夜明けの騎士5
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カルブナが払暁騎士になったのは二四歳と三〇一日で、これは歴史上二番目に遅い。
「払暁騎士の才能を測りたい? そんなの簡単だ。そいつが払暁騎士になった歳を見ればいい」
これまでの人生で何度聞いたか分からない、どこかの誰かの無責任な批評。
「一〇代前半なら文句なしの天才、これまで全員が金冠術式まで習得し、主席まで上り詰めてる。一〇代後半ならまずまず、努力次第で幹部までの出世は見込める。二〇代なら……まあお察しだな」
払暁騎士になるための条件は二つ。
誓教国の士官学校を卒業すること。
満二五歳の誕生日までに銀冠術式を使えるようになること。
前者の士官学校に関しては武力の象徴として咒術だけでなく最低限の近接戦をこなせてほしいという思惑があるようだが、例えば一〇代前半で銀冠術式を習得する逸材には特別に卒業待遇を与えるので、実質的な条件は一つだけというのが正しい。
――銀冠術式まで至ること。
これこそが咒術の素養を持って誓教国に生まれた者の憧れであり、同時に無数の挫折を生んできた高い壁だ。
咒術の習得は生来の才能がすべてといっていい。これまでの歴史と経験の蓄積から、その限界は生まれた時点でほぼ決まっていることが明らかになっている。つまり、仮に銅冠術式まで何の苦もなく習得できた咒術士がいたとしても、銀冠術式を将来的に習得できる保証は全くないということだ。
その咒術士がたまたま早熟で、限界が銅冠術式だったのかもしれない。そして、いまのところその限界をあらかじめ知る術はない。
たとえどんなに血のにじむような努力しても銀冠術式が使えるとは限らない。そんな残酷さがこれまでに多くの悲話を生んできた。
二五歳まで、という条件は救済としての意味合いも含まれている。人間種の咒術の能力は二五歳以降ほぼ成長しないとされており、そこで無理ならばきっぱりと諦めて別の道を探せ、というわけだった。
別の道といっても、それまで心血を注いできた咒術から完全に離れる者はほとんどいない。
そもそも咒術の素養を持った者が貴重なのだ。
一番低級の
それより上の銅冠術式の使い手ともなれば行政機関の要職に乞われることも珍しくない上、自分で咒術の教場を開くこともできる。
「落ちこぼれの払暁騎士になるよりは銅冠の咒術士として栄達すればいいじゃないか」と払暁騎士になる前のカルブナは何度助言されたか分からない。何の伝手もない平民というカルブナの出自からすれば、それでも信じられないほどの出世だ。
だが、カルブナは毎回憮然とした顔で首を横に振った。払暁騎士になること、それだけが彼の人生の目的であって、それ以外の生き方は具体的に想像することができなかった。払暁騎士になれなければそのへんで野垂れ死ぬしかない、と本気で考えていた。
カルブナの生まれた寒村は誓教国の北西、狼王国との国境にほど近い山間にあった。「あんまり貧しいから腹ぺこの狼王国も襲ってこない」と村の者が自虐するとおり、結局最後まで北から襲われることは一度もなかった。
しかし、村を滅ぼす災いは北ではなく西、夜の眷属の領域からやってきた。
魔種にとってそこが富んでいるか貧しいかなど関係なく、ただただ凶作や地割れのように避けがたいものとして村人や家畜を殺し尽くした。
カルブナが五歳のときのことだ。
生き残りはカルブナも含めて数名。
払暁騎士たちが救援に来なければ全滅だっただろう。
火の手が回り、いまにも崩れ落ちそうな納屋に隠れていたところを払暁騎士の手で抱き上げられたとき、カルブナの人生は決定した。
家族や村の仲間たちを奪われた悲しみもある。
夜の眷属に対する恨みもある。
だが、一番強かったのは憧れだった。
自分を助けてくれた暖かい手のように自分も誰かを助けられるようになりたいと思った。
人によっては成長の過程で忘れてもおかしくない、そんな単純な希望だけがその後のカルブナの二〇年間を支配した。
孤児となったカルブナだが、やがて咒術の素養が認められ――カルブナ自身はそれが当然だと信じていたのでそれほど喜ばなかった――誓教国から資金的な援助を受けて士官学校に入ることとなった。あとは銀冠術式さえ使えるようになれば夢が叶うのだが、そこからが長く苦しい道のりだった。
数少ない平民の出ということで周囲からの風当たりは強かったが、それ自体はどうということはない。
カルブナにとって身を切られるようにつらかったのは、自分より年齢が低い者が軽々と自分より高位の咒術を覚えていく様を見ることだった。
咒術の習得に努力が入り込む余地はほとんどない。もちろん覚えた咒術を適切な状況で使うためには繰り返しの訓練が欠かせないし、瞑想をはじめとする修練や特殊な薬物の摂取によって咒力が増強されることも常識となっている。
だが、「どの冠位の術式まで使えるか」という根幹の部分は才能がほぼすべてだ。それは枠という言葉で説明されることが多い。咒術士は生まれたときにそれぞれの枠を与えられ、その枠内で力を伸ばすことはできるが、枠そのものを拡張することはできない、と。
銀冠術式に至れない者には――特に銅冠術式まで至ったがあと一歩足りない者には残酷な言葉だった。
鋼のような意思を貫き通してきたカルブナも、さすがに二〇歳を超えた頃から焦りを感じるようになってきた。
払暁騎士にわずかに届かなかった悲話は枚挙にいとまがない。カルブナもそのひとつに加わるのだろう、と周囲は思っていた。過去に払暁騎士になった者の叙任時の年齢を調べると、二〇歳を境に極端に数が少なくなるからだ。
やがてカルブナにとって自分より上の年齢で払暁騎士になれた「先輩」こそが心の支えになる。
その「先輩」がたった一人だけになったとき、カルブナはようやく銀冠術式に至った。
金冠術式は文句なしに人類の最高到達点であり、各国を見渡しても数えるほどしか使い手がいない。誓教国ではカルブナが知る限り四人だけだ。そこには払暁騎士の主席も含まれている。そこまではいかないにしろ、銀冠術式もとてつもない高みであることは間違いない。
願いは叶った。
もういいじゃないか、とどこかから声がする。
多くのものを犠牲にしてきたけれども、払暁騎士になるという最大の目標は達成した。
もちろん、それから先もすべてが順風満帆だったわけではない。
二四歳という「高齢」で払暁騎士になったばかりのカルブナには何かと苦労がつきまとった。同僚は若くして払暁騎士になった名門出の者ばかりなのでいまいち話が合わないし、聖堂参事会の政治家からは「老け顔だが新人で年かさ」と揶揄される。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
権威を誇るためにこの道を選んだのではない。
ひとつだけ心残りがある。
カルブナの命の恩人である払暁騎士は既に引退していた。カルブナは彼と手紙のやりとりはぽつぽつと続けていたものの、まだ直接訪ねることはできていない。士官学校であがいていたときは払暁騎士になれたら胸を張って報告しようと思っていたが、いざなってみると面映ゆさが勝り、任務の忙しさもあってなかなか足が向かなかった。
(こんなことなら訪ねておけばよかった)
――何がこんなことなら、なのか? それじゃまるで――
そんな自問をきっかけにカルブナは意識を取り戻した。
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