第10話 幻魅香

「あんたの旦那は薬で操られているのかもしれない」


「……え? あ、操られているって!?」


 アルさんは赤い粉が入った小瓶をテーブルに置いた。


「これは…?」


「ちょっと匂いを嗅いでみてくれ。深く吸うなよ」


 そう言うと小瓶の蓋を開け、私の鼻から少し距離を取り、小瓶から発する香りを手で仰いだ。


「! …この香り…っ あの部屋で嗅いだ香りに似ていますっ」

 鼻にまとわりつくような甘い香り。


幻魅香げんびこうって言ってな、麻薬の一種だ。催眠作用ヒプノーシスにより人を操り、催淫効果もある。身体に残らないから、医者に診せてもただの体調不良扱いされるだろうな」


 アルさんは知らない言葉を並び立て、小瓶の蓋を閉めながらその薬の効能を説明した。

 

「ま、待って下さいっ 麻薬って…何でそんな事を…あなた一体何者なんですか?!」


「ああっ 失礼失礼っ 俺は麻薬調査院の捜査官っ」


「え?」


 そう言うと、彼は首から外したペンダントを私に見せた。


「管轄によって、色が異なるんだ」


 見せてくれた銀色の小さなプレートには帝国の紋章が刻印され、裏にはアルさんのフルネームが彫られている。


「麻薬調査院!? 捜査官!? 警ら隊の方?」

 別世界の言葉に驚きを隠せない私。


「ああ~、よく勘違いされるんだよねぇ。麻薬調査院や警ら隊は帝国の行政機関だが、管轄が違う。でも、逮捕権は持ってるよ」


「そ…なんですか…」

 私は初めて目にした生き物を見るかのように、提示されているペンダントをためすがめつ眺めた。


「今回、どこぞの貴族令嬢がこの薬を購入したという情報タレコミがあってね、調査していたらレナータ・パルスに辿り着いた。話によると誰かに使用する目的で手に入れたようだ。実家を内偵したが薬はなかった。だから勤め先であるここに置いてあると踏んだんだ。本当はここも内偵して地道に証拠集めをするつもりだったんだが、もしこの屋敷の人間に使用しているのなら早急に対応しなければならない。そこで俺が現地調査する事になり、屋敷に忍び込もうとしたら、あんたが刺されるのを目撃したって訳。で、そこでこの香りを嗅いだんだ。それに今考えると、侯爵の様子もうつろげな感じだったし…」


 は、話に追いつけない。

 つまり……レナータが麻薬を購入し、その薬をセルゲイ様に使用しているかもしれないって事!? そんな!!


「だからあんたの旦那があの侍女と関係を持ったのは、この薬を盛られた可能性が高いな。まあ…そのせいとも言い切れないが…どっちにしろあんたにとっては裏切り行為だし…」


「薬のせいなら、裏切りではありませんっ それより麻薬って! セルゲイ様のお身体は大丈夫なのですか!? 治るのですか!?」


「……それでも旦那の心配か…ふっ」


「え?」

 アルさんが何か呟いたようだけど、セルゲイ様が心配で聞き逃した。


「解毒剤がある。ただ、繰り返し使用すると最後には廃人になるから、少しでも早く飲ませないとな」


「! た、助けて下さいっ セルゲイ様を助けて下さい! お願い致します! お願い致します!!」


 握りしめた両手を胸にあて、アルさんに懇願した。


「…あんた…侯爵を許すのか? 確かに薬を盛られた可能性は高い。けれど、あんたにひどい事をしたのは事実だ…」


「…許すも何も…私は…セルゲイ様に他に好きな人が出来たのなら身を引くつもりでした。けれど、それがセルゲイ様の本意ではなく、薬のせいであるならばお助けしたい。たたそれだけです。」


「……理解し難いな。あんたは自己犠牲精神が強すぎる。もっと自分の気持ちを大事にしろよ」


「大事にしているから、セルゲイ様をお助けしたいのです!」

 私はアルさんの目を見てそういった。


「…わかったよ。あと…事前に言っておく事がある」

 アルさんはあきれたようにひとつ溜息をついてから、真剣な表情で言葉を続けた。


「はい…」


「あの女…レナータに関しては有罪確実だ。薬物入手に使用、侯爵夫人に対する殺人未遂…かなり重い判決になるだろう」


「…そうですか」


 レナータに関しては、複雑な気持ちになる。

 彼女の真意はどうであれ、親切にしてもらった事は確かだから。

 けれど…セルゲイ様に薬物を使っていたとしたら…っ! 


 私は両手を握り締めた。


「侯爵に関しては、知らずに薬を盛られたなら薬物使用に関しては不起訴になる確率は高い。まだ確定ではないがな」


「…!!…っ」

 罪に問われない可能性があるなら希望が見えてくる。

 セルゲイ様が必死で守っている侯爵家を守れるかもしれない。

 私は祈るように手を合わせた。


「ただ…レナータがあんたを刺すのを阻止しなかった事、そして刺されたあんたを放置した事について責任を問われるかもしれない」


「え…!? ど、どうしてですか? 私を刺したのはレナータです、セルゲイ様は関係ありません!」


「他人の犯行を阻止しなかったり、怪我しているヤツを放置する側にも責任が問われるんだ」


「そ、そんな! あの時、セルゲイ様に薬を使われていたら、きっと思考力も低下しています。そんな状態でレナータの犯行を阻止する事はできませんし、私を助ける事も不可能ですっ あ! あの怪我は私が自分で刺した事にできませんか? つまずいてどこか尖ったところに倒れ込んでしまったとか…」


「…あんた…何でそこまで侯爵を…」

 アルさんは目を見張りながら問う。

 

「……」

 私は、答えにきゅうした。

 だって、きっと分かってもらえない。

 けど、誰に理解されなくてもいい。

 この想いは…私だけのものだから…


「…あのな、罪を犯した人間を裁かない事は救う事ではない。薬による不可抗力っていうのなら、それは法が判断する。事件を隠蔽いんぺいするなどもってのほかだ」


「……では…ひとつ…お願いを聞いてもらえませんか?」


「俺にできる事なら」


「セルゲイ様のところに連れて行って下さい!」


「はあぁ?! 何言ってんだ、あんたっ 背中刺されたんだぞ!」


「痛み止めを飲めば動けます。時間が惜しいんですっ 早くセルゲイ様をお助けしたいんです! 連れて行って下さらないのなら、私は今すぐシュバイツァー家に戻ります!」


「…はぁ…マジかぁ〜…。おとなしそうな顔して、たいしたタマだよ、あんた」


 その後、アルさんはすぐに仲間の調査官の方々を呼び出し、シュヴァイツァー家に向かった。


 もちろん、私も一緒に。


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