モノクロ少女の生存法

@raito378

第1話 少女二人

「あんただけは逃げて!」

 そう言われたのは、もう掠れてしまうほど昔のこと。

 母さんは、うちをトロッコに押し込んで、勢いよくレバーを引いた。

 がくんと揺れて、意識が遠のく。より一層強くなった異臭も、その原因だろう。それと並行して、母親の姿は小さくなっていく。

 母さん!母さん!

 叫んだ声は、風の中に消えて闇に溶けた。曖昧な意識の中、何かが這いずるような音が聞こえる。

 そして、爆発音を最後に、完全にうちの思考は事切れた。


 嫌な夢を見た。もう忘れたと思っていたのに。最近は見なくなっていたのに。これだから宿を取れなくて浅い眠りになる野宿はいけない。今日は早めから開くか。朝は稼ぎが悪いんだけどな。かと言って夜遅くまでやると酔っ払いとかならず者がいっぱいだし…。

 やっぱり、朝早くからやろう。

 うちは、母さんのおかげで奈落から脱出してから、そこに入っていたブラシとボロ布を使って、靴磨きをしていた。俗に言う、奈落からの脱走者、蘇りだ。

 うちはミシロ。現在十五歳。一応成人はしてる。十五で成人扱いだからな。

 家はない。奈落に落とされたからな。稼ぎが良ければ宿屋、悪ければ路地裏で野宿。そんな日銭を稼ぐ生活だ。こんなにも振り回されるのも、最下層だから。奈落よりかはマシだけどさ。

 ポシェットから歯ブラシを取り出して、歯を磨く。そのあとは水道水で口を濯ぎ、顔を洗う。

 すると、手洗い場の影から白い何かが飛び出した。一瞬驚くが、直ぐに野良猫であることに気がつく。

 うちの隣を、野良猫が通り過ぎて行く。口にはそこそこの大きさの魚を加えて。ギュルルルと、お腹の虫が悲鳴をあげた。それを見てか、猫はうちと距離を置き、ちらりちらりとこちらを確認する。

 自分の餌を取られないか心配なのだろうか。大丈夫だよ、取らないから。と、手を振ってみる。それでもお腹の虫は鳴き止まないので、乾パンを口の中に三粒放り込んだ。

 それが行き届いたのか、お腹の虫はピタリと収まる。

 それを確認して、うちはまた歩き出す。足元を見ても、猫はいなかった。お互い、生きるのに必死なんだから。それを横取りなんてしちゃいけない。

 路地の窓で、うちの身だしなみをチェックする。少し前髪を整え、目元を少し下にやってみる。目付きばっかりどんどん悪くなっちゃうな。これじゃ、お客さんが逃げちゃう…。

 ダメだうち!こんな弱気じゃ、お客さんに来てもらうことも出来ないぞ!メソるな、うち!

 ちょうどいい木箱を取って、その上にブラシと布を乗せる。そして、まだ人の少ない大通りに出た。朝の冷え込んだ空気が、一本道を駆け抜け、その肌寒さに眉を顰める。もう春だって言うのに、まだこんなに寒いんだ。

 まあ、こんな荒廃した砂漠じゃ季節なんて関係ないか。昼は暑くて夜は寒い。それだけだ。まだ空気が温まり切ってないんだろう。そのうち茹だるように暑くなるぞ。

「さて、そこの道行くお客様!兵隊様に商人様!どんな仕事も足元から!その靴うちが磨きましょう!」

 昔っからこの売り文句は変わらない。力いっぱい大声をあげて、自分自身も鼓舞する。道行く人が、うちの事をちらりと見る。最初はこのくらいでいい。そのうちに、心の優しい人が来てくれる…はず!


 夕方。なんで誰も来ないのー!昨日まで、一人二人は来てくれたはずなのにさぁ!おかしくない!?炎天下の中ずっと声上げてたんだから、別に一人くらい来てくれたっていいじゃん!…はぁ、泣き言言ってもしょうがないよな。今日も野宿かぁ…。

「おーい嬢ちゃん」

「あ、はいただいま!」

 良かった!お客さんが来てくれた!豪勢な鎧を着て、あごひげを携えた中年の騎士が、木箱の上に腰掛ける。勲章の数はかなり多い。上位階級か。

「嬢ちゃん、もしかして蘇りかい?」

「なんでそう思うんです?」

 びっくりするのを必死で押え、平然を装う。ここで無駄に驚けば、それこそ蘇りですと言ってるようなものだ。それより、なぜ分かったんだ!?

「その焼き印、奈落の印だろう?」

 うちは、首を手で隠した。長い髪で印は隠してたはずだったのに。

 それに、これは王直属の兵隊や奈落の人しか分からないはず。

「なんでそれを!?」

 うちは、咄嗟に口を抑えた。まずい。ここでそれを認めたら、またあんな所に戻されてしまう。

「…俺もそうだからさ」

 その騎士は、首に不自然に巻かれたスカーフを外した。そして、兜を外す。そこには、確かに奈落の印が。この人も、蘇りなんだ。でも、この人かなり階級は上みたい。

「…かなり苦労しましたよね…?」

「苦労っていやぁ、家の風呂場しか使えないことだな。まぁ、逃げ出すんなら今のうちだぜ?これから、さらに警備が厳しくなる。ここらを牛耳ってる貴族の娘の、成人式があんだ。名前は…、なんだったかな。あぁ、クロネだ」

 逃げ出す…か、その必要はないだろう。一応、軍人の靴も磨いたこともあるし…。

 それより、クロネ…、クロネ…か。クロネ!?

「マジすか!?」

「知り合いか?」

「昔、少し世話になったんです」

 この人も、わかってるだろう。蘇りにとって、普通に接してくれる人がいることが、どれだけありがたいか。

 同じ、蘇りなのならば。

「困ってるなら、お互い様だよ。ほら、手貸して?」

 そう言いながら、彼女は私に手を差し伸べ、適当な衣類まで買ってくれた。

 貴族の身でありながら、その心は慈愛に満ちていた。他の連中とは全く違う。

 この国、アルデニカは、表面上の繁栄都市、そして地下世界、奈落に別れている。

 奈落では、鉱石の採掘をひたすらにやらされる。朝から晩まで永遠と。現世では、辺りに発生した異形たちの討伐に尽力してるように見えるが、実際は壁の中にひきこもり、時々飛んでくる異形を撃ち落としてるだけである。

 ちなみに、異形を狩るのが騎士の役目、治安維持、そして王直属の命令で動くのは兵隊や軍人の役目だ。

 彼らのように異形を討伐を生業としている騎士は、素材採集をさせられているんだろう。これも他国との交易品になるらしい。

 しかし、奈落で取れた鉱石の方が高く売れる。それなのに、奈落の人々は焼印を押され、まるで奴隷のような扱いを受けている。

「…よかったな。その子に会えて」

「はい。ところで、聖杯の儀はいつですか?」

「成人式当日、往来の目の前でやるんだとよ」

 なるほど。これで晴れて第一御令嬢の誕生って訳か。

 聖杯の儀とは、特殊な器、聖杯に水を張り、それに本人の血を一滴たらす。そして、その水が赤く染まるか黒く染まるかで光と影、どちらで暮らすかが決まる。赤なら現世、黒なら奈落。ちなみにうちは「もうやりましたから…」とか言いながら苦し紛れの言い訳で何とか誤魔化した。

 仮に奈落出身から赤に染った子供がいたなら、容赦なく引き剥がされ、孤児院に預けられる。

 ちなみに、これは生まれた時から十五年刻みで行う。赤から黒に変色していることもあるらしいから。しかし、黒から赤に変わることは無い。

「それとひとつ、妙な噂がたってる。眉唾物だけどな」

「なんです?」

「彼女の母親、再婚してるって話だ。なんでも、貴族だった先夫が奈落送りになったらしくな。その後、別の貴族の家庭に嫁いだって訳だ」

「へぇ…」

 知らなかったな、そんなこと。あの優しそうな奥さんが…。何度か見た事があるのだ。レストランでうちにご馳走してくれたりもした。

 ん、待てよ…?

「それってまさか!」

「そうだ。どちらか片方に奈落送りが出たら、その子供も奈落送りになる可能性が高い。たとえそれが後天的なものでもな。それと気がついてると思うが、彼女の父は前夫の方だ」

 つまり、彼女には奈落送りの血が流れてる…!彼女が聖杯の儀を行えば、高確率で奈落送りになってしまう!

 彼女まで、あの様な苦しい思いはして欲しくない。命の恩人なのだから。

「ねぇ、おじさん。採掘機ってここら辺ないですか?」

「採掘機?嬢ちゃん、何する気だ?」

「…恩を返すんです」

 もしも、赤ならうちの取り越し苦労で終わるだろう。

 でも、黒なら…。ザワザワと、全身の毛が逆立つのを感じる。悪寒が走るとはこのことだろう。

「俺の隊に五台ある。その一台を嬢ちゃんにやる。着いてこい」

「いいんですか!?」

「なに、落ちたならお互い様だ。式は明日だが、朝早くにやるそうだぞ?」

 つまり、早めに寝て明日早起きして彼女の裁定を見なきゃいけないってことか。

 うちは、木箱を路地裏に置いて、騎士の後を追った。

「おじさん、名前は?」

「クラディール・フォン・アストライアだ」

「アストライア家…」

 かなりの名家だ。そんなところからも奈落送りは出てきてしまうのか。

 すると、クラディールさんは肩に下げていた鞄からローブを取り出して、うちに被せた。

「ローブ羽織っときな。王城付近だ」

「こんなことまで…」

「水臭いこと言うなよ。お互い奈落を知った好みだっつったろ」

 鉄のドアを開き、ロウソクが煌々と燃える階段を下りる。

 そして、また鉄のドアがあった。それを開くと、そこには、機械技師の男性が数人何やらファイルを見ながら立っていた。

「おや、クラディール殿、何用で?」

「親戚の子供が、これに乗ってみたいと聞かなくてね。これ新台だろ?試運転も兼ねて、採掘機で家まで送ってあげようかと」

「左様ですか。承知しました。嬢ちゃん、楽しんでくるんだよ」

「はい!」

 こんなに優しくしてくれるのも、私が蘇りであることを知らないから。

 この印を見せたら、きっとすごい形相になるんだろうなぁ。

「嬢ちゃん、名前は?まだ聞いてなかったな」

「ミシロです。ただのミシロ」

「ミシロか。いい名だ」

 クラディールさんは採掘機の前に立つ。すごい、まだ新しい。傷一つついてない。

 しかもこんなの見た事ない。これが最新型か。

 片手にアーム、片手にツルハシ。足がキャタピラだったのが、タイヤになってる。

 何より、かなり大型になってる。

「エンジンはかかるな。旋回速度も…申し分ない」

 くるくると同じようなところを回る。機動力の確認か。すごい速い。うちの知ってる採掘機の三倍くらいの速さだ。

「よし。ミシロ、乗りな」

 こくんと頷いたあと、ハシゴを昇ってちょこんと助手席に座る。

 すると、採掘機が動き出した。

 ちょ、なにこれやっぱり速い!ほんと速く進むんだな!さすがは最新型!

 一気にスロープを駆け上がり、王城の外へやってきた。ほんとに速いなこれ。もっとのそのそ動いてたんだけどな。

「家は」

「ないです」

「なら俺ん家にでも停めとくか。明るくならんうちに行動しとけ?こんなの目立ってしょうがないからな。あと今日はうちに泊まれ」

「ありがとうございます!」

 砂埃を立てて、往来を駆け抜ける。

 すると、なにやらチラチラとクラディールさんがうちを見てくるので、首を傾げた。

「どうかしました?」

「…俺も、お前と同い年の娘がいてな。妻もいた。いい女だった。もう二十年は前か。四十だった俺と、まだ十八だったあいつが結婚したのは」

 なるほど。年の差婚ってやつか。

 それと、見た目以上に年取ってるんだな。六十歳か。五十代前半かと思ってた。

「その後、娘が生まれる前に、俺は奈落送りになった。四十五のときだ。その後、三年で何とかして奈落を抜け出して、五十の時に騎士団に入隊した。正直、生きた心地がしなかった。本気で愛した娘と妻は別の男に取られていたから。だから、見返してやろうと思った。その復讐心だけが、俺を駆り立てた。それで、俺はどんどん功績を挙げて、今じゃそこそこ顔の効く騎士になったわけよ」

「どうだ、俺の武勇伝だ」と、クラディールさんは笑いながら言った。

 でもそれは、武勇伝と言うにはいささか悲しく、報われない話だ。

「娘さんの名前は?」

「聞く前に落とされちまった。あいつ、産まれてくるまで教えないって言ってたからな。っと、着いたぞ」

 靴を磨いてる最中、雑談したりするから、聞いたことあるかもと思ったんだけどな。

 あっという間に、人気がない場所に着いた。そこに小屋がぽつんとある。

 それを確認したのか、キョロキョロと辺りを眺めたあと、クラディールさんは採掘機を停める。

「じゃま、入れや」

 そう言うと、クラディールさんは家に入っていった。

「これ、どうやって誤魔化すんですか!?処分は免れないんじゃ…」

「試運転の途中で異常をきたして崖に転倒。回収不可能になったって言っとくよ…。あ、ひとつ忘れてた」

 クラディールさんはくるりと振り返りながら、スカーフを外した。

 そして、それをうちに巻き付ける。

「餞別だ。これで奈落の印はバレないだろう。むさいおっさんの加齢臭の染み付いたものだけどな」

 クラディールさんはにっと笑った。

 でも、これがないとクラディールさんが…。

「クラディールさんは?」

「なぁに。俺ももう定年退職よ。今更処罰されたところで老後が少し荒むだけさ。それに、俺はここにいちゃいけないからな」

 このスカーフ、かなりボロボロだ。でも…、優しい香りがする。洗剤と、太陽の香り。

 家に入ると、なにやらガスをつけている真っ最中のようだ。そして、冷蔵庫から野菜を取り出し、小気味良いリズムを奏でながら包丁を振るう。手を洗いながら、意外と料理が得意そうだなと思う。男の人って、料理苦手なイメージだったけど。

「少し待ってな。ラジオでも聞いて」

「何から何まで…ありがとうございます」

「別にいいってことよ」

 豪快に笑いながら、クラディールさんは料理を続ける。

 うちは、そこにあったラジオのダイヤルを回した。すると、なんだかのノリのいい音楽が流れてくる。すると、クラディールさんが鼻歌を歌いだした。心做しか、野菜を斬る音もリズミカルになった気がする。楽しそうだな。知ってる曲なのだろうか。普段、ラジオなんて聞かないからな、よく分からないのだ。

「この曲は?」

「明けの大地っつぅ知る人ぞ知る名曲みてぇなのだ」

 んー、でもわかる気がする。この曲いいかも。歌詞は恋をテーマにされているらしく、とても情熱的に歌い上げられている。声質的に、おそらく女の人が歌ってるんだろう。それに、どこかで聞いたことがあるような歌詞…。曲は盛り上がり、サビに入る。


『君と夜に飛び出して どこまでもかけて行こう

水と希望だけを持って 息が切れるまで

誰も止められない 僕のこの思いは

あの昇る太陽のように 朝明けの大地』


 思い出した。母さんが、嬉しいことがあった時に、歌ってた。うちは古い記憶を再起し、鼻歌を歌った。母さんが歌ってるのを、思い出して。

「ふふーふふーふん」

「なんだ。ミシロも知ってたのか」

 料理をしながら、クラディールさんが嬉しそうに、聞いてくる。

「母さんが歌ってて…」

「へぇ、ミシロの母さんも知ってたのか」

「はい」

「そうなんだな、それと飯できたぞ」

 って、もうできたのか。これは野菜スープか、美味しそう。

 宿の食事も高くて食べられなかったため、久しぶりのまともなご飯だな。結構具沢山で、食べ応えありそうだ。

「いただきます」

「おう。たーんと食えや」

 お言葉に甘えて、一口食べてみる。

 なにこれ!美味しい!最近ずっと乾パンしか食べてなかったから、野菜スープと言うだけでブランドが乗ったように美味しい!

「美味いか?」

「美味しいです、とても!」

「そうか!まだまだあるぞ!」

 それから、二人で鍋いっぱいの野菜スープを平らげた。食べ終わる頃には、もうお腹いっぱいだ。

 途中でご飯も炊いてくれたため、更に箸が進む。

 そのあとは風呂に入り、ベッドの上で眠りにつく。クラディールさんはソファーでいいと言っていたため、お言葉に甘えた。これが、普通の生活か。こんなの、経験したこと無かったな。


 翌朝。

 うちは日が昇る前にクラディールさんの家を後にして、クロネの家の前にやってきた。採掘機の勝手が一緒で助かった。巨大な布をかぶせて、採掘機を隠す。

 あ、そうだ。採掘機ならもしかして…。確か右肩の部分に…あった!

『クロネ様のご入場です!』

 明け方。朝日が登って程なく、式は始まった。

 こんな朝方から起こされて、不機嫌じゃないんだろうか。

 しかし、彼女は綺麗すぎるほど笑顔だ。ほんと、作り物みたい。そう思うと同時に、彼女がうちの想像してる人と齟齬がないのを確認した。

 うちは、チャージピッケルを構える。これは採掘機の右肩に収納されてる道具で、硬い鉱石を掘り起こす際に使われる。子供一人くらいは吹き飛ぶ程の爆発を起こすんだ。

『早速、聖杯の儀に入らせてもらいます』

 この位置からだとよく見えるな。

 広間にできた吹き抜け窓から中の様子を確認する。人が集まらないうちに、壁を昇って移動したのだ。

「真正面にはクロネがいる。なら、このまま飛べば!」

 クロネが、置かれたナイフで指を傷つけ、聖杯に血を垂らす。

 あれは…まずい黒だ!

「おいこいつを見ろ!蘇りだぞ!」

 まずい、バレたか!

 兵隊らしき人物が声を上げる。…あれ?広場に集まった人々が、一点に集中している…。うちじゃないのか?

 あれは…、クラディールさん!?

「離せ!クソ!」

「暴れるな!」

『そやつを早急にひっ捕らえろ!』

 クラディールさんが、大勢の男に飛びかかられて、地面に倒れてしまう、でも…今なら、クロネのところまで飛べる!クラディールさんに注目が集まってるから!

 クラディールさん…ごめん!

 うちは、ピッケルを吹き抜けの先端の壁にひっかけ、ボタンを押した。すると中の燃料に点火し、大爆発を起こすのだ!

 ぐんときりもみ回転しながら、飛んでいく。景色が目まぐるしく変わり、今自分がどんな体勢をとっているのかも分からない。とりあえず、足を開き、姿勢をかがめた。そして、何とか踏ん張り、着地に成功した!

「あ、あなたは…」

「話はあと!掴まって!」

「待て!」

 豪勢な身なりの男性が警備員を連れてやってくる。

 この人が、今のクロネのお母さんの夫か。

「この子、もう奈落送りでしょ!なら、うちが救う!」

「そんなことまかり通るか!この国はな!奈落があるから成り立っているのだ!そこに送ることなど、なんの躊躇もせんわ!」

「ミシロ!伏せろ!」

 クラディールさんが、大勢の男性に飛びつかれながらも、何かをなげつけた。言われた通り伏せてみる。

 うちは、一瞬目を疑った。

「手榴弾だ!」

まずい、このままじゃ…!

「早く!」

「むぅ…」

 少し躊躇していたが、クロネはぎゅっと腰を掴む。

 急いで、うちはチャージピッケルを起動させて、往来の頭上を吹き飛ぶ。

「っと!」

「きゃっ!」

 少し着地の仕方がわかってきた。これは横に構えた方が飛びやすいな。

 何とか、クロネも着地できたみたいだ。

「クソ!止まれ!」

 父が警官から拳銃を奪い、発砲する!

 まずい、逃げないと!

「娘を撃って、それでも父親か!」

「あいつは奈落送りなんだ!豚同然だ!」

「やめてあなた!」

 飛び出して、銃を取り上げようとしたのは、クロネのお母さんだ!

 あの人、逃がそうとしてくれてるんだ!

「逃げて!二人とも!あなた、ミシロちゃんでしょう?」

「はい!絶対に…逃げてみせます!」

「アイシャ!」

 バンッと、銃口が鳴り響き、周囲のどよめきや罵詈雑言が鳴り止む。何かが倒れ去るような、音が聞こえてきた。

「クラディール!」

 振り向くと、膝をついて、クラディールさんが項垂れていた!胸から血を流し、それをアイシャさんが抱き抱える。

 アイシャさんに発砲したのを、クラディールさんが庇ったんだ。

 何があったのか、一瞬理解できなかった。でも、まだ息はあるみたい…、良かった…!

「父親失格だろうが…!娘の幸せひとつ願えねぇやつに、父親名乗る資格があるかァ!」

「や、やめろぉ…!近寄るなぁ!」

 ゆらゆらと、クラディールさんが立ち上がり、父親に歩み寄る。

 二発発砲するが、どちらも鎧の肩を掠める。

 そこから逃げようとするが、拳銃に引っ張られる。それを手放して、屋敷の中に駆け込んで行った。

 バルコニーには、二人とそこから少し距離を置く警官だけが残されている。

「クラディール…ごめんなさい。あなたのこと、最後まで信じられなくて…」

「いいさ…。最後に娘の成長した姿見れて、いい女の腕の中で眠れんだからなぁ…」

 消え入りそうな声で、うち達には聞こえなかったけど、何となく、分かった気がした。

 クラディールさんが…、クロネのお父さんだったんだ。

「クロネ、お前は逃げろ。俺みてぇにヘマすんなよ。ミシロ、クロネのこと、頼んだ…ぞ…」

 うちは、小さく強く頷いた。そして、クロネの手を引き、採掘機に向かう。

「お母さん…お父さん…」

「二人が紡いでくれた希望よ!無駄にする手はないでしょ!」

 うちは、精一杯クロネの手を引いた。

 辛いだろうけど、今この時が一番逃げやすい。

 警官は避難誘導で手一杯だし、父親が出てくる気配はない。

「うん…、ミシロちゃん」

「うちのことはミシロでいいわよ」

「うん、ミシロ」

 力強く、クロネが首を縦に振る。

「とりあえず、今は採掘機に乗るわよ。あれに入ればなんとかなるわ」

「それがあるのはどっち?」

 うちは、「あっち」と指さす。

 すると、クロネはうちを掴み、思いっきり投げ飛ばした!

「ひゃああああぁぁぁぁ!?」

 なにこれなにこれ!何が起こってんの!?

 うちの体は、何故か宙に投げ出されていた!なんで!?

 って、自由落下始めた!落ちる落ちるぅ!

「っと!到着ー」

「はぁ、はぁ…何今の?」

「聞いたことないかな?異質を持った人間がいるって。父さんの家系がそれみたいなんだ。だから、簡単にはへばらないと思うよ?」

 なるほど、クラディールさんが男性に飛びつかれながらも、あんなに動けていたのはそれを発動させてたからか。

 あれ?てことはあの人死なないかも?いらない心配ってわけじゃないけど、安心した。

「私は、時の使いってやつらしくてね。今のは、腕の速度と投げた瞬間のミシロの速度を早くしたんだよ。で、私もそこに移動して、そのあとあなたと周囲に流れる速度を遅くした後にあなたをキャッチ!どうかな?」

「なんで投げ飛ばせるのよ」

「多少無理はきくんだよねー、私の体。異質発動させてると」

 なるほど…。聞いたことはあるけど、まさかここまで強いものとは。

 おっと。着地地点の近くに採掘機が。これに乗って早く脱出しないと!

「早く乗って!」

「りょーかい」

 さっきから思ってたけど、偉く砕けた口調だな。

 別にいいけどさ。

「運転できるの?」

「勝手が一緒だからね…」

 ボタンを押した後、レバーを引く。

 すると、エンジンがかかった。よし、行ける!

 そのあとハンドルを握り、ペダルを踏み込む!

 勢いよく、採掘機が動き出したのを確認し、クロネは笑顔を振りまいた。

「すごい!」

「今のうちに説明書読んどいて!」

「なんで?」

「多分そろそろ…」

 うちは、分厚めの説明書を投げた。その後、公道へ躍り出る。

 猛スピードで、公道を駆け抜ける。

 車は一台も通ってない。普段なら異様な雰囲気だ。

「おかしいなぁ」

「こんなこと出来んのは、あいつらしかいないでしょ!」

 その時だ。後ろから、ズドンと音が鳴った!振り返ると、そこには、主砲から煙を吐き出している戦車が。

 軍人様のお出ましだ。

「ひゃあ!」と、クロネが頭を抱えて説明書を頭の上に乗せる。これで、身を守ったつもりだろうか?頭隠して尻隠さずとはよく言ったものだ。

「こっち見てる!めっちゃこっちみてるー!」

「そ、ならまずは一両…!」

 うちは、勢いよくバック走行し、建物と戦車の間を通り抜ける。

 戦車は、主砲があるので振り返れないのだ。

「ばっかでー、そんな厳ついもの引っさげてるからだぞー!」

「テンション高いわね、クロネ」

「だって楽しいもん!今まであんないい子やってると、疲れてくるんだよー。しかも退屈だし。それに比べてこれは刺激的だよー」

 楽しんでるのは何よりだけどさ。

 前から性格変わりすぎて、耳がキンってなりそう。

 さて、こっからが本番だ。

 国家権力がこんなにちゃちなもののはずがない。

 交差点を曲がると、そこには、大量の戦車が待ち構えていた!

「って!めっちゃいるー!」

「だろうね!だと思ったもん!」

『大人しく下車し、両手を頭の後ろに回して跪きなさい!』

 なるほど、降伏しろって言ってるのか。

 戦力ではあちらに部があると思ってるらしい。

「する気ある?」

「そんな無様なこと…するはずないでしょ」

 ペダルを力いっぱい踏み込み、応戦の準備をする!

「交代!」

「交代!?」

「操作方法わかったでしょ!うちはこっちするから!」

 何かを察したようで、「りょーかい」と、クロネは笑みを浮かべながら言った。

 まだ採掘機が止まっていない状況で、うちとクロネは席を入れ替わった。

 そして、うちはそこに置かれた二個のレバーを掴み、前に押した。

 そう、こちらはアームを操作することが出来るのだ!

「上手いじゃない」

「説明書通りにやったんだよー」

「ならこっちも…」

 うちは、思いっきりレバーを引いた。

 そして、その先端に着いたトリガーを引く。

 すると、アームが動いた。これでアーム先端…人間の体で言うと、指の部分だな。が動くのだ。

「負けてらんないわね…!」

 よし、使い勝手はわかった。

 戦車を殴り、そしてその戦車を投げ飛ばす!

『無駄な抵抗はやめろぉ!うわぁ!』

「無駄な抵抗?」

「結構効いてるみたいだけどね」

 うちらは顔を見合わせて笑う。

 今ので、大半の戦車は居なくなったけど…。

 って、何あれ!

「でっかー!」

「あいつ倒せば陣形が壊れるわね」

 周りはみんな小さな戦車ばかりだ。

 そんなのでは歯が立たないから、この大きいのができたんだろう。

 って!これもうガス欠寸前!?まさか、まだ導入されないからってちょっとしか燃料入れてなかったの!?

 あ、いいこと思いついた。これならいけるかも。

「クロネ。耳貸しなさい」

「ほいほい?なに?」

 うちは、クロネに作戦を伝える。

 クロネは、快く了解してくれた。

「さてと…行きますか!」

 うちは、戦車に特攻する。

 寸前で砲撃を避けて、一気に距離を詰め、体当たりした。

 でも戦車はビクともしない。

『参ったか!』

「あぁ、参った参った、こりゃ勝てないわー、強すぎるわー」

 うちは、採掘機から降りて手をヒラヒラとさせる。

 そう、勝てない。勝ち目はない。

 …うち一人じゃ。

「とぉー!」

『な!もう一人!』

 そう、うちはクロネにチャージピッケルを持たせ、戦車から死角になるところで待機させていたのだ!

 クロネは飛び上がり、戦車の真上に行ったところでチャージピッケルを発動させる。

 少し前に遡る。

「いい?チャンスは一度きり。もうこれには少ししか燃料はないし、チャージピッケルもあと一回撃てば燃料がカラになる」

「なるほど。失敗は出来ないねー」

「そう。で、作戦を伝えるわね。クロネは外に出て相手の死角になる場所で何かにつかまってて、うちが突進する。で、その後、クロネが飛び出して、チャージピッケルに点火。そこで異質を使って、時を速くしなさい。狙う場所は戦車の主砲がくっついてるところの後方の根元。で、そのあとその一帯の時の流れを遅くして、脱出。いいわね?」

「わかったー」

 これが最後のチャンスだ。

 これでダメなら、大人しく降伏するしかなくなる。

「雷撃!」

 クロネは、高速で回転しながら戦車に一撃を食らわせた。

 そして、高速でうちの元に戻ってくる。

「どーだった?」

「及第点ね」

「素直に褒めてくれてもいいのにー」

「よしよし」

「むふー」

 撫でてあげると、とても嬉しそうな顔をして、目を閉じた。なんか犬みたいだな。

 というか、なんだろうあの名前。さっきの高速回転しながら落ちて行ってたあれの名前かな?

「雷撃って何?」

「さっきのやつ、技っぽくない?」

「分からなくもないわね」

 その時、戦車で爆発が起きた。そう、うちが狙ったのはそれだ。

 弾薬庫の爆発。ついでにエンジンも爆発してるかもしれない。

「しょ、消火作業急げー!早くしろー!」

 機長らしき人が出てきて、他の乗員に命令する。

 逃げるなら今のうちね。

「今のうちに逃げるわよ」

「にーげろー!」

 幸いにも、すぐそこに路地がある。あそこに入ればこちらのものだろう。

 採掘機の燃料が持ってくれたら楽だったんだけどなぁ…。

「居たぞ、こっちだ!」

「包囲網急げ!」

 くそ、もう追っ手がかかったか!なんとも勤勉な事だな!

 そうだ、こうなれば屋根の上を伝った方が早い!

「クロネ!異質を使って!屋根の上の方が速いわ!」

「お腹すいて力出ないよー」

「…は?」

 何言ってんの?クロネは。お腹すいて力出ない?

「我慢は?」

「できないー!あ、ヨダレ出てきた」

 たらりと出てきたヨダレがうちの一張羅に掛かる。

 気に入ってたのに…。いや、そもそもこれも彼女から貰ったものだけどさ。

 サイズが大きめだったから、かなり重宝してるんだ。

「うぇ…」

「ごめーん!」

 今もダラダラと服に着いているヨダレを増やされながら言われてもなぁ…。

 日は頂点に差し掛かり、昼真っ盛りだ。

「もう乗って!」

「きょーしゅくでーす…」

 うちは、クロネを背負って走り出す。こちらの方が早いからな。

 途切れ途切れに口を開くクロネの言葉を繋げると、『異質を使うと、凄くお腹が空いてしまう。だからこのようにへばってしまった』との事。つまり、スタミナ切れだな。

 今度から、多めに食料を持ってた方がいいかも。

「これ食べてて」

 ポシェットの中から乾パンの缶を取り出し、一つとって放り投げる。すると、それ目掛けて犬のようにクロネが飛んでいく。そして口で直接キャッチ。崩れそうになった体勢を立て直し、続けて三つ投げる。それもまた口でキャッチした。

 もちゅもちゅと、音を立てながら咀嚼するクロネは、心底幸せそうだった。

「けふっ。もっとー」

「ダメよ。節約しないと」

「ミシロのケチんぼー!」

「お金が無いのよ。チャージピッケルの燃料も買わないとだし、それも貴重な食料なんだから」

 元気を取り戻したのか、ブンブンと揺さぶってくるクロネ。転けそうになるが、踏ん張って持ちこたえる。

 こんな子があんないい子してたなんて…、どんだけ溜め込んでたんだろう。

「発見!発砲用意!てぇ!」

 って、撃ってきた!?距離があるから当たらないけど、かすりでもしたらまずいな。

「やーいへたっぴー!当たらないよーだ!」

「何相手を刺激してるの!それと、そんなことは自分の足で走ってから言いなさい!」

 ぺちぺちとお尻を叩いて、兵隊たちを煽るクロネは、偉くイキイキしていた。

 大笑いしながら、後ろを指さしている。と思っていたが、それが急にピタリと止む。

「あー、言い難いんだけどさ」

「何よ、乾パンならあげないわよ」

「相手、ロケットランチャー持ってる」

 ロケットランチャー。そーかそーか、ロケットランチャーかー。兵隊って言っても国直属の機関だしなぁ。持っててもおかしくないよなー。

「ロケットランチャー!?」

「うん、こっちに照準を定めてるみたい」

 まずい!唐突な発言すぎて一瞬思考が幼児退行してた!

 何かないか!このままじゃ木っ端微塵粉微塵だぞ!

 あ、あれはマンホール!そうだ、下水道に逃げよう!

「あ、いいところに!」

「あれって、マンホール?…まさか!」

「そのまさかよ、下水道に逃げ込むの!」

「うぇ!」

 クロネはこれでもかと言うくらいに嫌な顔をするが、このままじゃ埒があかない。

「我慢して!」

「後でレストランだかんね!」

「節約しないとなんだけど…!まぁいいわ。許容範囲なら」

「交渉成立…だけど、行きたくないなぁ…」

 ああもう来ちゃう!

 うちは、クロネを押し込み、その後、自分も飛び込んでマンホールの蓋を閉めた!

 向こうで、くぐもった爆発音が聞こえてくる。

「ふべっ!」

 何やら変な声を上げるクロネを見下げながら、うちは下水道に続くハシゴを下がった。

 やがて、床が見えてくる。真っ黒で、温かみのない床。おまけに臭いもきついときた。長居はしたくないなぁ。

 ライターをつけて、当たりを照らす。そして、なにやら立ち止まっているクロネの手を引いた。

「走るわよ!」

「舌噛んだー!」

 押し込む時に頭を押してしまったから、その時舌をかんでしまったのか。

「血は?」

「出てないけど、痛い!」

 って、なんか落ちてきた。音的に、何やら硬いものみたい。カランカランっと。

 ついさっきも聞いた気がする…。

 まさか!

「走って!」

「なんでー!」

 自分のことを慰めろと言わんばかりに涙声になるクロネ。

 でも、今は構ってる暇はないんだよ!

「手榴弾投げ込まれてるの!」

「えー!」

 その時、ドカンと音が鳴る。

 やばい、爆発してる!

「爆弾ー!」

「逃げて!」

 うちらは、ただただ走った。

 下水道までは入ってこないのか?足音は聞こえてこない。

「巻いた…みたい?」

「そう…みたいね…」

 さすがに疲れたな…。

 もうなんか、下水道の臭いも気にならないほど、うちらは必死に走ってた。

 その代わり、コツコツと何かを削るような音が聞こえる。

 下水道の鉄格子の向こうに、オレンジの光が見えた。

 うちらは、それにピタリと顔を張りつけた。そこから見えたのは、消して思い出したくない過去の自分だ。

 そう、あれは奈落だ。

「あれは…?」

「奈落よ。この世の地獄みたいな場所。あそこで働かされてたの。うち」

「…酷い」

 口を抑え、嗚咽を漏らすクロネ。やはり、上で過ごした彼女には刺激が強かったか。

「…救いたい」

「今は無理よ。あまりにも無力すぎる。この国の、闇と戦うには」

 うちだって、逃げ出して隠れてるのが精一杯だったから。クロネは決して反論してくることは無かった。確かに、彼女の異質は強いが、実を言うとこの国の王も異質を使うとの噂がある。

 うちらは何も言わず、その場を離れた。無力感に苛まれながら。

 しばらくして、クロネがとんとんと肩を叩く。なんだろう。お腹が痛いのか?それともお腹が空いたのか?

「どうしたの?」

 クロネは、口元を抑えてプルプルとしている。何も言わないが、うちは察した。あ、これまずいやつだと。

「ちょ、何グロッキーになってんのよ!」

「下水の臭いが…うぷっ」

「我慢なさい!ほら、あそこ脇道だから!下水のそばは避けるから!」

 うちは、クロネの手を引き、曲がり角を曲がり、流れる下水から少しでも離れようとした。確かにかなり臭いキツイからな…。うちも口で息をしている。だが、やはりどこか臭う。

 何とか、臭いがマシになるところにやってきた。何とか、最悪の事態は免れたわね…。

 深呼吸とかさせておいた方がいいよな…。いい空気なんてお世辞でも言えないが、さっきの空気より幾分かマシだろう。

「ほら、息を吸って」

「すぅ…」

「吐いて」

「おぇー!」

 しゃがみこみ、嗚咽するクロネ!やばい、ゲロ吐いた…?

「だ、大丈夫…?」

「なーんて!もう大丈夫だよー」

「びっくりさせないでよね…」

「えへへー、ごめん」

 とにかく、クロネが無事で何よりだ。かなり顔色悪かったから、心配してた。

 おっと、ライターの燃料が残り少ない。換えのライターオイルあったかな。…あ、あった。あれ、これはローブ?もしかして、クラディールさんの貰ったままだった?

 あ、これ使わせてもらおう。

「そだ、クロネ。これ被って」

「ローブ?」

「顔バレしてるでしょ。貴族なんだから」

 うちもバレてるかもしれないが、クロネの方がバレる可能性は高いだろう。クラディールさんから貰ったローブをクロネに被せる。

 というか、そろそろ下水道から出たいなぁ…。

 でも、なんか…、迷ったかも。

「ねぇ、そろそろ休憩しよーよー」

「そうね…、なら、今日は奮発するわ」

「奮発?」

 そう、自分へのご褒美に買っておいたのだ。今日は頑張ってくれたし、二つとも開けてしまおう。

 じゃじゃーん!ツナ缶ー!とても美味いんだこれが!うちは、それを高く掲げた!

「おー!開けてー」

「うん、待ってなさい」

 ポシェットの栓抜きで、蓋を開ける。ライターの光でキラキラと光るツナを見て、クロネは目を輝かせた。一つのツナ缶をクロネに与え、もう一方をうちが貰う。

 クロネは「はぁ…!」と感嘆を漏らしながら、一口運ぶ。そして、感想を一言。

「んー、庶民の味」

「それ美味しいって意味?」

「そーゆーことー」

「語弊のある言い方だな」と思いながら、使い捨てスプーンでツナを掬い、口元へ運ぶ。とろりと、ツナの塊が舌の上で溶けた。うーん、クラディールさんのご飯も美味しかったが、これはこれでまたひと味違う良さがある。ちなみに、この容器には特別加工がされてるため、どんなに暑かろうが中のツナが腐ることはない。

 そういえば昔、お客さんから聞いたことがある。この世界のどこかには『ウミ』というものがあるらしく、ツナはそこで泳いでいる魚の肉らしい。川とは何が違うのだろう。何やら、広くて水がしょっぱいらしいが…。やっぱり、人から得る情報より自分で見た方が分かりやすいな。

 そんなことより今日のご飯だ。その美味しさに不意に、笑みが毀れる。それを見て、クロネが上機嫌そうに「ミシロが笑ったー」と笑った。

 ツナ缶だけじゃ腹が膨れないので、乾パンも三つずつ食べる。これは味気ないけど、お腹が膨れるので重宝する。

 食べ終わった後、うちはいいことを思いついた。クロネに面白いものを見せてあげよう。

「クロネ。いいものの作り方教えてあげる」

「いいもの?」

「そ、いいもの」

 うちは、ポシェットから栓抜きと麻紐を取り出して、元通りの見た目になるよう折り目をつけて、栓抜きで穴を開けたあと、麻紐をグジグジとねじり込む。そこに、燃料の少ないライターの火を近づけた。

「うわぁ、綺麗…」

「でしょ?母さんに教えてもらったの」

「…へぇ、そうなんだ…ライターの火より、なんか素敵だね…ふぁう…」

 一つ欠伸をして、目元を擦るクロネ。「眠いの?」と聞くと、小さな声で「うん…」と答えた。

 この下水道にいると時間感覚が狂いそうだが、あれだけ走ったりしたら疲れるだろう。朝も早かったみたいだし。

「…じゃあ、ここで寝る?」

 力なく、クロネが頷く。確かに、お腹が脹れてきたら眠くなってきたなぁ…。うちも寝よう。脇道に逸れたため、下水道の臭いは少しマシになってるし。うちは、突如として訪れた睡魔に抗うことなく、眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る