第4話エミリア、授業をサボる
ルーカス・ウォーデンが屋敷に来てから1か月ほどが経った。
広い屋敷の中であたしとルーカスが顔を合わせる機会は少なかったが噂を耳にする事はあったわね。
公爵家は庭も広大だ。その東側に位置する小さなガゼボ。美しい灌木に囲まれた、あまり人が来ないこの場所で静かに一人、本を読むのがあたしは大好きなの。今日もナッツが沢山入ったクッキーを持てるだけ握りしめ、小脇に本を抱えてやって来た。
ガゼボからよく見える位置にバードバスがある。その近くに椅子を運んで行き、上にクッキーを砕いてばら撒いた。
「よいしょっと! はあ、ここの椅子はもっと軽い物にしておけって言わないとだわ。毎回運び出すのが大変だもの」
静かに本を読んでいるとナッツを目当てに小鳥達がやって来た。動物はいいわ、あたしをイライラさせたりしないし、余計な事も言わない。見ているだけで癒される。
この鳥たちは純粋な食欲からここに集まってくるだけ。でもその中に1羽だけ利口な子がいる。今日もナッツが無くなるとガゼボの手すりまで飛んできて「ピ~ッ」と鳴くのだ。
「まだ欲しいの? ごめんね、もう無いの。それともありがとうって言ってるの?」
だが近くでガサッと草木がこすれる物音がして鳥は飛び立ってしまった。人の話し声が近付いて来る。
「・・それでね、今日は銀食器の磨き方を教えたのよ」
「えっ? 磨き方を知らないの?」
「そうなのよ! 執事をやろうって人がそんな事も知らないのよ。呆れちゃうわよね」
「あの年でまだ見習いですものねえ・・もしかして物凄く呑み込みが悪いとか」
「60過ぎてるんだっけ。あっでもね、呑み込みは早いわ。大抵の事は一度言えば出来るようになるし、器用というか・・凝った装飾のある燭台も綺麗に磨けてたわ」
あたしはチビなの。7歳にしては小柄なのよ。だからガゼボの椅子に座るとすっかり隠れてしまう。メイドの二人は私がガゼボに居る事に気づかず、ぺらぺらとしゃべり続けている。
「でもあの顔の傷は凄いわよね。随分古い傷だって言ってたけど」
「私、それについても誰かから聞いたわ! なんでも以前勤めていたお屋敷のお嬢様に手を出して、ご主人様に切りつけられたんだとか。死にかけたらしいわよ、その時」
「えええっ、あの年で?」
「バカね、昔よ。若い頃の話だってば」
「ここにもお嬢様がいるじゃない。大丈夫かしら?」
「あんなチビの狂犬がどうなったって関係ないわ。この間だってブラシに髪が絡まったってだけでバレリーの手を血が出る程噛みついたのよ」
はっ! 言ってくれるじゃないの! 私は突然ガゼボから顔を出した。「良く聞こえなかったわ。チビがどうとか・・もっと大きな声で言ってちょうだい」
私を見たメイド二人は凍り付いたようにその場に立ち尽くした。
「あ、あの。いえ、これは・・」
「なぁ~にぃ~、聞こえなぁ~い」耳に手をあて、大袈裟に聞く。
「申し訳ありません。どうか・・ご勘弁ください」
メイドの片方はオロオロして、片方は半泣きで謝っていた。ふん、さっきまでの勢いはどこへ行ったのかしら? さてこの二人、どうしてやろうかと思っているとアンがあたしを探しに現れた。
「またこんな所に。先ほどから外国語の先生がお待ちです、参りますよ」
アンはちらりと横目でメイド達を見た。まさに絶好のタイミングでやって来たアン。きっと彼女たちの目にはアンが救世主に映ったことでしょうね。
「今度は何があったのです」
「何もないわ」
知らん顔するあたしにアンは質問をやめて、ガゼボから連れ出そうとあたしの手を握った。
「あっ」握った手をアンはパッと離した。
「へへ」
「なんですか、そのべたべたした手は?!」
「クッキーを持ってたからよ」
「素手でクッキーを持ち出すなんて、レディのする事ではありません!」
今度はあたしの手首を掴んでアンは歩き出した。長身で足の長いアンに引きずられるようにして、あたしは屋敷に戻って来た。勉強部屋に行く前にあたしはまず手を洗わせられた。その時ふといい事を思いついたの!
「今日は外国語はお休みにするわ!」
「えっ」
「いやぁねえ、アンったら耳が遠くなったんじゃないの? 外国語はやめてあたし、買い物に出掛けるわ!」
「先生がずっとお待ちなのですよ!」
「じゃあ断って来るわ」
走って勉強部屋に着くと勢いよくドアを押し開けた。
外国語の教師は大袈裟な口髭を蓄えた気取った中年の小男だ。今も小指を立てた気持ち悪い手つきでカップを持ちお茶をすすっている。
「今日は授業はお休みよ。じゃあね」
ドアを閉めず振り返りもせずに、あたしはまた走り出した。後ろから「私はもう1時間近くも待っていたのですぞ!」と喚き散らす声が聞こえて来た。
自室に戻っるとアンが待ち構えていた。
「アン、着替えを手伝ってちょうだい!」
「勝手に授業をお休みして、奥様に叱られますよ」
「あの先生ならすぐ告げ口しそうだものね」
アンは同意しなかったが否定もしなかった。
「着替えてどこへ行かれるのです?」
「急な買い物を思いついたのよ」
「お買い物でしたら帽子を被らないといけません、今日はお日様がきついですから・・」
「何でもいいから早くして!」
帽子のリボンもきちんと結ばないまま部屋を出ようとすると「護衛騎士を呼ぶまでお待ちください!」とアンに両肩を掴まれた。と、廊下を歩いて来るルーカスがアンの目に留まったみたい。
「ちょっとあなた、ウォーデンさんね。お嬢様が買い物に行かれます。護衛騎士を二人呼んできて下さい。それと馬車の用意を」
そうしてルーカスが連れてきたのは、まだ公爵家騎士団に入団したばかりの若者が1人だけだった。
「今日は彼以外みな出払っているか、この後に仕事が入っているそうです」
「困ったわね・・」
あたしは急いでいるんだってば! たかが買い物くらいで護衛騎士なんて必要ないのに! このままじゃアンは絶対に外へ出してくれない。あたしは部屋を出て行こうとしているルーカスに言った。
「ウォーデン。あんたも付いてきなさい。これで二人になったからいいでしょう? アン」
アンは渋々了承した。
護衛騎士は馬で後ろから馬車に付いて来て、ルーカスは一緒に馬車に乗った。
「今日のお買い物は何ですか?」
ルーカスはまたニコニコしながら聞いて来た。こうして正面から見ると確かに頬の傷が凄いわね。何で切り付けられたのかしら? 短剣? それとも騎士が持ってるようなソード?
「その傷、凄いわね。まだ痛むの?」
「古い傷ですからもう痛むことはありません。この様な醜い傷ですが、名誉の負傷ですから」
名誉の負傷? 自分が働いている屋敷の令嬢に手を出して切られた傷が名誉の負傷ですって? どうかしてるわ。(手を出すってどういう事か分からないけど、良くない事よね)
もしかして、この執事見習いは本当にどうかしてるのかもしれない。いつもニコニコ笑っているのは、心中で悪だくみをしているせいかも。あたしは背中がぞわぞわしてきた。ルーカスを連れてきたのは間違いだったかしら・・。 ぶるっと身震いした後、思わずルーカスの正面を避け、窓際に移動しながら外を見た。
しばらく走ると目的の店が見えてきた。王宮に近いこの街には大きな市場が幾つもあり、メインの大通りには高級ブティックや贅沢品を扱った店が沢山軒を連ねている。
今回の店は以前、お母様と一緒に来たことがある店よ。だが店の前に降り立ったあたしは激怒した。
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