第7話 彷徨の岩窟

 カリメアの迷宮第一階層。通称「洞窟」。およそ人工物とは思えない精巧な岩に包まれた空洞が広がり、それ以外には何もない。植物も、水も、一切の灯りさえも無い空間だ。

 日光が差し込まないためか気温は比較的低温で保たれており、慣れていなければ低体温症となることもある。また太陽の光が無いために睡眠のリズムも狂い、結果的に時間の感覚が狂う事で起こる生活リズムの乱れや、それによる精神的な異常が体調不良を引き起こす。

 とは言え、ここは迷宮の口ともいえる第一階層。魔物は危険ではあるが、死に直結するような危険性は無く、そもそもここを踏破できない者は迷宮探索には向いていない。

 だからと言って楽な道という訳ではない。出来るだけ早く抜けてしまいたい。

 迷宮第一階層を抜けた最も早い記録は一日程度だというらしい。ならば、一日は無理だとしても、野営は一回に済ませたい。


「早めに抜けましょう」


 手早くランタンに火を灯しながらそう提案すると、迷宮を舐めてるとしか思えない道着姿のレグルスは、筋肉質な腕を組みながら頷きを返した。

 寒くないのだろうか。曰く、第六階層は氷河、白銀連なる極寒の領域。彼はそこでさえその恰好で行く気なのだろうか。ふと思う。


「こっちです」


 自分の中の第六感に意識を向けると、途端に迷宮の地面が淡く光る。それは魂の色であり、生者が漏らした残滓だ。

 これが私の魂視の魔法の効果。

 文字通り魂の知覚を可能とする魔法。これを用いる事で、例え暗闇の中でも生物を見つけ出すことが出来る。

 本来魂は肉体に宿るが、行動する度に残滓としてその場に残る。私はこれを見る事で、足跡よりも確実に先達の跡を辿ることが出来るのだ。

 精神を集中させ魔法を行使し、道をつぶさに観察しながら歩みを進める。

 魔法の行使は体力を非常に消耗する。

 自己強化系の魔法持ちでも、常時自分を強化し続ける訳ではない。パンチをするからと言って、常に拳を力ませることが無いのと同じである。だがこの魔法は正しい道を知るための魔法でもある。常時発動が前提だ。

 特にこの第一階層は、不定期に再構築され構造が大きく変化する。その上壁の中に隠された通路の存在も報告されている。それを見逃さないように、常時発動させる必要がある。

 乾いた音を立て歩みを進める。そうして暫く。沈黙を嫌ったか、心を決めたか知らないが、おもむろにレグルスが口を開く。


「案内人」

「……テルミニです」

「……すまない」


 一拍の沈黙。あまりの不器用さに、少しだけ微笑ましく思えた。


「テルミニ」

「なんですか?」

「出身はどこなんだ?」


 唐突な私自身の掘り下げに疑問が浮かぶも、数秒置いて納得する。

 どうやら、彼は彼なりに私に歩み寄ろうとしてくれているらしい。これは彼にとっての世間話なのだろう。

 探索者チームは総じて仲が良い。それは、迷宮という閉鎖空間で無駄なトラブルを起こさない為でもあるが、そもそも迷宮内で共に長い時間を過ごすのだ。仲が良くないと、そんなものやっていけないだろう。

 私も、不仲よりは親しい方がいい。彼が不器用なりに歩み寄ったのだ。無碍むげには出来ない。


「ここより少し南の地域です。今ではこんなことをしてるけど、これでも貴族の家の出なんですよ?」

「そうか」


 沈黙、今度は少しだけむず痒い。


「テルミニ」

「なんですか?」

「好きな食べ物はあるか?」

「んー……はしたないですけど、やっぱり肉ですね。笑う狼亭知ってます? あそこの鶏肉のソテー、絶妙な味付けでお気に入りなんです」

「そうか」


 沈黙、にはならなかった。あまりの可笑しさに、私が吹き出してしまったからだ。

 突然笑い出した私にレグルスは困惑を隠せないようで、目を丸くしていた。その容姿が更に可笑しくて、私は腹を抱える。


「フフッ……質問を投げるだけじゃあ、会話は弾みませんよ? これじゃフフッ、尋問です」

「そうなのか……」


 レグルスは反省する子供のように視線を落とす。


「レグルスさんは、昔からソロだった訳ではないんですよね?」


 彼の持つ命輝晶の件もある。その命輝晶を渡した人物と、大樹の下に眠る人物。最低でもその二人とは、昔はチームとして活動していたのだろう。


「あぁ」

「その様子で、前のチームとは仲良くできたんですか?」

「あぁ、皆俺を仲間として認めてくれていた」

「へぇー……。でも珍しいですよね、迷宮に空手で挑むのって」

「いや、俺も昔から剣を持たなかった訳ではない。剣も振った、弓も引いた。だが、どの武器にも利点がある代わりに欠点がある。剣は適切な間合いでなければ真価を発揮しない。懐に潜り込まれれば振れず、遠すぎれば無論当たらない。弓は弦を引く時間が要る。咄嗟の状況には対応できず、もし矢を放てたとしても避けることも容易だ」

「な、なるほど」


 いや、避けられないだろ。という言葉は口に出さず呑み込んだ。「急に饒舌に喋るな」という感想も。


「それに、全て道具に頼り切っている。刃が折れれば、弦が切れれば、出来ることは無い。ならば、どんな状況でも振るえ、文字通り自身の身体の一部である、拳を振るうのが最適解だろう。幾年か前、その結論に至ったのだ」

「およそ常人とは思えない思考回路ですね……」


 とは言え、彼の実力は本物だ。

 常識から外れた者を狂人と呼ぶのなら、常人には出来ぬことを為すのも狂人だろう。それはまた、英雄とも呼べるかもしれない。

今のところはただの人見知りの変態だが。


「じゃあ剣も出来るっていうことですか?」

「あぁ。昔は剣を握っていた」

「はぁ……」


 レグルスが剣を持っている姿を思い浮かべる。あの武闘家が剣を。


「……想像できないですね」

「事実だ」

「別に疑ってるわけじゃないですよ。ただ……うん、想像できない」


 先入観もあるが、レグルスが剣を握っている姿は想像できそうになかった。

 ひとえに、武闘家としてのイメージが強すぎるのかもしれない。もしくは、あの夜の戦闘が強く印象に残っている。


「そう言えばなんですが、そのお仲間さんとはぐれたのはいつなんですか?」

「……十年ほど前だっただろうか」

「え、そんなに前なんですか!?」


 驚きを隠せず、思わず大声を上げてしまう。私の叫びが迷宮に反響し、何重にもこだました。

 レグルスの持つ命輝晶には、確かに誰かの魂の輝きがあった。それはつまり、命輝晶に魂を分けた人物が存命しているという事を指す。

 迷宮は、言わば超危険地帯のミルフィーユ。そんな、およそ地上のどこよりも危険な場所で、十年も生き延びているというのだ。驚かない方が嘘である。

 まぁ、階層が低ければあり得ない話でもないが。


「魔物になってたりしませんよねそれ……」


 迷宮に跋扈する魔物。二つ名持ちを含め、奴らがどう繁殖しているかは不明だ。あくまで噂だが、迷宮で行方不明になった者は魔物になるという噂もある。

 噂を信じている訳ではない。少し黒い冗談のつもりだ。口に出してから、少し不謹慎だったと後悔したが。

 だが、レグルスは意に介していないようだった。


「分からない。だが、……彼女は迷宮で一人生き延びることの出来る実力者ではある」

「……とんだ大英雄ですね」


 実力者のレグルスの仲間も、どうやら実力者であるらしい。それと彼の言葉から汲み取るに、レグルスに命輝晶を渡した人物は女性であるようだ。


「あぁ。同じ村の生まれだが、彼女の才能にはいつも憧れてばかりだった」

「出身同じなんですね。因みに、何階層でその人と分かれ――――」


 レグルスが片手で私を制する。指示通りに口をつぐむと、小さなうごめきが徐々に距離を詰めてきているのが分かった。

 何かがこちらに向かってきている。それも、足音からして人ではない異形の存在、さらに複数体だ。

 レグルスは構えを取り、私は腰にいた剣を引き抜く。同時に、鞄の中に手を伸ばす。契約の内容的に私が戦う必要は無いが、レグルスに頼り切って自衛をしない程愚者ではない。自分の身は自分で守る、当然のことだ。


「テルミニ」

「分かってます」


 大きく振りかぶり一投。

 私の投げた物により、洞窟内が白い光に満たされる。昼間のような明るさは、もはやランタンの光など比べ物にならない。

 これは、投げれば即座に昼間の太陽のような明かりを放つ、探索者必須の便利アイテムの一つ光弾である。これによって、灯りに気を留める事無く洞窟で戦闘することが出来る。

 しかし欠点は、効果時間が非常に短いこと。それに、迷宮産の素材を使っている為一つ買うのにかなりお値段が張る事である。

 足音は、最早耳元にいるかのようで、カサカサという蠢きは大きくなる。そろそろ姿が見え……ん、カサカサと?


「ひっ」


 くびられた鶏のように、喉から掠れた悲鳴が漏れる。それは、圧倒的な嫌悪感によるものだ。

 迷宮に存在する魔物は、得てして人間の姿形から逸脱した異形の存在が殆どである。

 ある魔物は巨大な竜だ。骨も残らぬような灼熱の業火を吐き、大きな翼をはためかせ空を飛び、鎧を切り裂く爪や牙は鋭く硬い。

 またある魔物は砂を潜る鮫だ。さも水中のように自在に砂中を泳ぎ、気付けば足元でその大口を開いている。

 そして今、眼前にいる魔物は――――。


「う……うぎゃぁぁぁぁぁ!!!」

「落ち着け」


 ガサガサと耳障りな音を立て這い寄る黒い影。実際に統計を取ったことは無いが、探索者に迷宮で一番嫌いな魔物を訊けば、十人の内八人がこの魔物と答えるだろう。回答者を女性に限定すれば、満場一致も夢じゃない。

 強い訳ではない、面倒な訳でもない。ただただ、おぞましい外見なのだ。かく言う私も、この魔物に対する精神的な嫌悪感は凄まじい。

 奴らの群れは私達と少し距離を保ち制止し、品定めするように触覚を動かした。

 それは、迷宮第一階層に巣食う、成人男性の上半身程の巨大な昆虫型の黒い魔物ケイブローチ。

 通称大ゴキブリである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る