25 選択

 バウリットとの記憶をどうにかサクナに見せることができた。

 チーリは相変わらず呼吸が苦しく肺が痛かった。いつの間にか布団に寝かされている。心配そうにこちらを覗くサクナには消耗している様子はなかった。

「あなた、大丈夫なの?顔色がとても悪いようだけど…」

「そんなことは、今はいいんです。サクナさん、どうするか、決まり、ましたか」

 サクナは唇を噛み舌を向いてしまった。

「サクナさん、時間が無いんです。今どれだけ時間が経ったか分からないですが、明後日には王国軍が戦を始めてしまいます。それまでに…」

「そんな…あなた、ここへ戻ってから長い間眠っていたのよ。あなたが着いた日を基準に明後日と言っているなら、もう半日もないわ…」

「そんな…」

「迷っている時間はないわね。チーリ、私の話を聞いてくれるかしら?」

「今は、そんな時間は…」

「分かってるわ。…だけど、それでも聞いてちょうだい」

 サクナは横になっているチーリの側に座ると、手を握った。

「あなたが力を捨ててくれなかったら、あなたがバウリット様の声に耳を傾けなかったら、あなたがバウリット様の声を聴かせてくれなかったら…私は間違った決断をするところでした。そして、それはこの国に住まう全ての人々を巻き込む、最悪の決断となっていたでしょう。あなたには感謝しています。例え戦を止めることが間に合わなくても、私は『星の娘』として、『星影』の指導者としての責任を果たします」

「サクナさん、あなたは一つ勘違いしています。おそらくバウリットも」

「何かしら?」

「俺は、誰も犠牲になるべきじゃないと思っています。あなたもバウリットも最後に自分を犠牲にすれば道を正せると思っているようですけど、それは間違いだ。もし、あなたが倒れてしまえば、それは新たな争いの火種となります。復讐が復讐を、血が血を呼ぶ新たな『惨劇』です。俺は、そんな選択をあなたにして欲しくない」

「ええ」

「俺たちはみんな揃って、誰一人欠けることなく、平和な世界を生きなければならない。みんながみんな、素直に生きたいように生きていくんです」

 チーリはサクナの手をギュッと握り返した。

「だから、簡単に『自分だけ』が責任を果たすなんて言わないでください」

「…そうね、私が間違っていたわ。…全く『星の娘』だなんて祀られて、間違いばかりで…自分が自分で嫌になる」

 サクナはチーリの手を離すと、顔を見つめてきた。

「だけど、それはあなたもよ」

 チーリはサクナに笑いかけると、立ち上がった。

「そうですね…さあ、まずはイーゴやローレルさんのところへ行きましょう。あなたはもう、日の光のもとで生きていけます。初めから誰もがそんな権利を持っているんですよ」


「チーリ!アンタ、全然戻ってこないから心配したんだよ」

 戻るや否やイーゴが駆け寄ってきてチーリを抱き締めた。

「『星の娘』様か?…なぜ、ここへ?」

 イーゴを見張っていたであろう男たちが戸惑いの声を上げている。

「あれが…じゃあアンタ説得に成功したんだね?」

 イーゴはニヤリと笑い、チーリの背中を思い切り叩いた。

「俺は説得してないよ。サクナがちゃんと自分で選択してくれたんだ。平和な道を歩みたいって」

 チーリは咳き込みながら答えた。

「後は彼らが選択する番だ」


 サクナは背後からチーリやイーゴに見られていることを感じていた。

 どう伝えようか迷っているとローレルが側に寄ってきた。

「サクナ様…あなたのご決断を皆に話してあげてください」

「ありがとう、ローレル」

 サクナは一歩前に進み話を始めた。

「皆、よく聞いて欲しい。これが私の『星の娘』としての最後の言葉となるでしょう」

 ざわざわと話す声がやまない。しっかり聞いて欲しい。だが、彼らが困惑する気持ちもよく分かる。普段は聖樹の中に籠り、直接会うことなどほとんどないのだ。

 特に代替わりしたばかりのサクナに会ったことがある人など、ほとんどいない。

 それが『星の娘』としての最後、だなんて。

 どう切り出そうか悩んでいた。必ず反発は起こるだろう。しかし、それに応える時間が、もうない。

「アンタたち、自分の頭の言葉も黙って聞けないのかい?何なら私がアンタたちが黙って話を聞けるようにしてあげようか?」

 イーゴが『星影』に向かって怒鳴った。その後、こちらを見て頭を下げる。

 そのままイーゴの姿を目で追っているとチーリの姿が見えた。

『みんながみんな、素直に生きたいように生きていくんです』

 チーリの言葉が脳裏に浮かんだ。

 自分を飾るのはやめよう。私は明るいところで友達と笑って過ごしたいだけの、どこにでもいるただの少女だ。

 まずは彼らに一生懸命に話をしよう。そしてその後はサージ国王だ。

 全てが終われば、ローレルとお出かけしよう。

 チーリとも遊びたいし、イーゴさんのお話も聞いてみたい。

「私たち『星影』は今日、ただいまをもって解散します」

 

「サージ様、夜分遅くに申し訳ありません。チーリとイーゴ、それから『星の娘』と名乗る少女があなたに会いたいとやって来ています。また明日出直してくるよう伝えたのですが、『約束がある』と言って一向に引き下がらないのです。どう致しましょう」

「構わぬ、通せ」

「分かりました」と言い去っていこうとしたセッタに「戦支度を止めるよう、全軍に通達せよ」と指示を出した。

 セッタにはチーリたちが戦を止めるために行動していることを伝えてある。それだけで全て理解するだろう。

「はっ」と敬礼して去って行った。

 さっと服を着替え、部屋の扉を開く。それから椅子に座る。

 これから訪れてくるのは長い間我が国の打倒を願って来た組織の長だ。いくら非公式とはいえども、ある程度の形式は必要だろう。

 それにしても、チーリたちはよく間に合ったものだ。

 二日というのは普通に準備をしていれば必要とする時間だった。私は開戦を遅らせるなんてことはしていない。

 誰の血も流したくない、というのはもちろん本心だった。だが、民たちが困っていることもまた真実だった。

 私はどちらかを選ぶ必要があった。

 戦をして〈メス〉の民の子孫たちの血だまりの上に見せかけの平和を築くか。

 民たちはもう少し苦しむことになるが誰の血も流れない真なる平和を築くか。

 その決断に迫られた時、私はそのどちらも選択できなかった。

 セッタに彼らの本拠や準備が整いつつあることを知らせた。その後はセッタや他の兵士たちの決定に承諾していくのみだった。

 血に塗れた平和に進んでいた。

 それが正しいか間違っているか、選ぶことはできなかった。

 しきりに会おうとしてくるチーリを避けていたのは、もう選択肢を増やしたくなかったからだ。

「あんたは、迷っているんじゃなくて逃げてるんだよ。血を流したくないと決断したその先で、そこに血が流れてしまうんじゃないかって言い訳してね。それならあの坊やたちに賭けてみりゃいい」

 母様にそう言われて、やっとチーリたちに会う決心がついた。

 廊下から足音が聞こえてきた。


「失礼します。夜分遅くに申し訳ありません。しかし、もう時間が残されてないので」

 チーリが部屋に入ってくるなり頭を下げた。その後ろにイーゴが続き、彼女の後ろに少女が続いている。彼女が『星の娘』なのだろう。

「構わぬ。それよりもよくぞ間に合ってくれたな」

「本当なら、もっと早く戻ってこれたのですが、俺がちょっと倒れてしまってたみたいで…ぎりぎりになってしまいました」

「倒れていた?大丈夫なのか?」

「ええ、もう大丈夫です。それよりもサージ様に会わせたい人がいます」

「ああ、そちらの少女だな」

 チーリは頷くと少女に手を差し出した。少女はその手を取り、チーリの横に立った。

「彼女はサクナ。最後の『星の娘』です」

 すると、サクナと呼ばれた少女はチーリの手を離し、ぎこちない動作で敬礼をした。膝こそ着かないが、それでも最敬礼に近い形を取っている。

「サクナです。私は『星影』の首領『星の娘』として、彼らを扇動しルータンス王国へ不埒な行いを繰り返してきました。しかし、チーリとイーゴさんのおかげで目を覚まし、この度『星影』を解散しました。これまでの罪の責任は私が負います。如何様にも御処分ください」

 顔を下げたまま震える声で一生懸命話す姿に心を打たれた。まだチーリと同じくらいの年だろう。もしかしたらチーリよりも幼いかもしれない。

 そんな少女が恐れを胸に秘めて、堂々と罪を負うと語っているのだ。

「サクナさんと言いましたね。顔を上げてください。私たちは共に歴史の被害者です。しかし、それをいつまでも背負い込む必要はありません。頭を下げたいのは私の方です」

「えっ?」

「私は選択から逃げていました。お恥ずかしい話です。だが、あなたがその若さで恐れを抱えながら堂々と話す姿に、私こそまさに目が覚めた思いです」

「そんな、私なんて…」

「〈メス〉の民の子孫たちが二度と隠れて住まないでいいよう、生きたいように生きていけるよう、最善を尽くすことを誓いましょう」


 疲れた様子のサクナをイーゴが客室に連れて行った。 

 部屋にはチーリとサージの二人になった。

「チーリ、君には本当に感謝しかないな」

「そうでもないですよ。俺だってあなたたちに感謝していますよ。少なくともイーゴと再開できたのはあなたたちのおかげです」

「そう言ってもらえると救われる気持ちだよ」

 サージに『聖地』での出来事を話した。

「では、君はもう未来を見ることは叶わないのか」

「ええ、そうです。ただ、俺自身そこまで力を使っていたっていう感覚がないので、全く何とも思っていないですけど」

「ふ、そういう君だからサクナさんも心を開いたのだろう」

「関係ないですよ。彼女は頭の良い人だから、俺と同じ真実を知ったら、ちゃんと判断してくれると思ってました」

「ああ」

「俺には勝算なんてなかった。それでも俺はサクナが正しい判断をしてくれるだろうって信じていたし、俺がしっかり役目を果たせば、今の結果になるって信じていたんです。未来は見えなくても、こうなるだろうってことは確信できました」

「自分と、そして周りの人間を信じることだな。それが大切だと君は言ってくれているのかな?」

「いいえ、そんな偉そうなことは言ってないですよ。ただ、サージ様はもっと自分を信じて素直に生きてもいいんじゃないでしょうか。お母様は、俺が感情を素直に表すところを気に入ってくれたんじゃないですかね?それが魔法ですよ」

「ああ、そうかもしれないな」

 サージはチーリの前に立つと頭を下げた。それから顔を上げると手を差し出してきた。

「握手って、村を出てから何人かとしましたけど一般的な挨拶なんですか?」

「そうだな」

「そっか」

「君はこれからどうするんだ?」

「うーん…旅に出てみようかなって思ってます。今回のことで色々な人に会ったんです。うまく言えないんですけど、それがとても楽しかったんですよね。だから、旅に出て色んな人に会って、色んな経験をしたいなって思ったんです」

「そうか。気をつけて行けよ」

「はい」と返事をして、部屋を出た。


 我が国は依然として問題を多く抱えたままだ。

 彼が旅から戻った時に少しでもいい国になったと思ってもらえるようにしなければ。

 窓から外を覗くと、すでに夜が明けようとしていた。

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