少女は決意する





 

 まるで時が止まったような一室、泣き疲れて眠る美しい少女と、それを愛おしそうに見守る青年、まるで美術室に飾られている絵画のような光景に、川中は空気を全く読まずに侵入した。



 

「邪魔するぞ」



 

 返事をする者は誰もいない。しかし、そんなことなど気にせず、川中は諒子の頭元に図々しくも胡座をかき、そっと額に触れた。熱中症となった身体の火照りは落ち着いているようだ、ほっと息を吐くと、隣から鋭い視線を感じた。


「おいおい、何もしねぇよ」


 

 呆れたような、驚いたような表情をしながら川中は、手に持った少し厚めの本を新野に渡す。新野は本を受け取ると、表紙、裏表紙を見た後、本のページをなぞる様に触ったかと思えば、途端に興味を無くしたかのように、そっと床に置いた。



 

「その本はどうだった?勉強になったのか?」



 

 新野は何も言わない、ただ冷めた視線を川中に送るだけだ。諒子には決して見せない側面に、思わず笑ってしまった。だが、川中は知っている。新野が諒子と何を話していたのかを。新野に渡してあるスマホのメモアプリ、あれは川中のスマホと共有されていた。機械音痴の新野は知らないだろうが、2人のやり取りは手に取るように分かっていた



 

「この本は、随分と役に立ってそうだが……」



 

「もう読めただろうし、回収するぞ」と返事も聞かずに川中は本を回収する。本のタイトルは《生きるということ》というエッセイ本だった。川中は興味など全くなかったが、新野のために本屋で人気No. 1と堂々と表記されていたそれを購入したのだ。



 

 風鈴が鳴る。風情を感じる筈の代物だが、川中にとっては、ただの五月蝿い夏の風物詩だ。本当は外したかったが諒子が季節を感じるものを好む傾向だったため、渋々、飾っている。



 

 そう、全ては諒子のため、それが巡り巡って自分のためになるのだから。



 

 ……それにしても、と川中は諒子を横目に見る。先程の会話から察するに、同級生が死んだらしい。盗み聞いた感じだと、仲が良かった訳でもなさそうだが、此奴は、そうは思っていなかったのか定かではないが、泣いていた。ただの同級生に、だ。



 

「馬鹿だよなあ、此奴、同級生が死んだくらいで、こんなにへこんで、泣いて、落ち込んで、将来が心配になるわ」



 

 「純粋さも、ここまで来たら狂気の沙汰だな」と付け加える様に話す川中のことを無視し、新野は諒子の額を再び氷枕で冷やそうとする。



 

「おいおい、それよりも団扇であおげ、あと、氷枕ばっかりしても身体は冷えねぇよ」



 

「これだからお前は……」と文句をブツブツ言いながら、川中は諒子の両脇に氷枕を差し込む。諒子は冷たい感触に

眉間を寄せたが、その後、気持ち良さそうに再び眠りに落ちた。その様子を見ていた新野は、諒子の少し汗で濡れた髪をゆっくりと撫でる。まるで壊れものを扱うような手つきに、川中は心の裏側をなぞられたようた不快感とこそばゆさで鳥肌が立った。



 

 カタッと、背後から音がした。振り返ってみると、どうやら、部屋に飾ってあったカタクリの茎が、花瓶からずれた音だった。花は季節を過ぎ、既に枯れていた。ああ、忘れてたな、と他人事のように思いながら、川中はふと、記憶の片隅に追いやっていた出来事が脳裏に浮かんだ。

 遠い昔、というほどではないが、自分がまだ狭い教室に閉じ込められていたあの頃、早く大人になりたかったあの頃を。


 


「……俺もさ、高校の頃に同じクラスの奴が死んだことがあってよぉ……おい、興味なくても聞くふりくらいはしろや」


 


 新野は何も話さない。いや、話せない。だが、長年の付き合いで、何を思っているのかは手に取るように分かる。早く出ていけというオーラを醸し出す新野を無視し、川中は嫌がらせのように話を続けた。



 

「自殺だった。なんで自殺したかは知らねえし、興味もなかった。俺も、真面目な生徒じゃなかったしな……だが、其奴か死んだ翌日の朝、仲が良かった奴も、話したこともないであろう奴も、其奴を嫌ってた奴も全員、泣いて悲しんでいた。ぐっちゃぐちゃな顔で寄せ書きなんて書いて、花も買ってたな、クラスの委員長が金を巻き上げてよ……」



 

 まるで一代イベントのように、色々なことをしていた。

そこに弔いの意思があったかは、定かではなかったが。



 

「けどよ」



 

 花弁が落ちていく度、美しかった花が徐々に萎れ、枯れていく度に思い出す。いっそのこと呪いのような記憶、机の上に飾られた、色鮮やかな菊の花の行方が、川中の脳裏に焼きついているのだ。



 

「机の上にあった花瓶の水替えは、誰もしなかった」


 


 そして皆、其奴のことなど忘れたかのように日常を取り戻して行った。不自然に空いた靴箱も、ロッカーも、まるで見えていないように過ごしてた。

 青春は遺影だ。1番良い写真を切り取って飾る、汚いものは写さない、綺麗な美しい、輝かしい思い出だけを飾り付ける。だからきっと、これから先の人生、自殺した其奴のことなんて、誰も思い出そうとしない。




 輝かしく、美しい青春に、其奴は必要ないからだ。



 

 返事はない。新野はただ、団扇を扇いでいた。川中の事など一切見ようともせずに。そもそも、俺の過去なんて、此奴にとってはどうでも良い話しか、と川中は若干、呆れながらも立ち上がり、新野と諒子を見る。


 

 

「…分かったよ、もう出ていく。邪魔して悪かったな」



 

 そう言い放ち、和室から出て行こうとする川中を、新野はズボンの裾を引っ張り止める。そして、スマホを打ち始めた。




 

〈おまえは、花瓶の水をかえたの?〉




 

 その文面に、川中は思わず目を見開いた。

しかし、それは一瞬の事で、誤魔化すように口元を歪ませ笑った。



 

「……どっちだと思う?」


 

 

 答えなど言わずに、川中は出て行った。夏の暑苦しさに蝕まれた一室、クーラーは相変わらず調子が悪そうに羽を上下に揺らしている。沈黙を感じさせない風鈴が揺れ、鳴り響く。新野は、ただただ団扇を扇ぎ続けた。すると、諒子の瞼がゆっくりと開いた。



 

「……新野さん、」



 

 少し、ぼーっとした表情、ゆっくりと起き上がった諒子を、新野は心配そうに見つめる。そして、スマホを打ち始めようとしたが、それを待たずに諒子は俯きながら、震えた声で言い放つ。



 

「私、刑事さんたちと協力する。それで、首藤さんを殺した犯人を、絶対に見つける」



 

 諒子は夢を見ていた。それは決して、幸福な夢とは言えない代物ではあったが……首藤さんの腹を裂き、腸を抉り出している犯人、虚な瞳から涙を流し、人生の幕を閉じてしまったあの子の最期のワンシーン、観客席にすら行けなかった私。


 


 少女は決意した。友達になりたかった、あの子の無念を晴らす為に。綺麗な額縁に飾られた高校時代の思い出に、もう首藤さんはいない。同じ時を歩むことは出来ず、ぽっかりと空いた心の穴も、いつかは埋まり、大人になるにつれて、記憶は朧げになる。それでも




 

 あの笑顔を忘れたくない。大人になっても、皺くちゃのおばあちゃんになっても、首藤さんの笑った顔を覚えてなくても、ふとした瞬間に、思い出したい。




 

 首藤さん、すごくすごく、綺麗だったな、って。




 

〈君なら できるよ〉



 


 スマホに記された簡潔な文章。ありきたりな言葉。けれど諒子は、ああ、やっぱり私、新野さんが好きだな、と額をスマホに擦り付けた。

 


  

ーーー



 

「さ〜〜っぱり、分からないっす」

「…………」




 助手席で《5さいでも分かる!人じゃないモノについて》と汚い文字で書かれているタイトルの資料をペラペラと捲りながら、田城は白旗を上げていた。資料を読めば分かると思っていたが、そんな生優しい問題ではなかった。



 

 そもそも、字が汚い。

そして、5才でも分かる!と謳っている割には絵も下手くそだ。5才の女児がお絵描きした絵を、そのまま資料に載せている。うん、絶対にそうだ、と田城は資料を縦にしたり横にしたりと忙しなく動きながらも、最終的に諦めたのか膝の下に置いた。



 

「誰っすか、これまとめたの。ありえねぇ……」

「四葉」

「これ、めっちゃ分かりやすいっすね!!」



 

「さすが四葉さん!!」と掌をクルクルと高速回転させながら、田城は資料を再び見る。しかし、言葉とは裏腹に、残念ながら何一つ分からない。

 戀川さんに聞けば早いんだろうなぁ……と、遠い目をしながら隣を見るが、残念ながら、とても苛々している。原因は分かっている、畠山諒子が見つからないからだ。

 扇との会話を終え、警察署の駐車場に赴いたら、丁度、車の運転席に乗る戀川を見つけ、田城はそのまま転がるように助手席に乗った。ちゃっかりと資料ものせて。

 そして、諒子が歩くであろう道を、法定速度よりも遅く、ゆっくりと車を走らせながら探しているが、見つからない。


 

 

「かれこれ何時間走らせてるっすかね〜」



 

 資料を再度読みながら、田城は呟く。資料は何度見ても分からない、なんだこれ、共喰いしている幽霊たちの絵だろうか?いや、もういい、これを読むのは時間の無駄だ、と資料を後ろの座席に放り投げ、田城はどうやって戀川から情報を入手出来るか探る。



 

「さっきの盗聴器からの声、何すかね?」

「…………」



 

 返事はないが、脚も出てこない。そりゃそうだ、戀川は運転中であり、脚をどうこう出来る状態ではないのだから。



 

「なんで畠山ちゃんを盗聴したら、あんな声が聞こえたんでしょーね?……あ、もしかして畠山ちゃん、霊に憑かれやすい体質とか?」

「ちげぇよ」

「違うかー……」



 

 会話は強制シャットダウンされた。しかし、しぶとい田城は再起動させるために、会話のカードを次々と繰り出した。



 

「けど、畠山ちゃんには何かあるんすよね?戀川さんが粘着しているのは、単に第一発見者だから……って訳でもなさそうだし」

「…………」

「もしかして、次の被害者になり得る……とか?」

「…もしかしたら、じゃねぇよ」

「え?」

「畠山諒子は次の被害者だ。確実にな」



 

「それって、どういう……」と田城が質問する前に、スマホのバイブ音が鈍く鳴った。戀川は自分のポケットにあったスマホを無造作に田城へ渡す。スマホの画面には畠山諒子からのメッセージが映ってあった。




[急に連絡してごめんなさい。私、首藤さんの事件に協力したいです。会える日はありますか?]




「……面舵いっぱい急カ〜ブ」




 おちゃらけた様に呟いた田城だが、この僅かな間で、彼女に何があったのか、どういう心境の変化だ?と内心、混乱していた。



 

「おい、しろ」

「あ、すいませんっす。戀川さん。あの子から捜査協力するって連絡が来ましたよー」

「…………」



 

 戀川は何も喋らず、眉間に皺を寄せて何かを考えている。もうちょっと、コミュニケーションってものを大切にして欲しいところだが、馬を水辺に連れて行けても、水を飲ませることは出来ない、俺に出来るのは戀川さんの顔色を窺いながら話し続けることだけだ、と溜息を吐きながら腕を組んだ。




 

 だが、それはそれとして、このままでは仕事に支障が来たしまくる。戀川さんとのコミュニケーションのためには、まず、後ろにある資料の解読……ではなく、これを作成した張本人に資料の内容を問いただす事である。






 

 田城は由羅に今夜、聞きたいことがあるから連絡して良いか、と公私混同お構いなしでメッセージを送信した。





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る