第29話 24 NON!フリーフォール!
目に映る光景に絶句する。
本来、近衛騎士であるクライブがわざわざ貴族の子弟の訓練相手をすることはないはずだ。
例えば『近衛騎士とは、こういうものです』的に、一時的に若手の研修に付き合う機会が設けられることは考えられる。
だけど先日の件があったばかりで、ピンポイントにセインを相手にすることはまずない。絶対にない。
(どうしてこんなことにっ)
セインもなんで言わないかな! 普通、言うでしょう!? 報告・連絡・相談は社会人の基本だと思うけど、それが出来ない子なの!?
正確には社会人なわけじゃないけど、今現在の私たちの関係を考えると最低限必要なことだと思う。
その基本が出来ないような頼りない主人である私にも大いに責任があるとは思うけど、これに関しては言っておいてほしかった。切実に。
おかげで目に映る光景をうまく脳が処理できない。垣根から覗き込んだ状態で固まったまま、どうしたらいいのかうまくまとまらない。
(私に言いたくない気持ちは、なんとなくわかるけど)
セインにだってプライドはあるだろうから、敵対関係にあるクライブに毎日こてんぱんにされてます、なんて言いたくないのもわかる。
身内に内緒で無茶をしてみたい年齢でもあるだろうし、ましてや私は男同士特有の関係なんてよくわからない女だし、メル爺も黙認しているからそれでいいと判断したのかもしれない。
それにもしセインから、このところ毎日クライブに扱かれていると言われていたら、さすがの私もクライブの元に乗り込んで文句を言った。
そうなることを心配して言わなかった、というのも考えられる。
少なくとも、セインが私に言わなかった理由はなんとなく想像がつく。
問題は、クライブ。
(なんでこんなことしてるの!?)
セインからクライブに突っかかっていくとは考えにくい。クライブから来たと考える方が妥当だ。
覗き込んだ先では、相変わらず二人の攻防は続いている。
主に攻めていくのはセインで、だが防衛しているからといってクライブが圧されているわけでは決していない。どころかまだ余裕を残しているのがわかる。
ただ時折セインが容赦なく急所を狙うので、クライブも気は抜いていない。その顔は怖い程に真剣で、セインを軽んじている雰囲気は一切感じられない。それを見ていれば、これが苛め目的でないことぐらいわかる。
そもそもクライブはわざわざセインを苛めるためだけに、こんなことをする暇人ではないはずだ。
それに近衛騎士と言えば、騎士の中の騎士。剣の腕だけでなく、性格だって重要視される。個人的にはクライブの性格に問題はあるように思うけど、少なくともくだらない苛めをする愚か者がなれる職ではない。いくら第一皇子の乳兄弟であっても、だ。
だからこそ、これは純粋にセインに稽古をつけてくれているだけに見えた。
ただ、それだけに意味がわからない。
兄の側近である近衛騎士は暇ではないはずなのに。なぜ私の侍従の訓練に付き合っているの。
混乱して動けない私だけでなく、周りにいた貴族の子弟達も手を止めて二人を見ている。
そんな中、足場から崩そうとしたセインが体を沈めて地面を蹴る。クライブの脇に回り込んだ。それは驚くほどの速さだったけれど、剣先がアキレス腱に届くより速く、クライブの蹴りがセインに叩き込まれる。
「踏み込みが浅い!」
叱咤の声が飛び、衝撃音とセインの足裏が地面を擦る音がここまで伝わってきた。そこに手加減は見えない。
セインも咄嗟に飛び退いて衝撃は緩和させたようだけど、咳き込んで片膝を着く。その姿を見ただけで体が強張って、血の気が引いていく。
それでも諦めずに睨み上げて再び突っ込んでいく姿を見れば、ここで自分が出て行って止めるのも憚られた。そんなことをすれば、邪魔なのは私の方だ。
とはいえども。
(セインも弱いわけじゃないけど、クライブとかメル爺は天敵だと思う)
見ていて掌に冷たい汗が滲む。
スラム街育ちのセインは生き延びる度にそれなりに危険な目に遭ってきた事に加え、ここに来てからはメル爺にも扱かれていたから、けして弱くはない。同年代と比べても、戦って負けることはあまりない。
ただ全勝するわけでもなく、引き分けに持ち込むことが多いらしい。
セインはその細身な体型上、パワーよりも俊敏さに特化している。それに相手を打ち負かすことを目的とするより、相手の隙を突いて逃げ道を作る方を重視している。元々そういう戦い方が身に付いているのか、生き延びることが第一だと思っている。
RPGでタイプ別に職業判定をするとしたら、クライブとメル爺が『剣士』だとすると、セインは『アサシン』あたりになるはず。
だから騎士みたいにお行儀よく、様式美を気にして戦うことはない。普通の騎士が訓練中なら使わないような卑怯な手も平然と使う。いざとなれば急所を狙うことに躊躇いもない。それはメル爺との手合わせで何度か見てきた。
クライブを尊敬するデリックみたいなタイプには、腹立たしいタイプに映ると思う。
そんなセインだから、普通に戦う分には十分に通用する。でもクライブみたいなパワーに加え、技術もあるタイプだとかなり厳しい。逃げる選択肢が潰された上、真っ向勝負となると分が悪い。
しかしだからこそ、ここに来る前にメル爺が言った言葉が引っかかった。
『まぁ敵を知るにはアレが手っ取り早い』
今のセインじゃ勝てないことなど目に見えている。だけど訓練ならば後に響く大怪我をさせられることもないし、相手の力量と自分の力量を知るにはこの状況は都合がいい。
たぶんセイン自身もそれをわかっていた。だからこそ私に黙っていたのだと思う。私に言ったら、絶対にクライブを止められると思ったから。
ここで出ていくのが正解か。踏み止まることが正解か。
ぎりっと奥歯を噛み締めて考える。
個人的には痛い思いはしてほしくない。クライブが手加減してるにしても、通常の訓練の域を越えて見える。ただこの先のセインにとっては、これは知っておいて損はない戦いでもある。
クライブがどういうつもりでこんな真似をしているのかが、理解できないけれど。
考えている内に、剣を弾く甲高い音が響いた。
「!」
セインの持っていた剣が弾かれて宙を舞う。
刃の潰された剣がガランガランと音を立てて地面に転がるまで、ほんの一瞬の出来事だった。
「全体的に力が全然足りてない。腕の力だけで剣を振るわない。医務室で治療を終えたら、昨日に引き続き腕立てと腹筋、外周走り込みをしてきなさい」
「っ……、はい。ありがとう、ございました」
剣先を突き付けられたセインが、荒い呼吸を繰り返しながら苦々しい顔で頷いた。周りで息を呑んで見ていた人達からは細く息が零れ落ちる。
すると、クライブは今度はそちらを鋭い瞳で見渡した。
「おまえたちも何を遊んでいる。いま手を止めていた者達は、全員外周走り込み!」
「!? っはい!」
睨まれた全員が慌てて背筋を伸ばした。顔を引き攣らせながらも命じられるままに我先にと蜘蛛の子を散らすように走り出す。
セインもよろけながらも立ち上がり、一礼すると医務室に向かって歩き出した。私のいる方に来るかと焦ったけれど、どうやらちゃんと中を通って行くつもりらしい。背中が遠ざかっていく。
後でちゃんと報告しなかったことへの説教はするけれど、いま顔を合わせるのはきっとセインも気まずい。そのまま見送った。治療はメル爺に任せておけば問題もない。
それよりも、私は私でやらなければいけないことがある。あるの、だけど。
(足、動かない)
やらなければいけないことはわかっているのに、いざとなると足が竦む。
垣根の向こう側の広場からは騎士達が訓練する音がまだ聞こえてくる。しかし私の目の前は閑散としてしまった。息を潜めたまま、その場に固まって逡巡する。
クライブが一人になった今、話しかける絶好のチャンスだとわかっている。
そう思うものの、あんな迫力のあるクライブを見た後で話しかける勇気が湧いてきてくれない。
ただでさえ先日の私の失言の件とか、色々と話さなければいけないのに。でもここで会うと思っていなかったから、心の準備が出来ていないわけで。
(息を吸って、吐いて、それから……っ)
落ち着くためにひとまず息を吸おう。息を吸い込んだところで、不意打ちでクライブの緑の瞳がこちらに向けられた。
「!」
垣根越しなのに、目が合った、気がした。
反射的にビクッと体が竦む。後ずさりかけて、ジャリ、と靴底と地面が擦れる音が響いた。
ほんの僅かな音だ。聞えてくる訓練の掛け声よりも遥かに小さい。それなのに。
(なんでこっちに歩いてくるの!?)
しかも大股で! 回れ右して逃げる間もない。その身長に見合った足の長さで、あっという間に距離を詰められる。垣根の切れ目から覗き込まれた。
「また随分と珍しいところでお会いしますね」
動顛して固まっている一瞬の隙に、逃がすまいと言わんばかりに目の前に立ち塞がられる。
(お、終わった……)
「一時はどうなることかと心配しましたが、思ったよりずっとお元気になられてなによりです。アルフェンルート殿下」
にこり、と笑いかけてくる顔は得体が知れない。反射的に笑い返そうとした頬が引き攣ってしまう。
「……その節は、世話になりました」
この人、もしかしなくても最初から私に気づいていたんじゃない? 私に無断であれだけセインを扱いてたのに全く悪びれた様子もない。どころか余裕すら感じる。
まるで私が見ていたことを、わかっていたみたいに。
「いえ、とんでもありません。ところでこのようなところで何をしていらっしゃったのですか?」
「そっくりそのまま、私も同じことをあなたに訊きたいです。クライブ」
こうして顔を合わせてしまった以上、覚悟を決めるしかない。震えそうになる手を隠すために拳を握り、息を吸い込む。
言うべきことは色々あるけれど、今は一番気になっていることを指摘するのが先だ。
「兄様の護衛はどうしたのですか。なぜセインの訓練に貴方が付き合っているのです」
「僕にも鍛錬の時間は必要ですよ? この時間帯はシークヴァルド殿下は執務中で移動されることはあまりないので、比較的安全なのです。今はちゃんと別の者が付いていますからご安心ください」
「ならばその鍛錬の時間に、どうしてセインの相手なんてしているのですか。クライブには物足りないでしょう」
「そんなこともありません。彼は力自体は足りていませんが、訓練であれほど遠慮なく急所を狙われることはあまりないので、案外いい鍛錬になっています」
こちらの問いかけに、狼狽えることもなくにこやかに答えられる。嘘には聞こえない。しかしクライブがそんなことをする意図は未だに掴めない。
こちらの戦力を把握しておきたい? あわよくば潰しておきたいとか?
眉を顰めて窺えば、なぜかクライブが苦笑いをした。
「殿下は随分と彼を信頼しているようでしたが、護衛に連れていくにはいささか心許ないでしょう? あれでは不安なので、もう少し使えるように扱いていただけです」
言われた言葉を理解すると同時に、ぽかんと間抜け面になった。
(なんで?)
この一言に尽きる。
「それは、クライブに面倒を見てもらうことではないと思うのですが……?」
唖然としたまま、思ったことがそのまま口から出ていた。
だって、そうでしょう。クライブにはそんなことをする義理がない。第一皇子派から見たら敵に塩を送る行為だ。無駄な仕事どころか、余計な事をしていることになる。
完全に意味がわからない。
するとクライブがなぜか少し頬を引き攣らせた。
「僕には貴方を守る義務があると、以前言ったと思うのですが」
「はい。聞いた覚えはあります」
兄様が私を庇護下に置いたから、クライブにも私を守る義務があるのだと。
確かに先日から、私がそれをどう思っているかは別として、守ってくれようとしていたのはなんとなくわかる。
最初が最初だっただけに、とても素直に受け入れられないけれど。どう考えても裏があるとしか思えなかったけれど。
「でしたら、これはその一環だと思っていただければよろしい」
「だからって、クライブがそこまでする必要はないと思います。兄様だって、そこまでクライブに頼んでいないでしょう?」
クライブの言い分では納得は出来ない。だって、忙しいはずだ。貴重な時間を割いているのだと思う。
さっきの口ぶりからすると、セインを思ったより使えると思ってくれていたとしても、それでもやっぱりまだ子供の力だ。今のはどう見てもサービスでやってくれているとしか思えない。先程以外にも、自分の鍛錬はちゃんと必要なはず。
それにクライブには何よりもまず兄を守ってもらわなければならない。こんなところでそんな無理をしてもらう理由など、何もない。
「クライブがそこまでしなければならない理由はないはずです」
憮然たる面持ちで言えば、私を見下ろしていたクライブがあからさまに顔を顰めた。不快に思わせたかと体が竦む。
次の瞬間、なぜかクライブは目の前に膝を着いていた。
「!?」
クライブのいきなりの動作に慄いた私を見上げ、困ったように眉尻が下げられた。
「理由ならちゃんとあります。僕は、あなたに信用していただきたいのです」
「…………。はい?」
この日一番、間抜けな声が口から漏れた。
いま、この人なんて言った?
(信用されたい? 私に? クライブが? ……クライブが!?)
なんで!?
待って、ほんとになんで? むしろ信用されなければいけないのはこちらの方で、それがどうして……どういうことなの!?
動揺のあまり、声が出ない。息をするのすら忘れて絶句したまま、私を見上げる緑の瞳をまじまじと見つめ返す。
「あのようなことをしでかした僕を、すぐに信用していただきたいなどとは言いません。汚名を返上する機会を与えていただけるだけでいいのです」
「……はぁ」
「殿下、さっそく僕の言うことを信じていないでしょう」
「……」
もう信じるとか信じないとか、そういう次元を超越している。頭がパンクしそう。
「ちょっと、時間がほしいです」
そう口にするだけで精一杯だった。
後でちゃんと考えるから、今はもう勘弁してほしい。頭の中で理解が全然追いついていかない。
いきなり安全ベルトなしでフリーフォールに叩き込まれた気分だった。落ちているのか浮いているのか、自分でも自分の感情が判別できない。
半ば放心状態で呆然としたまま呟くと、だけどクライブはなぜかほっとしたように息を吐いた。そして驚くほど柔らかく微笑む。
「はい」
まるで今はそれだけで十分だというように。
(これ、本当に本物のクライブ? クライブの皮を被った別人じゃない? 実は一卵性の双子だったりする?)
もしくは私はまだ高熱に魘されていて、悪夢の中にでもいるんじゃないかと思えてくる。
いっそ夢の方がいいかもしれない。これが本当の出来事だったとして、なぜか私に信用を寄せているように見えるクライブ相手に、実は女でしたなんて知られたらどうなるのか……
(無理。考えたくない)
恐ろしい未来予想図を描き出した思考を強制的にシャットアウトした。
その間にクライブが膝を軽く払って立ち上がる。私を見下ろし、ふと何か思いついたのか笑顔を向けてきた。
「ところで殿下。せっかくここまでいらしたのなら、殿下も鍛錬していかれますか? お付き合いしますよ」
「え……っ」
にこやかに微笑まれ、手まで取られて血の気が引いた。
さっきの今で、この申し出に悪意が含まれているとは思えない。朗らかな笑顔から考えても、明らかに好意で申し出られているのを感じる。
(クライブの鍛錬って、さっきのあのスパルタでしょう?)
剣もまともに持ったこともない私相手に多少加減してもらえたとしても、ぼろ雑巾のようにされる未来しか見えない。むしろ生きて帰れるかすらわからない。
考えただけでも顔が強張り、思わず後ずさる。しかし手を取られているので、それ以上逃げられない。
明らかに逃げ腰になっている私を見つめたまま、無言で笑顔を貫くクライブが怖い。この笑顔の下で何を考えているのかさっぱりわからない。
あんなことを言って油断させておいて、やっぱりこの機会に私のこと亡き者にしたいんじゃないの?
そうとしか思えないんだけど!
「だから、あまり苛めるなと言っているだろう」
「!」
絶対絶命だと泣きたくなったところで、不意に後ろから声が掛かった。全身が飛び跳ねる。
ぎょっとして振り返れば、私の上に人影が差した。
「久しぶりだな。体調が戻ったようでなによりだ、アルフェ」
そういって私を覗き込み、微かに口元を吊り上げたその人が救世主に見えた。
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