第28話 束の間

 先程春夏冬が攻撃したときに、疑問に思ったことがある。

 こんな状況下にあるというのに、対峙する元は人間であった怪物をつぶさに観察しながら、私は思案を巡らせていた。

 私の疑問と言うのは一つ。何故、怪物は一気に損傷部位を治癒しなかったのだろうかという点だ。

 怪物は一度春夏冬の槍による攻撃を顔面に受け、大きな傷を負いながらも反撃。そして、蛇のようにするりと交わした春夏冬により逆に更に傷を負わされた。

 そして、私たちが合流した後、怪物は春夏冬が私の剣を蹴ることで付けた右腕の傷を治癒している最中であった。

 そしてその後、右腕の傷が完全に癒えた後に顔面の傷の治癒に取り掛かっている。それが現在の状況だ。

 怪物が異常な再生能力を持つというのなら、右腕と顔面の傷を同時に再生すればいい。その方が治癒に掛ける時間を大きく短縮することが出来るし、元来その間に私たちが攻撃を仕掛ける可能性は否めないのだから

 だというのに、怪物は損傷部位を同時に治癒するのではなく、順番に治癒することを選択した。この選択を取るという事は、何かしらのメリットもしくはやむを得ない事情があるのだろう。

 可能性を挙げるなら、同時に治癒するのではなく片方ずつ治癒することにより、治癒の効果を高めている可能性。全体として治癒に割けるエネルギーが決まっているのなら、重要な攻撃手段である腕を治すためにその傷に専念するというのもあり得る。

 次は、単純に片方ずつしか治せないという可能性。奴が前者のようなことを考えて行動出来る程理性が残っているとも思えない。あの子供のように無暗に腕を振るうことこそが、怪物の長所である圧倒的膂力と敏捷性を生かしていると言えなくも無いが。

 そんな事を考えている内に、怪物の治癒が完了した。

 流石に邪魔なのか春夏冬の槍を頭部から引き抜き捨てると、のっそりとした動きでゆっくりと姿勢を立て直す。

 私たちの間に再び緊張が走る。

 剣を構える。いつもとは違い、私の剣先は一切ぶれる事無く怪物を見据えていた。


「はっ…―――!」


 次の瞬間、怪物は我々に肉薄していた。咄嗟に前に出る。

 春夏冬の槍は少し遠く、先程怪物のいた場所に捨てられていて徒手空拳だ。ここは剣のある私が受けた方がいい。

 それに、これで剣を取り返してもらった恩を返せる。

 豪快に風を薙ぎ、怪物の左腕が振られる。

 まるで丸太のような腕だ。しかし、退く訳にはいかない。


「クッ!」


 剣を少し傾け、剛腕を上に逸らすように受ける。

 凄まじい衝撃に身体が少し浮くが、私は歯を食いしばり脚を地面につけた。

 インパクトの直後に剣を弾くように上に動かす。

 鋼が軋むような音と共に怪物の腕は刀身を滑り、頭上に弾かれる。

 この状況にさえ持っていってしまえば、警戒すべきは左腕の戻しだけ。

 つまり、攻め時。

 振られた左腕の内側に入るように大きく跳躍する。

 振り抜いた後の、更に間合いの内側へ。怪物に今の私を攻撃する手段は無い。

 しかし、私は怪物を攻撃しない。

 そのまま怪物の右腕を抜け、私は全力で駆ける。先程怪物が捨てた、春夏冬の得物の下に。


「春夏冬さん!」


 左脚をブレーキに方向を急転換し、槍を怪物の股を通すように投げる。

 土の上を滑るようにして槍は放たれ、曲がること無く春夏冬の下にと進む。春夏冬は槍先を思い切り踏み付け、弾き上がった槍をキャッチした。

 槍を投げた私は、再び怪物目掛けて駆けていた。


「合わせて!」

「任せや!」


 怪物の背後から、正面から、私と春夏冬は武器を振りかぶる。

 剣を力任せにを叩き付けるのではない。それでは、先程剣を取り込まれたのと同じ結果を招くことになる。

 刃を立て、しかしながら怪物に沿わすように撫で斬る。

 確かな感触が伝わり、黒い身体に赤い筋が刻まれる。その後、二カ所から鮮血が噴き上がった。

 すれ違うように駆け抜け、大きく間合いを外した後に怪物の気配を感じないことを確認してから反転する。

 見れば、私が傷付けた傷から白煙が昇り、既に何事も無かったかのように治癒が完了している状態であった。

 そして今は、春夏冬の付けた傷が治りかけている。

 仮説が確信に変わる。奴の再生能力は異常だが、無限という訳では無いのだ。


「同時です! 同時に攻撃すれば、治癒が追い付く前に倒すことが出来る!」

「成程、時間勝負か。ならうちの得意分野! 暴風の形!」


 春夏冬が意地の悪い笑みを湛えると、直後には春夏冬の姿が掻き消えていた。

 吹き荒れる斬撃の飆風。

 先程とは見違えるような圧倒的な速度で、春夏冬は怪物の脚を、腹を、腕を、顔を斬りつけていく。

 易々と春夏冬がやってのけている事は、簡単なことではない。

 二人で同時に付けた傷すら、すれ違い振り返る時には治癒しているのだ。それを、治癒が追い付く前に傷を付け続けるなど。

 自分で言っていても思ったのだ、それは無茶振りではないかと。

 しかし、春夏冬にとっては違うらしい。

 人はあそこまで自由に動くことが出来るのか、そう感嘆してしまうほどに春夏冬は自身の肉体を使いこなしていた。

 捻り、跳ね、屈み、反り、斬撃の旋風は止むことを知らず怪物の黒い身体を包み込んでいく。

 怪物は斬撃の嵐に抵抗する術も無いようだ。大きく力強い象であるが故に、小さく素早い蜂を潰すことは難しい。

 そして、幾重もの螺旋を描きながら怪物に裂傷を浴びせる春夏冬は、一際高く飛び上がった。

 怪物が頭上を向く。

 怪物は治癒に手一杯で、春夏冬を視界に収める事しか出来ないらしい。

 そして―――。


「はぁぁっ!」


 脳天から貫くように槍を突き刺す。

 噴水のように噴き上がる鮮血。靡く黒絹が暗褐色に染まっていく。その傷は、先程までの切り傷とは比にならぬほどに大きい。

 槍を捻り、怪物の頭上に乗った春夏冬は、怪物の頭部を蹴るようにして槍を引き抜き、こちらに飛び退いた。


「ォォォォォォ…ォォォォ」


 低い唸り声を鳴らし、怪物は背中から倒れる。

 黒い身体は数え切れぬほどの裂傷と出血で、最早暗褐色に塗り替えられていた。

 ピクリと、何度か身体を痙攣させてから怪物の腕はだらんと力無く地に落ちる。思わず「終わったか?」と口にしそうになり、私は慌てて口を両手で塞いだ。

 言霊は本当にあるものだ。


「すごいで…春夏冬さん!?」


 傍らに立つ春夏冬に向き直り、賞賛と感謝を送ろうとし、私は慌てて春夏冬に駆け寄る。

 春夏冬は片膝を地に突き、槍を杖代わりにして吐血してた。幾度も苦しそうな呻き声を漏らしながら、その度に暗褐色の液体がべちゃりと地面に落ちる。


『――反動のある技やから――』


 そう私に告げた春夏冬の言葉を思い出す。あれ程の力を出すには、ここまでの代償を支払わなければならないのか。

 私は今も尚咳き込む春夏冬の丸く、小さな背中を摩る。


「大丈夫…じゃないですよね。一応魔法薬はあります」


 手渡した治癒薬を乱雑に受け取る春夏冬。そのまま蓋を投げ捨て、一息に煽る。

 迷宮でのみ採れる特殊な薬草を用いた魔法薬だ。

 魔法薬、別名ポーションは錬金術によって作られる。その中でも迷宮産の素材を用いたものは、あまりの薬効から即効性が非常に高いのだ。これは探索者だけでなくあらゆる者達の中で高値で取引されている。

 即効性があり副作用も無く、自然治癒力を急激に加速させ外傷内傷関わらずに効く。これだけで、この治癒薬に如何ほどの価値があるかが理解できると思う。


「おおきに。もう二度と使わんわ」

「それがいいと思います。因みに、あれは魔法じゃないんですよね?」

「ん? あぁ一族の秘術的な、な…ゴホッ」


 そう私に説明しながら春夏冬は口許を拭い立ち上がる。辺りを見渡せば、どうやら少女たちも戦いを終えたようだ。

 気絶した、または致命傷を与えられ死を待つのみの男たちが地面に倒れている。手加減が出来ない戦いだったのだろう。殺すのはやむを得ない。彼らはそれだけのことをしたのだから。

 少し騒がしいと思えば、少女たちが集まり歓喜に舞っている。飛び跳ね、両手で手を叩きながら笑い合う。中には、嬉しさに崩れ落ちて泣き喚いている者もいる。

 残心というものを知らないのだろうか。しかし、その雰囲気に中てられ私も思わず口許が緩んでいた。

 少女の一人が私達に気付き、大きく手を振る。それに気付いた少女たちも続々と私達の方を向き、満面の笑みを浮かべる。


「肩貸しましょうか?」

「…頼むわ。脚がガクガクやし、治癒薬でも流石にコホッ、直しきれんらしいし」


 春夏冬に肩を貸し、ゆっくりと春夏冬の歩幅に合わせて少女たちの下に歩みを進める。

 私達は今すぐレグルスを探しに行かねばならない。しかし、それは勝鬨を上げてからでも遅くないだろう。

 そう思った直後、ふと何かを引きずるような重く鈍い音が聞こえる。

 何の音だろうか。そう思った刹那、押し潰すようなプレッシャーと、割れるような咆哮が私の背後から駆け抜けた。

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