第二章【月編】: オジーの最期
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「リオン!!どこに行ってたの!?心配したんだから!」
心配もするだろう、すでに夜も更けている。
ただリオンはこれに対する言い訳も考えていた。ジャハムの具合が急に悪くなったということで面倒を見ていたと答えよう。ジャハムももし聞かれたら、そのように話を合わせてくれるだろう。
ただ、奇妙なのは──
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「良いか、リオン。シーラの嬢ちゃんが死んでしまった事は悲しいが、重大な事だ。クラウディアに伝えないわけにはいかないじゃろう。しかし、お主から伝えるのは1日待て。そうじゃな、明日……太陽が中天へ昇る少し前くらいまで。それから後なら伝えても良い。もしクラウディアからシーラの嬢ちゃんはどこへ行ったのか聞かれたら、どこかへ抜け出してしまったとでも答えろ。理由は、聞くな。もしも明日、さっき言った時刻まで何も起こらなければ、儂からクラウディアへと伝えよう」
なぜ時間を置かなくてはいけないのか、リオンにはよくわからなかったが、1日程度なら誤魔化せるだろうとは思った。ジャハムは何も話してくれない。それに対してリオンが不満を抱かなかったと言えば嘘になる。
──でもこの人は、僕たちがこの国に来て右も左も分からなかった時、何も事情を聞かずに助けてくれた。
「分かりました。でも、明日になったら必ず理由を聞かせてくださいよ。本当は気になって仕方がないんですから」
リオンが冗談交じりに言うと、ジャハムは奇妙な笑みを浮かべた。その笑みの出所をリオンは考えたが、どんな感情が込められているのかよくわからなかった。
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「そういうことだったのね……ええと、ジャハムさんは、その、大丈夫なの?」
クラウディアは心配そうに言う。
「ああ、幸い命に別状はないよ。こういうことはたまにあるって言っていたよ……まあこんなこと本人には言えないけど、実の所、もうかなりのご高齢だからね」
「失礼なこと言わないの! ご本人がいないところならなおさらよ。ジャハムさん、まだまだお若いんだから、年寄り扱いされたらきっと怒るわよ」
クラウディアに叱られてしまったリオンは素直に謝る。
「ところで、シーラが見当たらないの。リオンが出かける時には居た?」
「あ、ああ。いや、どうだったかな……朝はいたから、もしかしたらどこかへ散歩しに行ったのかもしれない……この前もそうだったけど、猫ってほんの小さい隙間から抜け出してしまうらしいね。夜の間は馬車の行き来もないから、この前みたいな事はないと思うけど……」
リオンはそれらしい言い訳をしてみたが、クラウディアは疑念とまではいかないものの、違和感のようなものを感じ取っているようだった。
「そう……心配ね。明日の朝になっても戻ってこなかったら、探しに行ってみようかしら」
「そうだね、それがいい」
こんなことで誤魔化せるのかと思いながらも、リオンはとりあえずジャハムから言われたようにクラウディアに伝えた。
──嘘をついていたことがバレたら、余計にショックを受けるんじゃないだろうか。
リオンの不安は募っていく。
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翌日、リオンの心配は彼が全く想像していなかった形で裏切られることになる。
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「シーラ!心配したんだから!」
朝、朝食を済ませた二人は、扉をカリカリとひっかく音を聞いた。クラウディアは勢いよく椅子から立ち上がり、玄関へ駆け出していく。リオンは「まさか」という思いでクラウディアの背を見つめていた。
もしそうだったとしたら、という思いがリオンにはあった。
もちろん喜ぶべきことなのだろうが、素直に喜べるかどうかリオンには分からなかった。
果たして扉の向こうから姿を見せたのは、馬車にひき殺されたはずのシーラである。
しかし、リオンの記憶にあるシーラとは何かが違うような気がした。
「一体どうしたの!?こんな泥だらけになって……それに、この匂い、う、ちょっとヤンチャしすぎじゃない?」
リオンの鼻を悪臭が突く。
形容しがたい臭いだった。肉が腐ったような臭いが一番近いだろうか。
耐えがたいというほどではなく、100のうちの10程に混じっているような、我慢しようと思えばできる程度の臭いだ。
──何がどうなっているんだ。シーラは確かに死んだはず。僕はあの子の頭が割れているところを見たんだぞ。
ドッドッドという音が聞こえてくる。
リオンは我知らず自身の胸を押さえた。音は彼の中から鳴っていた。
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「話を聞かせてください、ジャハムさん。今朝、シーラが戻ってきました。埋めたはずなのに。それとも実は生きていて土の中から這い出してきたとか……いや、それはない。シーラは確かに死んでいた……」
その日の夜、リオンはジャハムに「酒の相手として呼ばれている」という体で家を出た。クラウディアは酒を飲まないし、男同士の付き合いもあるということで納得している。
ジャハムは「そうじゃなあ」と力なくつぶやき、木杯に酒を注いでリオンに手渡した。
そして自分の杯にも酒を注ぎ、一息にそれを飲み干してから、重そうに口を開いた。
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「儂は昔、オジーという犬を飼っていたんじゃが──・・・」
ジャハムの話はリオンにはにわかには信じがたかった。
オジーは元々優しく穏やかな犬だったということ。
そんなオジーがある日、馬車に轢かれて死んでしまったということ。
妻を失くして以来、失意のジャハムを支えてくれたオジーの死で、ジャハムが大きく落ち込んでしまったということ。
それを見かねた友人──この街の古老の一人が、「精霊の森」のことを教えてくれたということ。
「じゃあ、ジャハムさんも僕と同じ様に……」
リオンが言うと、ジャハムは苦笑を浮かべて頷いた。まるで過去の過ちを告白する時のような、自嘲の笑みだった。
「オジーが死んでから3日だったか、4日だったか。儂は腐りかけたオジーを荷駄袋に詰め込んで、森の事を教えてくれた友人──コトリの案内に従って、あの丘にオジーを埋めた。そして翌日、オジーは生き返った。ただそれは、オジーであって、オジーじゃなかった」
リオンは息を呑む。
──オジーであってオジーじゃない、それはつまりシーラにも……?
リオンの心を読んだようにジャハムが続けた。
「前にも言ったが、時間が重要らしい。オジーは時間をかけすぎた。遅かったんじゃ。少なくとも……コトリの奴はそう言っておった」
「オジーはどうなったんですか?」
リオンが尋ねると、ジャハムは再び先ほどの笑みを浮かべて答えた。
「とんだ悪たれになっておっての。滅多に吠えたりせず、知らない者がやってくると怯えて儂の後ろに隠れるような、そんな臆病な犬だったんじゃが……。そう、本当に悪たれになっておった」
ジャハムはそう言って袖をめくる。
腕には噛み傷と思われる古傷が残っていた。
よほど強く深く噛まれたのだろうことが、年を経てもよくわかる、そんな傷だった。
「最期は儂の手で殺した。今は家の裏で静かに眠っておるよ」
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