モノクロ少女の生存法

ライト

第1話 少女二人⑴

「あんただけは逃げて!」


 そう言われたのは、もう掠れてしまうほど昔のこと。


 母さんは、うちをトロッコに押し込んで、勢いよくレバーを引いた。


 がくんと揺れて、意識が遠のく。より一層強くなった異臭も、その原因だろう。それと並行して、母親の姿は小さくなっていく。


 母さん!母さん!


 叫んだ声は、風の中に消えて闇に溶けた。曖昧な意識の中、何かが這いずるような音が聞こえる。


 そして、爆発音を最後に、完全にうちの思考は事切れた。




 嫌な夢を見た。もう忘れたと思っていたのに。最近は見なくなっていたのに。これだから宿を取れなくて浅い眠りになる野宿はいけない。今日は早めから開くか。朝は稼ぎが悪いんだけどな。かと言って夜遅くまでやると酔っ払いとかならず者がいっぱいだし……。


 やっぱり、朝早くからやろう。


 うちは、母さんのおかげで奈落から脱出してから、そこに入っていたブラシとボロ布を使って、靴磨きをしていた。俗に言う、奈落からの脱走者、蘇りだ。


 うちはミシロ。現在十五歳。一応成人はしてる。十五で成人扱いだからな。


 家はない。奈落に落とされたからな。稼ぎが良ければ宿屋、悪ければ路地裏で野宿。そんな日銭を稼ぐ生活だ。こんなにも振り回されるのも、最下層だから。奈落よりかはマシだけどさ。


 ポシェットから歯ブラシを取り出して、歯を磨く。そのあとは水道水で口を濯ぎ、顔を洗う。


 すると、手洗い場の影から白い何かが飛び出した。一瞬驚くが、直ぐに野良猫であることに気がつく。


 うちの隣を、野良猫が通り過ぎて行く。口にはそこそこの大きさの魚を咥えて。


 ギュルルルと、お腹の虫が悲鳴をあげた。それを見てか、猫はうちと距離を置き、ちらりちらりとこちらを確認する。


 自分の餌を取られないか心配なのだろうか。


 大丈夫だよ、取らないから。と、手を振ってみる。それでもお腹の虫は鳴き止まないので、乾パンを口の中に三粒放り込んだ。


 それが行き届いたのか、お腹の虫はピタリと収まる。


 それを確認して、うちはまた歩き出す。足元を見ても、猫はいなかった。お互い、生きるのに必死なんだから。それを横取りなんてしちゃいけない。


 路地の窓で、うちの身だしなみをチェックする。少し前髪を整え、目元を少し下にやってみる。


 目付きばっかりどんどん悪くなっちゃうな。これじゃ、お客さんが逃げちゃう……。


 ダメだうち!こんな弱気じゃ、お客さんに来てもらうことも出来ないぞ!メソるな、うち!


 ちょうどいい木箱を取って、その上にブラシと布を乗せる。そして、まだ人の少ない大通りに出た。


 朝の冷え込んだ空気が、一本道を駆け抜け、その肌寒さに眉を顰める。もう春だって言うのに、まだこんなに寒いんだ。


 まあ、こんな荒廃した砂漠じゃ季節なんて関係ないか。昼は暑くて夜は寒い。それだけだ。まだ空気が温まり切ってないんだろう。そのうち茹だるように暑くなるぞ。


「さて、そこの道行くお客様!兵隊様に商人様!どんな仕事も足元から!その靴うちが磨きましょう!」


 昔っからこの売り文句は変わらない。力いっぱい大声をあげて、自分自身も鼓舞する。道行く人が、うちの事をちらりと見る。


 最初はこのくらいでいい。そのうちに、心の優しい人が来てくれる……はず!

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