池袋での日常①
調達班の救出行から、一週間が経過していた。
「
「ご、ごめんなさい!」
正式名称が湖底迷宮だと判明したダンジョンの地下十階層で、敗走したサハギン・ギャングを追撃しようとして隊列を乱した剛志に、朱音が怒号を浴びせる。
ビクっと身体を揺らし、剛志は慌てて足を止める。
「前のめりになるのは良いんだけどさぁ! もしあそこの曲がり角で
「はいっ! すみませんっ!」
朱音の剣幕にビビりまくった剛志は、直立不動のまま冷や汗を垂らす。
大河はそんな二人の姿を、少し離れた場所から呆気に取られた表情で眺めていた。
「……なによ」
視線に気づいた朱音が、大河を鋭い目つきで睨む。
「いや、朱音さんがそれを剛志に言うんだぁ……って」
「前に朱音さんが大河に怒られてたセリフ、そのまんまだもんね」
大河の背後に居た悠理が、ケラケラと笑う。
「なっ、そっ、それは!」
「あ、いやゴメン。朱音さんは何も間違っちゃいない。今のは剛志が悪い」
大河は慌てて腕を振る。
無理をしなくて良い状況で戦列を抜け出し、確認が取れていない曲がり角の先まで深追いしそうになった剛志の行動は確実に間違っている。
それを朱音が咎めたのは何もおかしくはないが、ほんの一ヶ月前に大河が朱音にまったく同じニュアンスの言葉で叱ったことを思い出し、少々感慨深くなっただけだ。
「そ、そうでしょ!」
「う、うす! 気をつけます!」
胸を張って己の正しさをドヤる朱音の横で、剛志が身体をくの字に折り曲げて頭を下げた。
「んー、そろそろ上に戻るか。お前実はちょっと疲れてるんだろ?」
「あ、いや、その! 大丈夫っす!」
平時では間違えない行動選択を取ったと言うことは、疲れから意識が散漫になっている証左だ。
大河の言葉を剛志は必死に否定するが、ダンジョンに潜ってもうすぐ五時間。
今回の目的が攻略ではなく剛志のレベル上げと戦闘経験を積む事なので、ここで無茶をするメリットが一つも無い。
「いや、帰ろう。戻って飯食って……圭太郎と椎奈さんと交代だな」
「た、大河兄! 俺もっとやれます! これ以上圭太郎に差を付けられたらっ!」
圭太郎と剛志は同じ年齢で同じ学年だ。
かたや圭太郎は異変初期から戦い続けているが、剛志はマンションに避難を始めた頃にようやく『咎人の剣』を手に取った。
地元で主にやんちゃなエピソードで名前が通っていた剛志は、わかりやすく圭太郎に嫉妬をしている。
別に仲が悪いわけではない。
素直で優しい性根をしている剛志は圭太郎とは違うベクトルでリーダーシップを発揮し、避難民の子供達を取りまとめている。
戦闘面では圭太郎が、生活面では剛志が顔役として機能する事で、子供達は今日まで特に大きな諍いもなく過ごせているのだ。
だからこそ、剛志は圭太郎と並び立ちたいと思っている。
別に圭太郎より強くなりたいとか、圭太郎を打ち負かしたいなどと思っている訳じゃ無い。
剛志によって年上の憧れが大河ならば、同年代の憧れが圭太郎なのだ。
そんな憧れに追いつく為には、時間と経験というアドバンテージを巻き返す必要がある。
椎奈と共に日常的にダンジョンに潜り続けている圭太郎と違い、剛志がモンスターを相手に優勢を取るためには大河ら経験豊富な者の補助がどうしたって必要になる。
最近は圭太郎も遠慮なく大河に師事を頼み込み、開いた時間を利用してここより下層でトレーニングをしている。
そんな圭太郎に追いつくには、今よりももっと長くダンジョンに潜り、今よりももっと多くのモンスターと対峙して、経験を積むのが唯一の方法だ。
「焦んなよ。俺もお前も圭太郎も、そして他の調達班の人たちも別に競争しているわけじゃないだろ? 俺らは生き残る為に戦っているんだ。お前にはお前のリズムがあるし、圭太郎には圭太郎のリズムがある。焦ってヘマやって、それで死んだら馬鹿みたいだ」
大河は腕を組み、静かな声色で、だがしっかりと強く剛志に釘を差した。
「う、うす……」
明らかに声のトーンを落とし、俯いて気落ちしている剛志の頭に、大河の右手が乱暴に置かれた。
「心配すんなって。お前もちゃんと強くなってる。後は落ち着いて周りを見ることさえ出来れば、五階層くらいならソロで来れるよ。あ、いや本当にソロで行くなよ? ちゃんと安全マージンは取るようにしろ?」
そして励ましの言葉を発しながら、剛志の明るい色の髪をグシャグシャと掻き混ぜた。
「戻ろうぜ。食材がたくさんドロップ出来たから、みんな喜ぶぞ」
「は、はい!」
最後に剛志の背中をバシッと叩き、大河はあらかじめ見つけておいた帰還陣の方向へと歩き始めた。
グシャグシャに髪を乱された剛志は顔を上げ、嬉しそうな表情を浮かべてその後を小走りで追う。
残された悠理と朱音は顔を見合わせ、やれやれと苦笑した。
そして二人の後を、ゆっくりと歩き出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「なぁ、悠理」
パークレジデンス池袋の二十三階。
調理場として用いられている開けた空間で、大河はパイプ椅子に座り、バケツに山盛りのじゃがいもの皮を剥きながらぼそりと呟いた。
「ん? なぁに?」
今日の献立はホワイトシチューなので、大きな業務用の寸胴に水を張っていた悠理が大河の声に振り向く。
「あのさ……俺、ちゃんと先輩できてんのかな……」
ドワーフ謹製のペティナイフを慣れた手つきで巧みに操り、スルスルとじゃがいもの皮を剥く大河の表情は暗い。
「剛志くんのこと?」
「そう」
「先輩できてるって言うのがよくわかんないんだけど、大河はちゃんと剛志くんと向き合って、優しく指導しているように見えるよ?」
青いゴムホースが繋がっている水道の蛇口を捻り、器用にゴムホースを輪っか状に巻きながら悠理は答えた。
「アイツが圭太郎とのレベル差と経験の差に悩んでる気持ちは、わかるんだよ。男だったら、やっぱ気にするしさ」
剥き終わったじゃがいもを、プラスチック製のザルに放り投げる。
後ほど芽を取り除く作業を小さい子供たちが担当する予定だ。
剥いたじゃがいもの皮は、屋上に陽子がせっせと作っている家庭菜園の肥料として使う予定だ。
培養土などは先日、大河が護衛について調達班の面々と新宿で購入してきた。
「でも俺、中学生活でほとんど後輩と接して来なかったし、部活も入ってなかったから先輩ってどういうのかも良く分かんなくてさ」
そうでなくても、大河の中学生活は二年生の夏で終わっている。
だから大河は、圭太郎や他の子供達──特に剛志との接し方にとても悩んでいた。
小学生の頃は何度か年上の子供と公園などで遊んだ覚えがあるが、あの年齢の子にとって先輩も後輩もあまり関係が無く、上下関係など意識した事は無い。
お手本となる先輩像が掴めず、自分がやっている行いが本当に剛志のためになっているのか、不安で堪らない。
「アンタ、そういうとこ本当に生真面目よねぇ」
「ふふっ」
皮を剥いた人参が大量に盛られているザルを担いで、朱音が会話に乱入してくる。
その横で陽子が、洗い終わったブロッコリーがこれまた大量に盛られているザルを持って笑っていた。
「朱音さんは、後輩から怖がられてそうだよな」
こっちは真剣に悩んでいるのに茶化されたと、大河はへそを曲げて朱音に意趣返しの一言を投げる。
「ざんねーん。アタシは優しくて穏やかで面倒見の良い美人な先輩だって昔から評判なんだから」
「どうせ皆んな怖がって朱音さんを怒らせないように機嫌を取ってたってオチだろ?」
「おうこら、お前ちょっと屋上来いや。久々に……キレちまったよ……」
こめかみをピクピクと痙攣させた朱音が、親指で背後の非常階段を指した。
「大河くんはちゃんと先輩できてると思うわよ? みんなあんなに懐いてるし」
陽子の言う通り、大河は子供たちから非常に懐かれている。
なんだかんだで面倒見が良く、どんな話でもちゃんと聞き、そして強い。
特に小学生低学年から下の年齢層の子供たちからは、まるで特撮ヒーローのような視線で見られている節があった。
無理もないだろう。
生存が絶望視されていた調達班の面々を、そしてあれだけ苦労して開拓した地下十五階層へとのルートをたった数時間で踏破し、なおかつ死者をゼロにまで抑えて救出したのだ。
助けられた調達班のメンバーは、大河がいかに迅速に駆けつけてくれたか、いかにカッコよくサハギン・マフィアやドン・サハギンを討伐したかを嬉々として子供たちに伝えた。
特に圭太郎と剛志が若干話を盛って伝えている部分はあるが、そんな話に目を煌めかせたのが子供たちである。
ハードブレイカーを見せて欲しいというおねだりから始まり、スキルを使って欲しい、背中に乗せてジャンプして欲しいなどの要望が大河に集中した。
そんな子供たちのリクエストに律儀に答えたおかげもあってか、今じゃ大河はこのマンションの人気者である。
「ちっこい子たちはまぁ良いんだよ。問題は剛志と、圭太郎かなぁ。アイツら、俺の事を超人かなんかだと思い込んでるんじゃないか?」
「アンタに着いて回るあの二人、近所の爺さんが飼ってたシベリアンハスキーそっくりだわ」
朱音はテーブルの上に人参の盛られたザルを乱暴に置いて、悠理が愛用しているドワーフ製の万能包丁を手に取る。
用途に応じた五種の包丁セットの中で、一番使いやすい包丁だ。
「どこ行くにも着いてくるもんね……お風呂とか……」
手つきが危なっかしくて任せられない朱音から包丁を即座に奪い取り、悠理は大きく目を開いたままうっすらと笑う。
大勢との集団生活だ。
しかも自分より年下の思春期の男女が多いせいで大河との(性的な)コミュニケーションが不足している現状、自分ですら我慢しているのに大河と風呂を共にした圭太郎と剛志に対して、悠理はドス黒い感情を向けている。
そうでなくても男女で分かれて眠っているせいで圧倒的に大河成分が摂取できず、ようやく見つけた二人っきりの時間を無遠慮に割って入って来られたりと、フラストレーションが溜まっているのだ。
「ゆ、悠理ちゃん。私からそれとなく二人に注意しておくから」
少し前から大河と悠理を名前で呼ぶようになった陽子が、慌てて悠理を宥める。
「ええ、是非お願いしますね……」
口元は笑っているのに目が全く笑っていない悠理が、人参を一本手に取ってまな板の上に置くと、手慣れた手つきで乱切りにしていく。
「鎮まり給え! なぜそこまで荒ぶっているのか! いまマジで悠理、包丁を使っている時にその顔やめよ? ね?」
「なんで?」
人参を切る手を一切止めず、顔だけを朱音に向けてにっこりと微笑む。
「ひぃ……ちょっと、大河! アンタなんとかしなさいよ! 彼氏でしょ!」
その顔になんとも言えない根源的な恐怖を抱いた朱音が、黙々とじゃがいもの皮を剥く大河の身体を揺さぶった。
「悠理、明日二人で出掛けないか? えっと、泊まりで」
「行くっ!」
ダンっ! と、人参が真っ二つに割れ飛んだ。
「絶対に行く! どこ行く!? 新宿!? 高田馬場!? ノームたちの小屋!? お泊まりだから、ちゃんと寝れる場所確保できるところが良いよね! あっ! 新宿で私たちが寝泊まりしてた場所、久しぶりに見に行ってもいいよね! 新宿なら買い物もたくさんできるし! でも高田馬場でのんびりするのも良いなぁ! あそこのウィークリーマンションは、私と大河の大事な場所だしね! 目白の大学とか、どうなっているか確認しにいくのも良いかもね! でもちょっと危ないか! えへへ、楽しみだなぁ! お弁当、作んなきゃね!」
一転してニッコニコになった悠理が、さらに速度を上げて人参を切り刻んでいく。
「というわけで陽子さん。明日は俺ら休みで」
「え、ええ……最近働きっぱなしだったし、休んで欲しかったからちょうどいいわ……」
悠理の様子にドン引きしていた陽子が、大河の言葉に静かに頷いた。
「陽子、ここに居る大人で良い男いない?」
「朱音、残念だけど今いるメンバーで独り身の人……居ないの。池袋の外で奥さんが待っている人とか、最近付き合い出したカップルばかりで……えっと、その……ごめん」
未だ家に帰る事を諦めていない既婚者男性は頑なに身持ちを堅くしているし、この狭いコミュニティの中で愛を育み始めている男女が居ても何もおかしくない。
後発でこの地にやってきた朱音に、もう座る椅子は残って無かったのだ。
「あーつまんねーなーほんとによー!」
不貞腐れた朱音はその馬鹿力でじゃがいもを次々と握り潰していく。
「朱音さん! それ潰すんじゃなくて切り分けるんだってば! あとまだじゃがいもの芽を取ってないの!」
食材を乱暴に扱われた事で我に返った悠理が、朱音を叱った。
「ご、ごめんなさい!」
結局大河の疑問は何も解消されないまま子供達が手伝いに降りてきたので、この話はここまでとなった。
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