にも応用できるかもしれません。ボランティア活動の推進や、互助システムの構築など、人々の幸福度を高めつつ社会の結束も強められる可能性があります」


 会場は深い思索の空気に包まれます。参加者たちは、科学的な事実が日常生活や社会システムにどのように応用できるかを考え始めているようです。


 高橋博士が真剣な表情で続けます。


「その通りだ。そして、この視点は現代社会の問題解決にも応用できるんじゃないかな。例えば、孤独の問題。他者とのつながりを持ち、誰かの役に立つ経験をすることで、孤独感が軽減され、幸福感が高まる可能性がある」


 ラミレス教授が笑顔で言います。


「素晴らしい洞察ですね。そう考えると、幸福は単に個人の問題ではなく、社会全体の課題ということになります。『幸せの連鎖』とでも呼べるかもしれません。一人が幸せになることで、周りの人々も幸せになっていく」


 高橋博士がうなずきながら言います。


「そうだね。そして、この『幸せの連鎖』は、科学的にも説明できるんだ。例えば、『ミラーニューロン』という脳の仕組みがある。他人の行動や感情を見ているだけで、自分の脳も同じように反応するんだよ。つまり、幸せは『伝染する』んだ」


 ラミレス教授が続けます。


「そうですね。そして、この考え方は教育にも応用できそうです。子どもたちに『幸せになる力』を教える。それは単に自分の幸せだけでなく、周りの人々の幸せにも貢献できる力を育むということですね」


 高橋博士が笑顔で締めくくります。


「その通りだ。結局のところ、幸福と苦痛の本質を理解することは、より良い社会を作ることにつながっているんだ。個人の幸福と社会の幸福は、切り離せないものなんだよ」


 会場から再び大きな拍手が起こります。高橋博士とラミレス教授の対話は、幸福と苦痛という普遍的なテーマを、科学と精神性の融合という観点から捉え直し、新たな社会づくりの可能性を示唆したのです。


 参加者たちの表情には、幸福への新たな気づきと、人生の苦痛に対する新しい理解が浮かんでいます。この日の対談は、人類永遠の課題である幸福と苦痛の問題に、完全昇華学ならではの統合的なアプローチを示すものとなりました。それは、科学的な厳密さと精神的な深さ、そして日常生活の実践を融合させた、新たな幸福観と人生観を切り開く試みだったのです。


◆質疑応答


 高橋博士とラミレス教授の刺激的な対談が終わると、会場からは大きな拍手が沸き起こりました。そして、いよいよ質疑応答の時間です。多くの手が一斉に挙がり、会場は熱気に包まれています。


 司会者が最初の質問者を指名します。


「はい、前から3列目の緑のシャツの方」


 40代くらいの女性が立ち上がります。彼女の目は真剣そのものです。


「佐藤と申します。私は長年うつ病を患っています。幸福感を感じることが難しい状況ですが、そんな私にも希望はあるのでしょうか?」


 ラミレス教授が優しく答えます。


「佐藤さん、勇気ある質問をありがとうございます。うつ病は確かに辛い経験ですが、希望は必ずあります。最近の研究では、認知行動療法やマインドフルネス瞑想が、うつ症状の改善に効果があることが分かっています。これらは、脳の働きを実際に変化させる力があるんです」


 高橋博士が付け加えます。


「そうだね。そして、佐藤さんのような経験は、実は人類の知恵を深める重要な機会なんだ。苦しみを乗り越えた先にある幸福は、より深く、より豊かなものになる可能性がある。ビクター・フランクルの言葉を借りれば、『苦しみの中にさえ、意味を見出す力が人間にはある』んだ」


 佐藤さんは、涙ぐみながらも希望の光を見出したような表情で頷きます。


 次に、20代前半の若い男性が手を挙げます。


「大学生の田中です。SNSを見ていると、みんな幸せそうに見えて、自分だけが取り残されているような気がします。これって、普通のことなんでしょうか?」


 高橋博士が答えます。


「いい質問だね、田中くん。それ、『ソーシャルメディア・パラドックス』って言うんだ。SNSで見る他人の生活は、実際よりもずっと良く見えるんだよ。隣の芝生はいつも青い、さ。でも、大事なのは、そんな比較をやめること。自分の人生の本当の価値は、他人との比較ではなく、自分の内面にあるんだ」


 ラミレス教授が続けます。


「そうですね。そして、SNSの使い方を変えてみるのも良いかもしれません。例えば、感謝の気持ちを表現したり、他者を励ますような投稿をしてみる。そうすることで、ポジティブな相互作用が生まれ、本当の意味でのつながりが感じられるかもしれません」


 田中くんは、何か新しい気づきを得たような表情で熱心にメモを取っています。


 会場の後ろから、60代くらいの男性が手を挙げます。


「退職した山田です。孫と遊ぶときが一番幸せなんですが、これって科学的に説明できるんでしょうか?」


 高橋博士が笑顔で答えます。


「山田さん、お幸せそうで実にいいですね~。それには科学的な説明があるんですよ。孫と遊ぶとき、さきほども対談でも申し上げたオキシトシンというホルモンが脳内で分泌されるんです。これは『愛情ホルモン』とも呼ばれていて、絆や信頼感を深める働きがあるんだ」


 ラミレス教授が付け加えます。


「そうですね。そして、世代間の交流には特別な意味があります。若い世代のエネルギーに触れることで、私たちの脳も活性化されるんです。これは『世代間シナジー効果』と呼ばれることもありますね」


 山田さんは嬉しそうに頷いています。


 そして最後に、10歳くらいの少年が恥ずかしそうに手を挙げます。


「はい、前から2列目の赤いTシャツの男の子」と司会者が指名します。


 少年は立ち上がり、少し緊張した様子で質問を始めます。


「僕、鈴木といいます。10歳です。ずっと聞いていて思ったんですけど、幸せってどうやったら長続きするんですか?」


 会場から「おお……」という感嘆の声が上がります。高橋博士とラミレス教授は顔を見合わせ、にっこりと笑います。


 高橋博士が優しく答えます。


「鈴木くん、素晴らしい質問だね! 実は、幸せを長続きさせるコツがあるんだ。それは、幸せを『感じる』だけでなく、『作り出す』ことなんだよ。例えば、毎日誰かに親切にすることとか、新しいことに挑戦することとかさ」


 ラミレス教授も笑顔で付け加えます。


「そうね。そして、鈴木くん。幸せは、ずっと続く一つの大きな気持ちじゃなくて、たくさんの小さな幸せの積み重ねなのよ。だから、毎日小さな幸せを見つける練習をするといいわ。例えば、美味しいご飯を食べたとき、友達と遊んで楽しかったとき、そういう小さな幸せを大切にするの」


 鈴木くんは目を輝かせて答えます。


「わかりました! 僕、これから毎日幸せ探しをしてみます!」


 会場から温かい笑いと拍手が起こります。この純真な質問が、幸福の本質について、新たな視点をもたらしたようです。


 高橋博士が締めくくります。


「今日の対話と質疑応答を通じて、幸福と苦痛について、様々な視点から考えることができました。科学的な探求、哲学的な思索、そして子供たちの純粋な好奇心。これらが交差するところに、幸福の真の理解があるのかもしれません」


 ラミレス教授も付け加えます。


「そうですね。そして、鈴木くんの質問が教えてくれたように、幸福は日々の小さな実践の中にあります。それは、科学的な知見と精神的な智慧を、日常生活の中で統合していくプロセスなのかもしれません」


 会場から大きな拍手が起こり、感動と深い思索に満ちた質疑応答の時間が締めくくられました。参加者たちの表情には、幸福と苦痛に対する新たな理解と、自らの人生をより豊かに生きる決意が浮かんでいます。この日の対談と質疑応答は、幸福と苦痛という人類永遠の課題に、完全昇華学ならではの多角的でバランスの取れたアプローチを示すものとなりました。それは、科学的な厳密さと精神的な深さ、そして日常生活における実践的な智慧を融合させた、新たな幸福観と人生観を切り開く試みだったのです。


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