第44話 呪いの種

『ただいまー!』




『あ、お姉ちゃん帰ってきた!』




『おー、ヨシヨシ! 遅くなってごめんね。すぐにご飯作ってあげるから!』 




 懐かしい光景だ。俺が六歳の頃に、俺の育ての親として面倒を見てくれた姉さんとの日々の一部。今思えば、この時の俺は普通の子供として暮らしていた。




『お願い冬美君。外に出ようとしないで』




『……でも、あの人が会いに来るって―――』




『あの人は君を利用しようとしてるだけ!! 会えばまた危険な目に遭うし、痛い思いだってする!! 嫌でしょ?』




『……うん』




『大丈夫だよ。大丈夫。お姉ちゃんが冬美君を守ってあげるから。絶対に、危険な目に遭わせないから』




 これは八歳の頃か。二年も一緒に住んで、一度も外に出してもらった事が無かった。訪ねてきた人は無視するように言いつけられ、外の情報が入る新聞やテレビは撤去されていた。


 そうして、あの頃の俺はだんだんと理解していく。育ての親として見ていた姉さんが、俺に依存するようになっていた事に。




『お姉ちゃんが冬美君を守るから、私から離れようとしないで。嫌いにならないで。拒絶しないで。醜いと思わないで。愛して。求めて。見て。聞いて。感じて。私の中に宿って』




「冬美君」




 夢から目を覚ますと、俺は暗闇の中にいた。手足が何かで縛られているのか、動かす事が出来ない。雪の中に埋められたような寒さに、心臓が絞めつけられる。


 俺は意識を失う前、怪異によって山の中に連れ去られたはず。しかし、ここは山の中ではない。洞窟か、あるいは地の底か。


 あの夢。もしも意識を失う寸前に見えた女の姿と関係があるとすれば、怪異の正体は……。




「おはよう。冬美君」




 頭上から集まってきた蛍の群れが明かりとなり、俺が縛られているこの空間の全貌が明らかとなった。何も無い地の底で、一匹の巨大な虫を椅子代わりにして座る黒い翼を生やした女。長い黒髪に、コメカミから生えている両翼が目元を隠している。




「君の為に用意したコウモリ全てを使う羽目になったけど、目的が達成されたわ」




 自分の状況を確認すると、俺は巨大な蜘蛛の巣に貼り付けられ、手足がギプスのように蜘蛛の巣が巻かれている。引き千切ろうにも、蜘蛛の巣の粘着力が強力でどうにも出来ない。


 上を見上げると、蛍が照らす明かりの奥が暗闇に覆われていた。蜘蛛の巣から脱する事が出来ても、上に登るのは困難だろう。




「ここは地の底よりも遥か奥の位置。人の身で登る事も、下りる事も出来ない。ここは私達だけの部屋。私と君の楽園」




 怪異の言葉を聞いていて、違和感に気付いた。おそらく、あの怪異は虫や鳥を操る力を持つ上位の怪異だろう。しかし、声色には人間味がある。まだ完全な状態になっていないのか。となれば、かなり厄介だ。


 


「……何が目的だ」




「言ったでしょ? 目的は達成されたわ。もう私は満足よ」




「俺は不満だね。こんな暗い場所に閉じ込められて。俺はまだ十代だ。日光を浴びなきゃ、早々に干からびちまうよ」




「俺、ね。随分と似合わない言葉で自分を呼ぶようになったわね」




 怪異は虫の椅子から腰を上げると、ゆっくりと俺の方へ歩み寄ってくる。近付く度に嫌な臭いが濃くなり、遂には嘔吐した。咳込むとまた吐き気がして、咳を我慢しようとしても、すぐに我慢出来なくなって吐いてしまう。


 


「随分と苦しそうね? でも、私の方が苦しかったわ。君が私を見捨てて、あの女の傍にいるのを見ていた私の方が」




「ハァ、ハァ……なんの、事だ……」




「体だけじゃなく、記憶まで弄られたの? 可哀想な冬美君。今度こそ、お姉ちゃんが守ってあげるから。だから、今度は私を見捨てないでね?」




 目の前に立つ怪異は指で俺の顎を上げ、俺の口の周りをゆっくりと舐め回した。俺の毒は、血液や肉でなければ毒にならない。吐瀉物では、この怪異を毒で蝕む事は出来ない。




「うん。綺麗になったわね。どれだけ汚れても、お姉ちゃんが君を綺麗にしてあげるから」




「……あんたは怪異だ……俺とは、関係無い」




「まだ言うの? それとも、自分にそう言い聞かせてるだけ? 初めて愛してくれた人が、こんな醜い姿に変り果てた現実から目を背ける為に」 




「愛してくれた? あんたはただ、俺を飼ってただけだ。犬のように躾をして、俺を部屋の中に閉じ込めただけだろ……!」




「なーんだ! やっぱり憶えてるじゃない! 良かった。私との三年間を無かった事にされなくて。あの女なら、躊躇いなく記憶を消すだろうし」




「ルー・ルシアンはあんたを救おうとしただろ……! それをあんたが拒否したんだ!」




「私を救えるのは君だけ。それに、あいつは私を救おうなんて微塵も思ってない。昔から、そういう奴だったから」




 怪異は椅子代わりにしていた虫を呼び寄せ、俺の目の前で座った。




「良い機会だから、あいつについて教えてあげる。ルー・ルシアンという祓い士は、禁術に手を出した。君の体内に埋め込まれた厄物の生成。本来、厄物というのは怪異の力が込められた呪いの類。力の制御は出来ず、正気を失って災いを起こす厄介な物。それをルー・ルシアンは、人工的に作り出した。何の為に?」




「それは、再利用出来る誘い役が必要だったから……」




「違うわ。あの女は単独で全ての役割をこなせる実力と才能がある。誘い役なんて、むしろ邪魔になるだけ」




「じゃあ……」




「最愛の人を蘇らせる為よ。でも、人を蘇らせるなんて、祓い士でも過去に例が無い事。そこで、死産した君に白羽の矢が立った。君の遺体を盗み出し、君に厄物を埋め込んだ」




「でも、俺はまだ生きてる。もしその話が本当なら、何故ルー・ルシアンは俺から厄物を取り除かない?」




「多分、育ててるんじゃないかしら? 植物の種を土に埋めただけで、すぐに芽が出ないように、あの女は芽吹くのを待ってる」




 正直言って、信じられない話じゃない。ルー・ルシアンとは長い付き合いだが、一度も信じられた事が無い。その理由は、俺を見る目だ。ルー・ルシアンの目には、俺の姿が映った事が無かった。


 厄物を取り除く約束をした日は、俺が十八になる頃。つまり、俺に埋め込まれた厄物は、三年後に芽生える。だとすると、ルー・ルシアンは最初から俺に普通の人生を与えようとしていなかったのか。


 信じていたわけじゃないが、期待はしてた。怪異と関わらない普通の人生を送れると。俺が、普通の人間になれる日を。




「……今から、どうにか出来ないんですか?」




「無理ね。あの女は嫌いだけれど、あの女が天才だという事は確かよ。厄物を作り上げるなんて発想も実現も、誰も成し得なかった事。実力差があり過ぎると、逆らうなんて考えが浮かばないの」




「でも、あんたは……」




「ええ、そうよ。私は違う。私は君を助けたい。私だけが君を助けられる。その為に、私は人間の身を捨てて、怪異となった。今の私なら、あの女が作った厄物を塗り替えられる」




 そう言うと、怪異は自身の翼から一翼を抜き、付け根の部分に血を垂らした。




「今から、君に呪いを掛ける」

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