第20話エミリア、アカデミーに入学する
ルーカスの戦死の知らせを受けてから3か月ほど経った頃になって、あたし宛てに戦場のルーカスからの手紙が届いた。
魔物の大量発生のせいで戦地が混乱に陥り、手紙の配送が大幅に遅れたからだった。
戦場から帰宅したお父様が執務室に私を呼んで手紙を渡してくれた。
手紙には挨拶もせずに公爵邸を去った事のお詫びが書かれていた。そして自分の事は早く忘れて幸せに暮らして欲しいと、たったそれだけの手紙だった。
ルーカスが執事を辞めて屋敷を去ったのは私のせいだ。私は嫌われているとも知らず強引にルーカスに結婚を迫ったのだ。だから黙って辞めたルーカスを責める資格など私には無い。
ルーカスが死んだと聞いた時に、散々泣き尽くしてもう涙は枯れたと思っていた。だから手紙を読んだ時も涙は浮かんでこなかった。お父様が1枚の画用紙を私に差し出すまでは。
手紙をその場で読んだ私はすぐ執務室を出ようとした。
「エミリア、ちょっと待ちなさい」
お父様はデスク越しに私を呼び止めた。
「はい、お父様?」
「ギリゴール卿の‥ルーカスの遺品の中にあった物なんだが‥知っての通り彼には身寄りがない。だから元の持ち主に返すのがいいと思ってな」
お父様はデスクの上にリボンでくくられた1枚の画用紙を置いた。
「これはお前が描いた物だろう?」
リボンをほどいて画用紙を広げた。描きかけの拙い絵が私の目に飛び込んで来た。これは確かに私が描いた物だ。
ルーカスはこれを『黒い馬』と言っていたが違う。これは執事の黒い制服を着たルーカスが雷撃でコカトリスをやっつけた時の様子を描いた物だ。(自分なりに)
あの時の雷撃の様に色んな事が瞬時に頭の中を駆け巡った。そしてルーカスへの怒りがむらむらと込み上げてきた。
ルーカスは嘘つきだ! 私の事を嫌いだなんて嘘をついたんだ!
この絵がルーカスを描いた物だという事はアンドーゼ先生に話した。ルーカスは先生から聞いたのだろう。嫌っている子供が描いた自分の絵を、わざわざ戦場に持って行く訳がない!
ルーカスのばか! バカバカバカ! 私を嫌いだなんて嘘までついて、屋敷を辞めて戦場に戻って‥だから死んじゃったんじゃない! だから‥ルーカスが死んだのは私のせいなんだ!
「わあああぁぁぁっ!」
私はその場で泣き出した。静まり返った執務室に私の泣き声が響く。もう涙は枯れたと思っていたのに、涙はどんどん溢れてくる。死んでしまったルーカスへの怒りと、死に追いやった自分への怒り、嫌われていなかった事への安堵、色んな感情が入り混じって頭の中も心の中もぐちゃぐちゃだった。
「あたしの・・あたしのせいでルーカスは死んじゃったんです! わああぁぁぁん」
突然泣き出した私にお父様は慌ててデスクから立ち上がって傍に来た。そして優しく抱きしめながらこう言った。
「エミリア、ルーカスが死んだのはお前のせいではない。ルーカスの体は不治の病に侵されていたんだよ。私は彼に余生をここでのんびりと過ごして欲しかった。だが、先が短いと分かったルーカスは最後まで剣士として戦場で戦う事を選んだんだ。エミリアがどうして自分のせいだと思うのか分からないが、絶対にお前のせいじゃない」
ルーカスが病気だった‥? そういえば外出から帰って来たルーカスから消毒の匂いがしていた事があった気がする。でもルーカスが戦場に戻った理由はきっとそれだけじゃない・・・・・・。
あれから1年、2年、と時間は過ぎて行ったけど私の心の中にはぽっかりと大きな穴が開いたままだ。何をしても楽しくないし、何かしたいと思う事もない。
ルーカスに好かれたいが為に私は一生懸命いい子になろうとした。勉強は今まで以上に頑張ったし、みんなに優しくして思いやりを持てるよう、心を砕いた。そこまでは好ましい変化として周囲に受け入れられたが、ルーカスが死んでしまってからは私の心も一緒に死んでしまった。
見た目の効果も相まって、私は黙っていると本当に人形の様に思われる程、喜怒哀楽に乏しくなってしまったのだ。
お父様は以前より屋敷に帰ってくることが多くなった。でも私に対してどう接したらいいのか戸惑っているように見える。
お母様はいつも通り変わらない。社交行事に精を出し、公爵家を取り仕切るのに大忙しだ。その合間、せっせとお茶会を開き私と同年代の子女を招待したが、今更友達を作る気にもなれなかった。あまりにも無気力な私に、お母様は最終手段を取った。
それは私をアカデミーに入学させる事だ。あとはもう環境を変えるしかないと思ったのが理由らしい。
お母様は私がきちんと勉強して公爵家の跡取りとしての将来を見据えてくれさえすれば問題ないと思ったようだが、アンやエレンを初め私に近しい人達が心配し始めたのだ。
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私が入学したアカデミーは全寮制。8歳から入学出来て19歳で卒業となる。寮は4人部屋と3人部屋があり、それぞれ違う学年の生徒が割り振られる。寮では主に上級生が下級生の世話をする事になる。
幼くして全寮制のアカデミーに入学するのはとても心細い事だ。だから同室の生徒が先輩、後輩、時には姉妹、兄弟、家族となり共に助け合いながら勉学に励むというスタイルの学校なのだ。
そして貴族と平民が一緒というのもこのアカデミーの特徴だ。平民はかなり裕福な層に限られるが、それでも革新的な学校である事に変わりない。
私は9歳から途中入学でアカデミーに入った。
最初の内は私がお世話される側。15歳となった今は幼い生徒たちの面倒を見る側になった。
今年も新入生が入ってくる。生徒会の役員である私は新入生に校内を案内する役目が割り振られた。
「私は8年生のエミリア・ゴールドスタインです。今日はみなさんに校内を案内しますので2列になって付いて来て下さい」
新入生は36人。2クラスだ。中には大人びた子もいるが、みんなとても幼い。不安そうな顔をしている子や期待と興奮に目を輝かせている子、落ち着きなくキョロキョロしている子など様々だ。
・・だが総合して賑やかだ。うるさいと言ってもいい位。げんなりしながら新入生を引率している私の横を一人の教師がすれ違った。
「エミ‥ミス・ゴールドスタイン。頑張ってますね。おや、そんな顔をしないで下さい。いくら私が役員に推薦したからと言って、そんな恨みがましい顔をされては・・」
彼に皆まで言わせず私は口を挟んだ。「アンドーゼ先生! 恨みがましい顔ではありません、恨んでいるのですわ!」
そう、彼は私の家庭教師をしていたアンドーゼ先生。私がアカデミーに入学することになって職を失った為、お母様の口利きでこの学校に教師としての働き口を得たのだ。
おまけに上級クラスの15歳になった途端、アンドーゼ先生の推薦を受けて生徒会役員の座に就かされてしまった。私は役員なんてやりたくなかったのに!
「先生~次はどこに行くんですか~?」
アンドーゼ先生に抗議の眼差しを向けていると、新入生の一人が私のスカートを引っ張った。
「私は先生じゃないわ。8年せ・・」スカートから手を離そうとすると別の新入生が割って入った。
「この方はゴールドスタイン公爵家のエミリア様よ! あなたそんな事も知らないの!?」
いえ‥知ってる方が珍しいと思うわ。
縦ロールの赤毛を大きなリボンで左右に結ったその子は私を見上げながらませた口調で言った。
「私、イライザ・コークスと言います。コークス伯爵家の次女ですわ! どうぞお見知りおきを!」
「そ、そうなのね」
「ね~早く次に行きたいよぉ」今度は別の少年が文句を言い始めた。
「あたし、喉が渇いたぁ」
「あたしもぉ」
「はい! はーいっ! 僕、トイレ行きたいです!」後ろの方で勢いよく手を上げている子が言った。
今ここで私のスカートを引っ張っていた子は「あ、蝶々だ!」と言って、廊下を反対方向に走り出した。それにつられて何人かが一緒に蝶を追いかけ始める。
わーわーぎゃーぎゃーわーわー!!
ああっ、もう! 新入生の引率を一人でやるなんて無理があるんだわ!
「あの、僕がトイレに連れて行きましょうか?」
その時、一人の少年が前に進み出て言った。
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