第7話 鬼嫁さんの泣き顔

「神楽雑貨店に新商品が入ったのですか?」

「桜花がそう言ってました。どんな商品かは知りませんが」

「なら近々顔を出しにいかないとですね。お義母様達にも近況報告をしなければ」

「は、はい…」

「その時は私1人でも大丈夫ですよ。雑貨店が開いている時は他の妖怪と遭遇してしまうので」


 実家の手伝いをした日の夜。私と雅さんはダイニングテーブルを挟んで夕食を取っていた。


 しかし雅さんの座る位置は私の目の前ではない。なるべく面と向かわないように斜め前に座ってくれていた。


 今まで怯えるだけで気にしなかったけど、雅さんにとってはあまり良い気持ちにはなってないかもしれない。


「だからと言って目の前はまだ……」

「小春様?」

「い、いえ。何でもありません」


 私は独り言を誤魔化すように味噌汁を飲む。毎日作ってくれる雅さんの料理はとても美味しかった。


「……味噌汁、美味しいです」

「えっ?」

「いや味噌汁だけじゃなくて他のおかずやご飯も…」


 今までほとんど沈黙の食事だったから変わるためにも感想を言ってみる。

 けれど雅さんは少しだけ目を丸くして止まってしまった。


 何か気に障ることでもあったのかと心臓がバクバクと鳴り始める。


「ふふっ」


 しかし雅さんの小さな笑い声が私の耳に届いた時、心臓の音は緩やかになった。

 雅さんは片手を口元に当てて目尻を下げる。


「そう言ってもらえて何よりです。今日のメニューは小春様の好みでしたか?」

「あっ、えっと」


 雅さんは昨日と同じ笑顔を浮かべてくれている。桜花の前とは違う笑顔。

 とても綺麗で優しくて顔が熱くなるような表情だった。


「小春様は味付けが濃いめでガッツリなものが好きだと思っています。私が作る料理は和食が多いのであっさり系がよく出てきてしまうんですけど」


 ちゃんと私の食の好みを把握してくれていたんだ。なのに私は雅さんの好きな食べ物すらわからない。


 心の中ではベラベラと喋っているのに、口に出すことは躊躇してしまう自分が嫌になってきた。


「あ、あの」

「どうしましたか?」

「雅さんの料理は……いつも美味しい、です。ずっと思ってはいたんですけど言えなくてごめんなさい」


 言えた。私、ちゃんと言えた。


 でも視線は相変わらず雅さんの瞳に向けられない。長年培った妖怪への恐怖は決意だけでは消えてくれないようだ。


 私はゆっくり味噌汁を置いて雅さんの反応を待つ。しかしいつまで経っても雅さんから声がしない。


「雅さん?」


 私は恐る恐る視線を上げて雅さんの様子を確認した。


「っ…!」


 その瞬間、私の目は大きく開く。


 だってあの雅さんが口元に手を当てたまま目を真っ赤にして潤ませているのだ。

 それはもう泣く寸前。私はガタッと椅子から立ち上がった。


「そっ、そうですよね!料理の感想くらい言わないとふざけんなって思いますよね!本当にごめんなさい!私は確かに味濃いめ脂多めが好きですけど、雅さんの料理は好み関係なく好きなんです!実家で出ないような凝った料理は目と口で感動していますし…!」


 自分は何言っているんだと頭の片隅で思いながらも口は止まらない。

 さっきまで気持ちを言葉にすることさえ億劫だったはずなのに。


「勿論、雅さんに感謝しているのは料理だけじゃなくて他の家事もです!全部完璧なくらいにやってくれて頭が上がらないです!私がやったら塵と灰になっちゃいます!ああでも!これからは雅さんと一緒に何かやらなきゃなぁと思っていますので!」

「こ、小春様…」

「本当にごめんなさい!!」


 ダイニングテーブルにおでこを叩きつける勢いで私は頭を下げる。今まで言ってなかった分の全てを表に出してしまった。

 完全に焦っている。


 だって凛々しくて泣くことは無縁だと思っていた雅さんが泣きそうになっていたのだから。

 多分、もう溜まった涙は流れているはず。


 一気に静かになったリビングの時は遅く感じた。


「小春様、失礼致しました。顔を上げてください」


 数秒後、いつも通りの雅さんの声が聞こえて私は顔を上げる。

 ジッと見つめることは出来ないけど涙目は変わらなかった。


「小春様は何も悪くありません。私が取り乱してしまっただけです」

「……その取り乱した理由を言うことって、出来ますか?」


 私の視界の端で涙を拭う雅さんが映る。謎の冷や汗が首から背中へと伝っていく。


「何事も初めての嬉しさは深く心に刻まれるのですね。これは嬉し涙ですよ」

「嬉し涙…?」

「最初は無理して私のために言ってくれているのかと思ってしまいました。けれど途中でそれは小春様の本心からの言葉だってわかった瞬間にどうしようもなく嬉しくなってしまって」


 雅さんは流れた涙を拭き終わるとこちらに顔を向けてくる。


 しかしこの期に及んでも目を合わせることが出来ない私。

 また自分が嫌いになりそうな感情が出てくるけど、雅さんの優しい視線がそれを綺麗に浄化した。


「ふふっ、ダメですね。今凄く小春様に触れたいなと思ってしまいます。これも初めての感情です」


 雅さんは椅子から腰を上げるとテーブルを挟んだまま私へ手のひらを向けてくる。


「ちょっとだけ触れることは出来ますか?」

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