第5話 泡沫の幸せ ~過去の夢~ 3

「今日は外に用事があるのだが………き、君も一緒にくるかい?」


 ある日の午後、セルゲイ様に声を掛けられた。


「え!? わ、私もご一緒してよろしいのですか?」


「ここにきて一度も街に行ったことがなかっただろ? あ!…と言ってもわざわざ行く訳ではなくっ 用事があるついでだ! い… きたくなければ無理にとは言わないが…っ」


 セルゲイ様の耳が赤くなっているような気がするのは…気のせいかしら?


「いっ、行きたいです!」


「ああ」

 

 セルゲイ様とお出かけができるなんてっ

 でも、ご用事の邪魔をしないようにしなければいけないわっ


 私は浮かれすぎないようにと、少し緊張しつつ馬車に乗り込んだ。


 街へ出かけるなんて生まれて初めてだった。

 実家ではいつもお父様たちが楽しそうに出かけるのを見送るばかり。

 残された私は、掃除に洗濯、食事の仕込み…やる事が山積みだった。

 皆が帰るまでに終えておかなければ……ならなかったから…


 馬車から見える景色を眺めながら、切ない過去を思い出していた。


 街に降り立つと、そこはたくさんの人々で賑わい、活気が溢れている。

 お店が立ち並び、おいしそうな匂いがどこからともなく漂う。


「わあ…っ」

 

 これが…街!


 たくさんの人並み。

 活気ある雰囲気。

 

 なんて楽しそうな場所なの…っ


 キョロキョロしている私を、セルゲイ様が楽しそうに微笑んで見ている事には全く気が付いていなかった。


「人が多い。はぐれれてしまうといけないから、しっかりと離さないように」

 

 そういうとセルゲイ様は私の手を握り締め、歩き出した。

 大きくあたたかいセルゲイ様の手は、私の手をすっぽりと隠してしまう。


「あ、あのっ セルゲイ様のご用事は…っ」

 私は一歩下がった状態で歩き、セルゲイ様のお顔を見上げながら尋ねた。


 「これが用事だ」

 「!」

 

 セルゲイ様が少しはにかみながらそう答えた。

 この時のセルゲイ様の笑顔と、後ろに広がった空の美しさを私は忘れないだろう。

 

 人生最期に思い出すのはこの瞬間かもしれない。

 そんな事を考えてしまった。

 

 私達は賑わう人込みの中に入っていった。



 ⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶



 来た時は明るかった空が、今はもうオレンジ色に染まり始めている。

 街中を歩き回りさすがに少し足に疲れを感じていたが、それすらも心地いい。


「随分歩き回ったね。疲れただろ?」


「いいえっ とても楽しかったです」


「……では、また一緒に来よう」


「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」


 シュヴァイツァ―家に来て、何度お礼を伝えたか分からない。


 けれどもっともっと言いたかった。

 そしてもっともっとお話がしたかった。


 だって…こんなに楽しい時間を過ごしたのは、生まれて初めてだったから―――


 でも…何だか…とてもまぶたが重くて………


「コルネリア?」

「……」


 いつの間にか私は寝てしまったようだ。


 向かいに座っていらしたセルゲイ様が席を移動し、肩を貸して下さった事に気が付いて飛び起きるのは屋敷に着いてから。


 その間私は、穏やかなあたたかさを感じながら、やさしい夢の中にいた…

 

 






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