第三十六話 雨蛇町
氷川駅東口には巨大な異人街が広がる。南に位置する東銀座、北東に位置する一宮である。異人組織が多数存在し、複雑な勢力図を形成している。
しかし、東口には比較的争いが少ない緩衝地帯も存在する。東銀の北部、一宮の西部に接する
雨蛇町には雨蛇神社が存在し、東銀、一宮双方の異人や普通人が参拝している。
神のお膝元では争わないということだろうが、別の神を崇拝している異人には関係ないので、あくまでも比較的争いが少ない……ということである。
雨蛇町は個性的なカフェやレストランが並ぶ落ち着いた街並みだ。俗に言うお洒落スポットであり、カップルの間で人気がある。近代的な建物と古民家が混在しており、一日回っても飽きない。
雨蛇公園には森や池、日本庭園があり、都会にいながら自然を楽しめる。雨蛇公園は八十ヘクタールの面積を有する都市公園だ。雨蛇神社は雨蛇公園の中に建っている。
シュウとシャーロットのデートプランは、ホテルの中にある高級フレンチ「ザ・グラン・雨蛇」で食事をして、雨蛇公園を散歩する……というシンプルなものである。
レストランはホテルの二十五階にあり夜景を楽しめる。二人は未成年なので飲酒はできないが、オリジナルジュースやノンアルコールカクテルが豊富にあり、困ることはない。
デート当日の早朝、シュウは自室で頭を抱えていた。目の前には呼び出したチェンがいる。その顔は眠そうだ。
「シュウの兄貴、プリンスタワー・AMAHEBIって一泊十四万円するホテルだヨ? そこのフレンチで食事するの? スラム出身の兄貴ガ? コース料理食べたことないでショ」
チェンの言うことはもっともである。シュウはナイフとフォークの使い方を知らない。
「……ああ。問題はそれだけではない。服が無い!」
シュウの服装は甚平かパーカーである。これだと入店を拒否される可能性があるらしい。
「いっそのこと、甚平で行けば良いんじゃない? 正攻法で無理なら笑いを取るんダ」
シュウはチェンに掴みかかった。その顔は必死である。
「笑いを取っても店に入れなきゃ意味が無いだろ! お前もついてこいよ! マジで」
チェンは肩を揺らされながら面倒くさそうに答える。
「リン姉には言うなって言われてるけど、二人で後をついていくことにしたかラ。安心しなヨ。さすがにホテルまでは入れないと思うけど、外で待ってるカラ。良い雰囲気になりそうだったら帰るヨ」
チェンの言葉にシュウは安堵した。
「そ、そっか。それは心強いな。でもシャーロットさんは異常に勘が良いから気を付けてくれ。……ということは、服さえ何とかすればいいか」
シュウはスマートフォンで情報収集を開始した。神速のスワイプ&タップでサイトへアクセスしていく。
今回ばかりはリンを頼れない。兄としてのプライドがある。
「おい、チェン。お前ガキだけど情報屋として色々な場所へ行くだろう? こういう時は何を着ていけば良いんだ?」
「スーツで良いんじゃないノ? 手堅いでしょ。ああ、黒いと葬式みたいになっちゃうカラ、チャコールグレーとかサ。ネクタイはいらないと思うヨ」
「なるほどな。こんな朝早くからやっている店というと……氷川横丁だな。質は悪いが、何でも揃う」
氷川横丁は
しかし、スーツを買うくらい大丈夫だろう。
シュウは勢いよく立ち上がった。その顔は使命感に燃えている。
「そうだ、兄貴。服も大事だけど食事のマナー気を付けなヨ。クチャクチャそしゃく音出したり肘をついたりサ。クチャラーは女性に嫌われるらしいヨ。異人街の七割はクチャラーに分類されると思うケド」
チェンも立ち上がった。どうやらシュウの買い物に付き合うらしい。
「この前、シャーロットさんと中華料理店に入ったけど、食べ方がキレイだったカラ。て言うか、お行儀が良すぎて逆に浮いていたカラさ。野暮ったいヒゲの店長が恐縮してたカラね。兄貴の下品な犬食いは引かれるんじゃないカナ?」
思い当たる節が無いこともない。シャーロットとは何度も食事を共にしたが、たまに珍しいものを見るような顔をしていたことがあった。すぐに笑ってくれたので、それで良いと思っていたが、フレンチともなるとそうはいかない可能性がある。
「ああ、クソ! お師匠にはテーブルマナーまでは習わなかったよ! 習ったのはスラムの流儀と戦闘だけだ」
「じゃあ、兄貴。朝食は異人喫茶でコースを食べよウ。付き合うから奢ってくれヨ」
異人喫茶はエスニック系の創作料理がメインだが、洋食も食べられる。この間の事件でシュウの顔は知られているが、オーナーの八神なら出禁にはしないはずだ。
「まあ、割った窓ガラスの修理費は出そうかな。あの時は逃げちまったから。まずは謝って、美味しい料理を出してもらおう」
シュウとチェンは今晩のデートの準備のため、便利屋の事務所を後にした。まずは氷横へ服の調達に向かうことにしたのである。
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