駆け落ちの末路

 宿に戻って、


「良いお風呂でした」


 ボクも美玖も浴衣に着替えたのだけどドキッとした。風呂上がりの女性は艶っぽくなると言うけど、これはたまらんな。浴衣姿の匂い立つ色気って言うのかな。なんかまともに見れなくなる気分だよ。もう間違いない、美玖は文句なしに良い女だ。


 他人の事は言えないけど美玖も恋愛に不器用な気がする。ここはもう少し細かく言うべきで恋愛戦略は長けてるけど、恋愛戦術が肝心なところで不器用そうなんだよな。そう考えれば由衣は逆だった気がする。


 逆もおかしいな。由衣は恋愛戦術の審査員が正しいだろ。そりゃ、ミス港都大だ。大学どころか、高校、中学、いや小学生の頃から言い寄る男は数知れずだったろうし、付き合ったのだって両手ぐらいはいても不思議ない。


 男たちは由衣の関心を引き、喜ばすために手練手管を尽くしたはずだ。この手練手管だって年齢が上がるほどレベルも上がる。そういう中で暮らし続けると男は恋愛の時にどう振舞い、どうすべきかの判定基準が出来上がる。


 由衣だが結婚願望は非常に強かった。さらにあの持ち逃げ野郎は恋人基準で花丸合格であり、ボクとのお見合い前から付き合っていたはず。


「恋人基準に問題があります。そんな基準で選べばヒモ男になります」


 美玖も手厳しいな。でも、そんな気がする。持ち逃げ野郎はイケメンだった。そんなイケメンで恋愛の手練手管に長けていれば、女を落とすなど容易なことだ。それでも生活能力があれば良いのだけど、


「あれば義理でお見合いを受けても、すぐに断っていたはずです」


 そうなるんだよな。由衣はボクとの交際を始めただけでなく、婚約から結婚式まで進んだもの。つまり、ある時点までは生活能力のあるボクとの結婚を考えていた事になる。持ち逃げ野郎はヒモ男であり切られていたはず。


 逆転劇の始まりは、やはりボクで良いだろう。こればっかりはどうしようもないが、恋人基準としては落第にされたはず。ましてや相手が花丸合格のヒモ男では勝負にもならないぐらいの自覚はある。由衣の心は再びヒモ男に傾き、どこかの時点でヨリを戻している。


「そうなると」


 そのはずだ。ヒモ男に結婚の意志は無かったで良いはず。結婚して妻子を養う気概は乏しく、女に寄り掛かって遊んで暮らすのがヒモ男の本質だからな。そんなヒモ男を結婚に引きずり込もうと由衣は奮戦していたはずだ。


「アホ女の暴走です」


 そうなってしまう。ここなんだが、それならそれでまず婚約を解消すべきだった。結婚してから離婚するより容易だし、あの婚約は由衣が望めば解消は可能だった。なのに、ヒモ男を結婚に引きずり込むのにのみ熱中しやがったはずだ。


「結果から言うと、脅しのネタに使ったはずです」


 そうじゃないとヴァージンロード事件を説明できなくなる。ヒモ男が結婚しないのならボクと結婚してしまうぞぐらいのブラフのためだろうな。これも結果からになってしまうが、由衣のブラフは延々と結婚式当日まで続いてたとしか言いようが無い。


 結婚式前夜でもヒモ男は煮え切らず、由衣は最後の賭けに出たはずだ。ヒモ男のベッドから去り、結婚式場に行くパフォーマンスだ。


「アホ女の浅知恵です」


 結果で言えば由衣は賭けに勝ち、ヴァージンロードから持ち逃げ野郎と逃げたのだけど、由衣は自分しか見えておらず、自分の事しか考えてなかった。あんなところまで延々と引っ張り粘ったものだから、


「それ以前にハズレ男が来ないケースを想定していたかも疑問です」


 その辺は結婚式前夜の感触から『もう一押し』の感触はあったのだろうけど、ボクにすればハズレ男が来てくれて良かったことになる。あのまま式を挙げてもロクな未来を想像できないものな。そっちは無かったから置いとくとして、


「駆け落ちの代償を支払っているはずです」


 結婚式場から花嫁を連れ去り駆け落ちする有名な映画にダスティン・ホフマンの卒業があるが、あれは駆け落ちした時点で映画は終わってくれる。だが現実で駆け落ちをやらかせば、そこで終わるはずもない。


 東京ぐらいに逃げ込んだと考えてるけど、まず二人とも失業だ。失業保険すら手にできない。さらに駆け落ちでは住民票が取れないはず。住民票が無いとまともなところへの就職が出来なくなる。住民票無しでも働き口はあるけど、


「ヒモ男に甲斐性などあるはずがありません」


 人はパンのために働くって事だ。パンが無ければ人は生きていけないからな。これはボクや美玖も同じだ。だが普段はパンのために働いている意識はないよ。だが今日のパンに困るように時間の問題でなる。そうなれば、


「ヒモ男を養うために風俗・・・」


 寄り道はしないと思う。由衣のプライドは高慢として良いぐらい高いのだよ。だからパン代を借りるはずだ。もちろんまともなところは貸してくれないが、由衣ならホイホイと貸してくれる。


 言うまでもないが慈善事業じゃない。見る見る借りたパン代は膨らむし、取り立ても苛烈なものになる。とにかく駆け落ちだから親兄弟どころか、親戚や友人知人にも頼れない。それでもパン代は返済させられる。パン代はそれぐらいすべてを縛り上げる。


「二度と抜け出せない地獄に突き落とされます」


 由衣は男を穴でひたすら搾り出す仕事、ヒモ男はベーリング海のカニぐらいか。言うまでもないが、これはあくまでも可能性の一つだ。都会の片隅で肩寄せ合ってひっそりと暮らしているかもしれないけど、


「アホ女とヒモ男が後先考えずに駆け落ちをした末路です」


 そんな由衣の末路だが逃れる道はあった。由衣が直面していた問題は、恋人基準では花丸合格だが生活能力が低いヒモ男と、生活能力は申し分ないが恋人としては落第のボクのどちらを結婚相手に選ぶかだ。


「こんなものを二択問題とするのがアホ女です」


 そうなんだよ。答えはどちらも選ばないだ。二人とも由衣の結婚相手に相応しくない。由衣は目の前に結婚への具体的スケジュールが出現したから、結婚熱に浮かされ切ってしまったのだろうな。


「だからと言ってあの自爆行為は許されません」


 自爆だって自分だけが被害に遭うのならまだしも、どれだけの被害を撒き散らしやがった事か。ボクだって仕事を辞めざるを得なくなっただけではなく廃人寸前にまで追い込まれたけど、当時の名越本部長や、本部長につながる社員で、今でもあの会社でまともに働いているのはゼロじゃないのかな。


 ただ、こうやって考えると由衣の結婚相手の許容範囲は極端に狭いよな。イケメンエリートで女の扱いのベテランじゃないと必ず不満を抱きそうだよ。これって美人に生まれてしまった宿命とか?


「女を舐めないで欲しいです。名越由衣のような環境で育てば、そうなりやすいのは否定しませんが、そうならない女の方が多数派です。あれはアホ女がたまたま美人に生まれてしまっただけのお話です」


 美玖も手厳しいな。ボクは由衣に相応しい男じゃなかったが、由衣もボクに相応しい女じゃなかった。たったそれだけの話のはずなのに、これでもかのエライ目に遭わされた。もう懲り懲りだ。


「もう無いと美玖が保証します」


 そうであって欲しい。とにかくボクの女を選ぶ目は節穴なのは痛感してる。これで決まりと信じていた女に裏切られてポイ捨て去れた。


「三度目の正直があることを教えてさしあげます」


 美玖は信じてる。内線電話が鳴り美玖が取ると、


「食事の支度が出来たみたいなのでお食事処にどうぞです」


 腹減った。

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