ただいま
口羽龍
1
阪和線は大阪の天王寺と和歌山を結ぶ路線だ。日根野からは関西空港線が伸びていて、関西空港へ向かう電車が発着している。ここを走るのは特急はるか、くろしおの他に、関空快速、紀州路快速もあり、この2つの快速は天王寺から日根野まではつないで運転する場合がある。
山中渓を過ぎ、トンネルを抜けると、和歌山の市街地が山の中腹から見えてくる。その車窓を、1人の男が紀州路快速から見ている。山下勇夫(やましたいさお)だ。勇夫は和歌山県出身で、先日まで東京に住んでいたが、兄が死んだことによってここに戻ってきた。だが、本当はずっと東京にいたかった。ここに戻ってきたのは、父、智(さとし)の意向だった。智の思惑には従わなければ。たとえ東京に残りたいと思っていても。
紀州路快速は徐々に高度を下げていき、六十谷、紀伊中ノ島に停車していく。紀州路快速もこの辺りはまるで各駅停車だ。朝ラッシュ以外は熊取まで飛ばし飛ばしで運転してきたが、そこからは各駅停車だ。
紀州路快速はゆっくりと和歌山駅に進入した。和歌山駅は阪和線の終点で、紀勢本線、和歌山電鐵との乗換駅だ。だが、紀勢本線はここでダイヤが分断されている。
紀州路快速は終点の和歌山に着いた。和歌山県の県庁所在地で、最大の都市だ。多くの人が行きかっている。
「帰ってきてしまったか・・・」
勇夫は深くため息をついた。本当は帰りたくなかったのに、また帰ってきてしまった。高校を卒業して家を出て、もう帰らないと決意していたのに。東京の中国料理店でずっと頑張っていきたいと思っていたのに。
「もっといたかったのにな・・・」
勇夫はホームに降り立った。懐かしい風景だが、それを見て勇夫はがっかりしている。
「もう帰りたくなかったのに・・・」
改札を出ると、高校を卒業するまでなじみ深かった風景が広がる。何度も見た和歌山駅前の風景だ。
「あら、おかえり」
勇夫は振り向いた。そこには両親がいる。今さっきの声の主は、母、三枝子(みえこ)だ。横には智もいる。今日は仕事が休みのようだ。
「ただいま・・・」
「その気持ち、わかるよ」
その勇夫の表情を見て、本当は帰りたくなかったんだとわかった。だが、帰らなければ。家の跡を継ぐためにも。
「わかるわかる。でも、これからここで頑張りなさい」
智は勇夫の肩を叩いた。だが、勇夫は元気にならない。智心配した。本当に継げるんだろうか?
「はい・・・」
勇夫は下を向いている。本当は帰りたくない気持ちと、兄、隆利(たかとし)を失ったショックで立ち直らないのだ。
「大変な事になったけど、受け入れてね」
「うん・・・」
3人は車に乗った。車を運転するのは、三枝子だ。車は和歌山のメインストリートを走っていく。遠くには和歌山城が見える。和歌山城は和歌山市を代表する観光スポットで、多くの観光客が訪れる。
「まさか、兄ちゃんが死ぬとは」
「交通事故だったもんね」
隆利の死は突然だった。ここ最近多くなっている高齢者による交通事故だったという。家族はみんなショックを受け、特に三枝子は泣き崩れたという。運転手は逮捕されたが、反省は全くしていないという。スマートアシストが作動しなかったからと言っている。本当は自分の運転が悪いというのに。
「加害者は逮捕されたんだけど、もう出てきてほしくないわ」
「俺もそう思う! 一生償ってほしいわい!」
両親は怒っていた。あんな高齢者、もう二度と運転をするな。危ないと思ったら、運転免許を返納すればいいのに。
「そうだね」
ふと、智は思った。ここ最近、和歌山市のバス停で大きなことが起こった。いくつかのバス停の名前が変更になったのだ。
「もう、車庫前ってバス停、名前が変わっちゃったんだね」
車庫前というバス停は、高松北という名前に変わった。車庫前は、ここに和歌山市電の車両基地があったことに由来するが、市電が廃止になった後も車庫前と名乗っていたという。
「ああ。だけど、車庫前という名前はラーメンに受け継がれていくんだ」
車庫前のあたりには、夜遅くまで働く職員のために、ラーメンの屋台が多くあったという。それらの屋台の一部は廃止後、店を持ち、それらは『車庫前系の和歌山ラーメン』として知られるようになった。
「あなた、いい事言うわね」
「ありがとう」
智は笑みを浮かべた。
「今の店舗に移転してもうすぐ半世紀、父さんからの伝統は着実に受け継がれているんだな」
「うん」
智は和歌山ラーメンの店を経営している。この店は昔、車庫前駅の近くにあった屋台をルーツにしていて、今でも地元の人々はもちろん、観光客、ラーメン好きに愛されているという。そんな店の跡継ぎ候補だった隆利が事故死して、跡継ぎ候補として勇夫を連れてきたのだ。
勇夫が中国料理店で働いていたのは、そんな智の影響だった。和重がラーメンを作る姿を見て、智を超える料理人になりたいと思って、東京にやってきた。そして、中国料理店でめきめきと力をつけてきた。そんな矢先の帰郷だ。
「父さんは言ってた。屋台だった頃は、車庫前の近くで働いている路面電車の従業員がよくやってきたんだ。そんな路面電車は、もうなくなってしまった。そして、バス停も過去の名前になってしまった」
智は市電があった頃を思い出した。あの頃は屋台だった。市電の従業員がやってきて、ラーメンをすすっていった日々。あの頃はまだ作っていなかったけど、いい時代だったそうだ。だが、市電は廃止になり、屋台から店になった。どちらかというと、屋台のほうがよかったな。だけど、それが時代の流れなんだなと思っている。
「また、ここに路面電車が走る日って、来ないのかな?」
三枝子は思った。栃木県の宇都宮では宇都宮ライトレールという路面電車が開業したという。路面電車は最近、見直されているみたいだが、この和歌山に路面電車が再び走る日は来るんだろうか?
「そうだね。宇都宮に新しく路面電車ができたもんね。だったら、こっちにも作ってほしいよな」
「うん」
そう思いつつ、車は智の店に向っていた。だが、その間ずっと勇夫は下を向いていた。
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