翼の聖女2

   ●


「ほんっと、なんなのかしら、ここ」

 彼女はため息を好まない。

 周囲に与える負の影響が強いからだ。

 彼女のような優れた存在がため息をつけば、それを見た相手は自分のどこに落ち度があるのかと不安になる。それが良い方向に働くこともごく希にあるが、大抵はそうならない。悪印象を挽回するために暴走したり、集団に不和の種を持ち込んだりすることのほうが圧倒的に多かった。


 それに、求められている役割というものがある。

 翼の聖女という大層な二つ名をつけられたイフアリア・オン・カミルワースとしては、決して負の感情を見せず、慈愛の微笑を浮かべていたほうがふさわしい。

 実際、彼女の国――翼郷よくきょうではそうしていたほうが物事が圧倒的にうまく進む。

 だが、今日このときだけは例外だ。

 この図書館――らしき建物はあまりにも異常すぎる。何度ため息と愚痴を吐いても際限がない。


「悪魔図書館?」

「おお、さすが聖女さま。分かりやすい名付けです。これから先、この図書館を対象にした作戦が立てられるときにも誤解が生じないでしょう」

 独り言のつもりだったが、部下のひとりが耳ざとく聞きつけてイフアリアを讃えてきた。

 最初に出会って打ち倒したのが悪魔娘だったから言ってみただけで、特に意味はないのに。


 純粋な忠誠心の表れだと分かっているのでイフアリアは不快には思わないが、大したことでもないのに褒められるとかえって馬鹿にされているのではないかと思ってしまう。幼子がよそ見せずきちんと歩けたら褒めるべきだが、それが大人だったら褒めるに値しない。それと同じことだ。


 しかし、仮に彼女がそういう反論をすると、「聖女さまは何をしても尊いのです! それは幼子の行動のような新鮮さを我々に与えます。そのたびに我々は感動せざるをえないのです!」とよく分からない暴論でねじ伏せられるのは目に見えている。というか、実際そう言われたことがあった。なので、褒め言葉は聞き流すに限る。


「悪魔だけじゃなく、いろんな種類がいたわね。まるでかぶりを恐れてるみたいに」

 イフアリアは指折り数えてみる。

 悪魔娘を皮切りに、頭が時計のかたちをした怪人を殺し、コック帽をかぶったマーマンを殺し、妙な白い衣装を纏った顔色の悪い美女を殺し、恐ろしく毛並みの良い犬三匹を殺し、燕尾服を着た美男美女の一団を殺し、見上げるほど巨大な土人形を粉々に打ち壊した。

(特に手強かったのは……あの樹の化け物ね。移動できないことを差し引いても、かなりの力を秘めていた)

 ほかにもいたが、覚えきれない。確実なのは出くわした敵全員に死を与えたということだ。


 ここまでやるつもりはなかった。

 イフアリアに頼まれたのは未知の図書館の軽い偵察であり、今後二回め、三回めと続くであろう調査の下準備といったものだった。

 いや、正確には頼みごとですらない。退屈したイフアリア自身が未知の図書館が発見されたという情報に興味を示し、自分から行くと言ったのだ。翼郷の指導者たちは彼女に強制的に命令などしないし、彼女の頼みを断ることもない。イフアリアの持つ圧倒的な力への畏れと敬意が遠慮がちな態度をつくっている。


 とはいえ、イフアリア自身もそこまで期待していたわけではない。夜の眷属の領域の奥深くならともかく、誓教国の勢力圏内の間近だ。たまたま忘れ去られた廃墟というオチも充分考えられた。

 大間違いだった。

 最初は建物の立派さに感心させられたが、地下に入ってからはそれが最大級の警戒に変わった。


 そこにいた敵が強すぎたのだ。

 もちろんイフアリアの相手になるほどではない。しかし、一般的には信じられないほどの力を持っている。例えばこの大陸で強者の集団といえば、まず誓教国の払暁騎士が挙げられる。そして、あまり知られていないが、いまイフアリアと行動をともにしている翼郷の筆頭能座ひっとうのうざという武力機関は払暁騎士よりもやや優れた力を持っている。

 しかし、この図書館の敵は彼らよりも明らかに強い。

 これだけで首脳陣の緊急会議が一〇回開けるほどの異常事態だ。

 人間種の大国の最精鋭が敵わない化け物が謎の図書館に潜んでいるなどという事態は想定外の極みだ。


 イフアリアはともに図書館に侵入した部下たちを見やる。揃いの面頬をつけた、計一五人の有翼人。彼ら彼女らは筆頭能座の中でも優れた人材だ。しかし、この一五人をもってしても、ここに巣くっていた化け物と対峙することは悪夢でしかない。

 一体だけなら何とか――幸運が味方すればほんとうにギリギリで対処できるかもしれない。しかし、間違いなく被害は甚大なものになる。連戦は考えられないし、一度に複数体に出くわした時点でパーティは崩壊だ。

 よって、図書館の地下での戦いはほとんどイフアリアひとりで行った。イフアリアに気味が悪いほどの忠誠心を持つ筆頭能座たちは補助に徹することに忸怩たる思いを感じているようだったが、命令を無視するほど愚かではない。彼女たち一行は地下一階から地下五階まで、しらみつぶしに敵を見つけてはゆっくりと下りていった。一体でも撃ち漏らしがあるとイフアリア以外には致命的だからだ。


 そして、ようやくたどり着いた地下五階は丸い大広間のような空間だった。

 本が敷き詰められた書架がずらりと並び、三六〇度を取り囲んでいる。

 天井には一分の隙もない見事な装飾の硝子細工。地下だというのに、陽の光が差し込んでいるかのようにやわらかく輝いている。恐らく天井の向こうに光を放つ咒具があるのだろう。あるいは硝子細工そのものが光を放つ咒具なのかもしれない。

 ここまでの図書館は美術的な価値と実用性が両立している印象だったが、この場所だけは装飾的な意味合いが強いようだった。例えば高い位置にある本を取るための踏み台が見当たらない。これでは浮遊の力を持つ者以外には不親切だ。普段遣いすることが想定されていない、儀式や大規模な集会に用いられる場所なのだろう。


 奥のほうの一段高い場所に玉座もある。部屋の雰囲気によく調和した、荘重なつくりのものだ。しかし、奇妙なことにその玉座は一九個もある。大きさもまちまちだ。

「一九人の王……? ずいぶん多頭政治ね」

 イフアリアが疑問を呈すと、部下たちも首をひねった。

「かつては栄えた場所だったのでしょうか?」「いや、それにしても一九は多すぎる」「この場所、どちらかというと個人的な隠れ家のような印象を受けるしな」


「ちぐはぐね。まあ、いまに始まったことではないけど。これ以上悩むのは学者連中に任せましょう」

 イフアリアは軽く手を叩き、部下たちの注意を引きつける。

「じゃ、ここからは三人一組で散開。もし敵を見つけても交戦は避けなさい。一応言っとくけど、ここまでわたしが倒してきたの、全部あなたたちより格上だから」

 敬愛する人物から「お前たちは弱い」と言われて愉快に思う者はいない。しかし、それを顔や態度に出す者もここにはいない。筆頭能座としての冷徹な判断が彼らにはたたき込まれているからだ。ゆえにイフアリアもそれ以上の念押しはしない。飴と鞭ではないが、今度は部下たちに気味が悪いほど評判のいい微笑を浮かべてやる。

「本国の行政官が目を回すぐらいお宝を送ってやりましょう。さあ、行動開始」


 筆頭能座たちが一斉に散らばっていく。

 彼らの目的はこの図書館の本や物品の回収だ。もともとは軽い調査だけのつもりだったが、最下層と思われるところへ到達したので、副次的な目的に切り替えたのだ。

 回収といっても手で持ち帰るわけではない。うたかたの旅嚢という翼郷に伝わる咒装に物品を入れれば、勝手に向こうへ転送される。旅嚢というだけあってあまり大きなものは入らないが、大判の本や燭台ぐらいならば余裕だ。


 部下たちを待っている間、イフアリアは暇になる。

 だが、ここから離れるわけにはいかない。別に怠けているわけではなく、万が一敵が現れてきた場合に備えているのだ。

 この第五階層の玉座の後ろには開かない扉があった。いまイフアリアがいる丸い空間が謁見の間だとしたら、その扉の奥は王たちの私的な空間といったところだろうか。

 気になるので調べてみたが、どうも咒術とは違う力で閉ざされているらしく、イフアリアの力をもってしても開けることができない。とりあえず放っておくことにした。

 ここに下ってくるまで念入りに各階層を探索したので、隠し扉の可能性はほぼ排除できる。つまり、あと敵が現れる可能性があるのはこの閉ざされた扉だけだ。ここにイフアリアが陣取っていれば部下たちの安全はほぼ保証される。過剰な忠誠心に引いてしまうこともあるが、もちろん彼ら彼女らに死んでほしいわけではない。


 手持ち無沙汰になったイフアリアは周囲をぐるりと取り囲む書架から一冊の本を抜き出した。玉座のひとつに腰掛けてぺらぺらとめくってみるが、何も頭に入ってこない。内容が難しすぎるのではなく、そもそも文字が読めないのだ。

 イフアリアの強みは並ぶ者どころか影を踏む者さえいない圧倒的な戦闘能力であって、言語の知識ではない。だが、たとえ翼郷一の学者でもこの本を読むことはできないだろう、と直感した。この大陸で使われている言語体系とは根本から異なる文字だ。


 この図書館はおかしい。

 一歩足を踏み入れたときから拭えない違和感にまたひとつ裏付けを与えられた気がした。

 ふつう、疑問や脅威というのは初めて遭遇した瞬間が一番大きく、それからどんどん小さくなっていく。少なくともイフアリアのように優れた人間にとってはそうだった。 

 しかし、この場所は明らかに違う。単純に図書館と言いきるのも抵抗を覚えるほどだ。潜れば潜るほど謎が増え、自分の理解の範囲外にあることを思い知らされる、そんな場所だ。

 地理的には誓教国が最も近いのだが、誓教国の支配がこの図書館に及んでいるとは思えない。

 誓教国は確かに大陸一の大国だ。文化も教育も軍隊も洗練された一流を誇っている。しかし、それはあくまで常識の範囲内であって、この図書館のような異常な突き抜け方とはそぐわない。だからこそ、地下への入り口にイフアリア自ら「手を出すな」という印を残しておいたのだ。


「一応訊くけれど、こんな場所があるって情報は入ってた?」

 イフアリアはたまたま近くにいた部下のひとりに尋ねた。彼は最下層に幾つかあった部屋から調度品をせっせと運んでくる仕事をしていたが、その問いかけに直立不動の体勢をとる。イフアリアからの問いに答える以上に大切な仕事などあるわけがない、という態度だ。

「いえ閣下、入っておりません!」

「まあ、それはそうよね」

「それに……よろしいでしょうか、イフアリア・オン・カミルワース閣下」

 堅い堅い、と思いながらイフアリアは「なに?」と先を促す。

「仮にここが前から存在していたとしたら、真っ先に閣下のお耳に入るはずかと愚考します! 閣下が翼郷をお導きになられてから五〇余年、その間ここまで異質な建物を隠し通すことは難しいかと!」

「それも、うん、そのとおりね。なんか素直に認めるのが癪だけど」


 イフアリアの強みは戦闘能力だけではない。力に比例するかのように寿命も長い。彼女のように他を隔絶する力に至った者を翼郷では「慶者けいじゃ」と呼ぶが、過去に数人存在した慶者はいずれも六〇〇年ほど生きたという。

 イフアリアの現在の年齢は六一。

 これは非常に中途半端だ、と彼女は悩んでいる。早く歳をとりたいものだ、とすら思っている。といっても、この世を倦んでいるわけではない。一〇〇歳を超えれば常人とは違う長寿の種族感が出るが、六一というのはふつうの人間でもありえる年齢で、妙に生々しいのだ。


 外見で彼女のほんとうの年齢を判断することはできない。

 広間に続々と集められている物品の中に姿見があった。ひとりでも充分運べるほどの手ごろな大きさながら、縁に施された植物の彫刻は見事の一言で、自室に持ち帰りたいぐらいの逸品だった。

 その鏡面に、背中に翼を生やした若い白髪の女が映っている。

 髪は長くも短くもなく、彼女自身が最も似合う肩付近で切りそろえられている。上品な木製の髪留めが右耳の上にひとつ。

 玉座に腰掛け、すねの辺りまで覆う行軍用の編み上げ靴を履いた足をけだるげに組んでいる。

 彼女が身につけているのは黒地に金の刺繍が入った、やや厚手のローブ――北方の狼王国ほどではないが寒い時期が一年のほとんどを占める翼郷の軍服だ。

 端正に整った白皙に浮かぶ赤い瞳が、鏡の中からイフアリアを退屈そうに見つめ返している。


「うさぎみたいねっ」

 子どものときにかけられた言葉をイフアリアはふと思い出した。赤い瞳と白い髪からの連想だろう。言ってきたのは学校の同級生の女の子だったが、名前は思い出せない。舌足らずな声でイフアリアをうさぎと評した彼女も、いまごろは六一歳の老女として孫の成長にでも楽しみを見いだしていることだろう。

 同じ歳を重ねた鏡の中の女――イフアリアが二〇歳前後にしか見えないというのに、だ。


(うん、やっぱりわたし、うつくしい! かわいさときれいさがちょうどいい塩梅ね。翼郷で一番……とはいわなくても一〇番には入るでしょ、どう考えても)

 慶者として自身に与えられた特権の中で、衰えない容貌をイフアリアは特に感謝していた。いくら長生きできるとしても、老婆の外見で過ごすのはごめんだ。


 もし「翼郷を守護する務めには外見なんかどうでもいいじゃないか」とのたまう相手がいたら、固く握った鉄拳を喰らわせる準備はいつでもできている。イフアリアも翼郷という祖国にはそれなりの愛着を持っているが、それよりは自分の身が大事だ。「翼の聖女」なる大げさな異名を授かっているのは彼女の並外れた力の置きどころとしてちょうどいいからであって、別に国家への忠誠心からではない。


 イフアリアが姿見に映る己に見とれている間に、広間には物品が淡々と運び込まれていく。その中にはうたかたの旅嚢に入るかどうか微妙な大きさのものもあったが、仮に今回送れなくても、後に訪れるであろう本格的な調査隊のためと思えば無駄ではない。

 また、同時に本の回収作業も始まっている。部下たちが書架からむんずと数冊の本をつかんでは、後ろで待機している男が広げるうたかたの旅嚢の中にほとんど投げ入れるように突っ込んでいく。いまごろ翼郷の神殿では急に転移されてくる貴重品に大慌てだろう。


「聖女さま、こんなものがあったのですが」

 先ほどとは別の部下が玉座に座ったままのイフアリアに妙な仮面を差し出してきた。面頬で隠されてはいるが、部下が浮かべているのは困惑の表情だ。


「なにこれ、一度つけたら外せなくなるやつ? とんでもない呪いの咒具?」

「いえ、その逆です。ほかのものはどれも一流なのですが、これだけ芸術的な価値も咒力も感じられないのです」

「逆にそれが妙ってことね。ふうん」

 イフアリアは仮面を無造作に受け取った。彼女が修めている高位クラスのひとつ、護杖神官ごじょうしんかんの特性として、ほとんどの呪いは無効化できるという自信ゆえだ。

「確かになんの咒力もない、と。それに、なんだか冴えない顔」


 イフアリアは仮面をしげしげと眺める。

 それは正確には仮面というより死者の顔型をとったものに似ていた。材質は石膏とは違ってツルツルしているが、目をつむっている点がそれらしいのだ。その顔は男性のもので、数分後には忘れてしまいそうな凡庸な顔立ちをしていた。

「ここの王の顔を残したもの、という可能性も否定できないかと思いまして」

「一九人もいるんだもの、優れた顔立ちの者ばかりじゃないか。いいわ、向こうに送っちゃいましょう」

 イフアリアが手に持った仮面を放り投げると、少し離れた場所で広げられていたうたかたの旅嚢の中に見事に入った。これぐらいの芸当はいつもやっていることなので部下たちも特に驚かない。


「もし何かあったら、わたしが責任を持つから」

 ここの王にゆかりのある物品を奪ったということで、ひょっとしたらどこかから反発があるかもしれない。仮にそうなったとしても力で抑え込めばいいだけだ、という考えがイフアリアにはある。ここに下りるまでに殺した奇妙な恰好の者たち程度の強さであればどうとでもなる。


「はい、承知いたしました。……それにしても、その玉座はいずれ持ち帰るべきですね」

「はあ?」

「聖女さまは、そこにお座りになられるのがひどく似合いますから」

「…………」

 舌打ちしたくなるのを我慢する。いまのは自分が軽率だった。イフアリアこそ翼郷の指導者にふさわしい、という考えを一部の者が持っていることは分かっていた。そんな信奉者たちの前で玉座に腰掛けるべきではなかった。


 筆頭能座は諜報機関も兼ねているため、どうしても政治に関わる部分がある。そんな筆頭能座がもしイフアリアを担ぎ出す動きを見せれば、上層部も無視はできない。その結果、疑心暗鬼の良くない空気が国内に生まれることは誰でも想像がつく。

 しかし、それをわざわざ口に出すとは。普段はもうちょっと常識的なのだが、ここには気心の知れた同志しかいないということもあって抑えが利いていない。


 筆頭能座は一応イフアリアの護衛ということになっているが、実態はこのような熱狂的な個人崇拝が渦巻く組織だ。任務ごとに誰がイフアリアについてくるか選別されるが、それに漏れた者が血涙を流しているという嫌な噂も耳に入っている。彼らも彼らで翼郷で最精鋭の人材なのだから、もうちょっと何とかしてほしいものだった。


 まだ現在の指導者たちに具体的な敵意を向ける段階まで至ってないようだが、いずれにしろ頭が痛い問題だ。なんでも、伝承によれば翼郷の建国の祖がイフアリアと同じような慶者であり、イフアリアの信奉者はそれを根拠に連帯を強めているようだった。


「あのね、何度も言ってるけど、わたしにはそのつもりないから」

「もちろん存じております。我々が聖女さまのご意向に背くことはありません。ただ、何かの折にあなたの役に立ちたいと思っている者がいることを思い出していただければと願うのみです」

「そうね、何が起こるか分からないのが世の常だもの。太陽が西から昇ることがあるかもしれないし、わたしがそのへんのやつに負けるかもしれない。まあ、一〇〇年後にはわたしの心変わりもあるかもしれないわ」

「では、ひ孫あたりにもきちんと伝わるようにしておきます。命あらば聖女さまのもとへ駆けつけろ、これが我が家の家訓ということで」

 気のない返事にもめげず、部下は笑った。その意外なさわやかさに、イフアリアは何も言えなくなってしまう。

 イフアリアには自分の亡き後に願いを託すという行為がよく分からなかった。他を圧倒する力と長命を持つ彼女は願いを自分の手で確実に叶えられるからだ。


(いや、叶えられない願いもあるわね)

 アリアと呼ばれたい。できれば見目麗しい男に。

 ちょっと前までは「千年を生きるのだからどうせ醒める恋など不要」と強がっていたが、最近――といってもここ一〇年ぐらいで考えが変わった。愚かだった、と反省する。千年を生きるからこそ刹那的な恋が必要なのだ。そういったものがなければどんどん心がすり減っていく。


 相手となる男の条件は、徐々に固まりつつあるが、いまだに悩ましい。

 まず、力の面ではそれなりに強者であること。イフアリアと同程度はさすがに高望みしすぎなので、その三分の一ぐらいあれば充分。さらに、できるだけ長寿であることが望ましい。せっかく結ばれても数十年で死に別れるのはもったいないからだ。人間種であってもそれなりに長寿の種族はいる。それに、異なる種族の両親から生まれた子どもはときに非常に強力な能力を持つことがある。その辺りが狙い目だった。

 あるいは、力を権力と読み替えてもいい。「翼の聖女」などと持ち上げられ、イフアリアはいまや翼郷でかなり目立つ存在だ。市民からの認知度もある。要するに、その横に並び立って違和感のないぐらいの男がいい。


(容貌は……どうせ加齢とともに衰えるんだから、性格重視でね)

 とはいえ、もちろん容貌もあれば嬉しい。最低限、彼女より背が高いことは譲れない。いまは無骨なブーツのせいで多少増しているが、イフアリアの身長は人間種の女性としては平均的なので、これはそれほど難しい条件ではない。


(あと、料理とか掃除もそれなりにできたら文句なしね。わたしは家を空けることが多いわけだし)

 そこでふと気になる。

(わたし自身の容貌はどうなるんだろう?)

 急に衰えるのか、徐々に衰えるのか、千年このままなのか。今度、慶者がどのように老いていったのか調べなければならない。現在、慶者は彼女ひとりだけ。これは他人には任せられない大仕事だ。


 鏡の中の白い手がぐっと決意を固めて握られるのと同時に物音がした。

 警戒していた背後ではない。

 イフアリアは弾かれたように玉座から立ち上がり、階段からこちらに下りてくる人影を警戒する。愛用の熊手を右手に握りしめた臨戦態勢だ。


 しかし、闖入者の意外な姿を見た途端、熊手を握りしめる力が不覚にも緩んでしまった。

「ままさまー? どこー? かくれんぼ?」

 一〇歳ぐらいの少女が大広間にいるイフアリアたちを見つけ、ふしぎそうに首をかしげた。

「あなたたち、だぁれ?」

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