第2話 トネリコの杖
そもそも、どうしてみどりが行商人などになったかというと、深い事情はなかった。ただ、外よりも住みやすく金のことを頭に据えずに済む。しかし外でも生きれるように保険が欲しかった。
ダンジョンはあらゆる未知を育む。危険性を挙げればきりがないのだ。
ちなみにみどりは第九十階層の『霊峰』の頂に山小屋を建てて住んでいるが、それはモンスターの襲撃が皆無の、数少ないセーフゾーンだから。
現実は大概思い通りにいくわけもなく、みどりの財産は千と百二十円。抜本的に探索者が、加えてみどりの常駐するような
辿り着くだけでも一ヶ月はかかるのだから当然の帰結だ。
そんな常識を知らないみどりは、ときおり山腹に現れる探索者の気配に敏感で、金を持っていない者たちには物々交換を迫る。上層から上がってくる素材はなにげにみどりが求めているものも多い。これぞフェアトレードである。
その日は、大遠征帰りの数十人規模のレイドが『霊峰』を降りていた。
「しっかし、熱砂の砂漠なんてどうやって抜けるのよ」
「次の階層口も見つからない。こんなことで回れ右を余儀なくされるなんてね」
『アスタルト』の切り込み隊長と呼び声高い斥候の少女二人は樹海のそばで愚痴を漏らす。
レイド『アスタルト』大規模攻略を主とした、言わばサーカスの探索者バージョンである。実績はあり、ここ十年でいくつかのダンジョンの未到達階層に到達している。
「そう言えばさ、あの『剣鬼』も砂漠で死にかけてたんでしょ?」
「帰りに
拾い物はいつだって嬉しいものだ。
けど、と銀槍をたずさえた少女は眉をひそめた。
「わたしたちと同じくらいの子に助けてもらったって、あれ信じられる?」
第百二十階層は正真正銘の深層も深層。人ひとりでたどり着ける領域ではない。
気温五九度を記録し、流動する砂海はもれなく日照りに焼かれている。さらには神話もなんのその、剣鬼こと安生が目測で富士山と同等の巨体……巨獣の毒蛇を確認したところに、少年が一人?少女たちからして熱に浮かされて幻覚でも見たんじゃないかと疑ってしまう。
まだ剣鬼の一人遠征の方に現実的な信憑性がある。
「結局、その少年に会ってみないと実在しているかすら分からないんだけどね」
銀槍の少女は苦笑交じりの返答に肩をすくめた。
まさか、と。
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人は本能からして会話を求める生き物である。
みどりが『熱砂の大海』からさらに『
「これは、商売のチャンス!」
ちょうどよかった。
『トネリコの枝』は加工前の天然素材。下手にみどりが椅子やら解毒剤として利用の幅を狭めて使い潰すこともない。正直、いつでも手に入れられる枝より札の方が重要度は高かった。
ふもとの山林を抜け、二人の探索者をとらえて手を振って走り寄る。
「おーい、そこの探索者さーん!」
「え?」
「おとこの、こ?」
「ふっふーん、初めまして探索者さん。己はしがない行商人のみどり、解毒薬の素材はいらんかね?」
みどりは会話に飢えていた。
固まってしまった少女たちを気にしてはいられず、営業が始まる。みどりの瞳は生き生きとしていた。
「この『トネリコの枝』は七つの首をもつ黒龍『ヒドラ』の死毒にも効く特化素材だよ。値段は千円、値切りは勘弁してね?」
「「……」」
「た、探索者さん。固まってどうしたん?」
「「う、ううん。なんでもない(よ)」」
「そうかい、それで買ってくれんか?」
少女らは困った。『ヒドラ』とか『トネリコの枝』とか『死毒』とか前代未聞のマシンガントークに、いかなる理解を示したものか。
片方の、赤髪の少女がまずはみどりを落ち着けようと手で制する。
「ちょっと待って。ねえミサト、この子安生さんが言ってた子じゃない?」
「い、いやあホノも冗談がうまいなあ。あはは……マジ?」
ホノはとりあえず確認することにした。
耳打ち状態を解き、みどりの方を見やると『あっちにも探索者がいっぱいだあ!』と久々の大人数に興奮気味で小躍りしていた。
……これは重症かもしれない。少女二人はちょっと気の毒に思う。
「あの、みどりさん。下で和服を着て、おっきな木刀を持った青年に会いました?」
「あーあの無能、帰ってなかったの?ふふーん」
「無駄にキレがいいな」
「そう?ありがと!」
気のいいみどりはさらりと答えた。
間違いないとホノは確信をものにする。しかし、ではどうしようかと聞かれても窮するだけで、みどりが大幣代わりに振っている『トネリコの枝』を注視した。
「……杖を」
「はい?加工はそちらの技術の方が上だと思うが」
「なに言ってんのホノ……?」
つい出た本音、だからこそホノは自身の勘に従った。
「いえ、みどりさんにお願いしたいのですが」
「己に……良し、相分かった。なにか希望はあるかい?」
「魔力を増幅する機能を」
「程度は」
「ちょっとホノ……」
「コントロール可能で、みどりさんの最大を尽くしてくれれば」
みどりはしばし沈黙し、数分ここで待つように言い渡して森へと消えていった。
戻ってくると、ほおに切り傷をつけて長杖を差し出す。明らかに大きくなっていて二人は目を丸くした。
杖の体をなすために相性のいい老木を探していたのはみどりだけの秘密である。
「千変万化の杖『ヴィールヴ』使い方は簡単、魔力出力上限をイメージで解除する。十段階のロック、最終段階じゃ総量はなし。で、こっちがメインの機能なんだけど『
地面に突き立て、そう命じればたちまち杖は枝葉を伸ばし太い根をはる大樹へと変化していった。
近くに仲間がいなくてよかったと、ホノはひきつる笑みを鎮める。ミサトなど口を開いて呆けていた。
「まあ多角的大戦用固定砲台、は長いから『トネリコの
周囲の余剰魔力を吸い取って増幅、指向性クラスター砲の第一形態……あとは自分たちでいろいろ試していって、己は久しぶりに兵器なんぞつくったから疲れた。上層の素材か、代金の千円。加工費は己のサービスとしておこう」
ホノとミサトは同時に空を見上げる。
おそらはきれい。
『神の杖』核に代わる戦略運動エネルギー弾として知られる。少女たちは知っていた。
とんだ超兵器である。みどり自身これでも心許ないが、下層上層がおもな活動域ならちょうどいいかと大樹を元の杖に戻してホノに手渡す。
彼女の手は震えていたが、みどりは気にしなかった。
「キャ、キャンプの方にオールドディアの角が樽ひとつ分あるのでそれでよければ……」
「『岩壁走りの大鹿』か、いいよ。あれはいい肥料になる。新品の杖を使いたい気持ちは汲むけど、今は我慢して対価を持ってきてくれない?」
深層に肥料になるような素材はほとんどない。それだけだった。
深層産の武器としては失格もいいところだが、黙示録の災厄を引き起こすような物騒なものはかえって商品にならない。
みどりのなかで価値は釣り合っていた。ひと樽でどれくらいの効果が期待できるか。
自ら赴く必要がない、それはネット通販に通じるところがある。
「はい、オープン!」
わあっとみどりがはしゃぐ様子に、少女二人は徐々に吹き飛ばされた常の感覚を取り戻しつつあった。
「なに、なんなの『トネリコの瑞雨』って⁉︎」
「ホノ、やっちゃったね……どうやったってこれは誤魔化せないよ」
深層域の巨大モンスターとの交戦経験のある少女たちでも、推して知るべしパンドラの箱である。
当然であった。樽をのぞいて角に頬擦りしているみどりにとって、深層は第五百階層から。少女たちにとっては第百階層からなのだ。
理解の始点からして齟齬がある。
所有者となったホノは『トネリコの瑞雨』によって身を滅ぼす自身を幻視した。いかにして、は表現を謹んでおこう。歴史に倣うのだ。
「どどど、どうする?こんなの使えないって」
「みどりくん……もういないし」
「ちょ、こんな危ないもん置いていかないでー!」
「やめときなってホノ、言ったって無駄よ。私たちには早すぎた
「……いや、『ヴィールヴ』の状態ならワンチャン」
「増幅の倍数、聞いた?」
魔力の挿入と、基本増幅の量の比は聞いていなかった。ホノやミサトが知る、増幅は魔力量一に対して三パーセントの増加が最高である。
ホノは杖を見下ろす。
絶対にそれだけに留まらない予感がした。
「……埋めよ」
「ちょ、早まるなー!」
その後、若手隊長の二人がげっそりした様子でキャンプに戻ってきて『ヴィールヴ』のもろもろを説明し、入手した経緯からほとんどをしゃべったが、『トネリコの瑞雨』だけは口をつぐんだ。
結局、二人は罰を犯したわけでもなく、罰せられることはなかったが、レイド『アスタルト』の面々は厳しい目を向けた。切り込み隊長の発言には一定の信頼があったのだと、このとき二人は実感した。
核以上の超兵器を地上に持ち帰れるわけないだろうが!
言うまでもなくお蔵入り、箝口令、多重の封印を施したのち、帰還してレイドの本部の金庫の奥の奥に締め込まれた。
なお、二人はヒドラや死毒については忘れていた。後の衝撃が大きすぎたのだ。みどりについてはギルドに報告したが、ほとんど信じてもらえることはなかった。
「もうあんな人災、会いたくない」
「なに言ってんの、ホノの発言が発端なんだからみどりくんに非はないでしょ。責任転嫁はやめなさいよね」
「く、いつになくミサトの正論が痛い」
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『トネリコの枝』ももとは肥料に使えるから取ってきたものだったが、わらしべ長者のような幸運に見舞われてみどりが狂喜乱舞するのは自然な成り行きだった。
「はっはっは、一本の枝より山の角の方がいいに決まってる!」
兼ねてよりの宿願ではないが、みどりは金木犀の植樹に挑戦していた。
しかし土壌の貧困は深刻で、霊峰の頂をそのまま庭園に変えるくらいの栄養を必要としている。だからこそ日常的に肥料になるものを選別して収集していた。
「ダンジョン産の金木犀はいっそう芳しいからね!」
興奮冷めやらぬみどりは徹夜で角を粉末に削っていくのだった。
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