第29話 逃げるが勝ち

「無理なのですわ……」


 グロリエンの愛の告白に、ヘルミーネは唇を噛んでそう返事した。

 それは二人にとって、あまりにも無情な一言だ。グロリエンはさっきまであった笑顔を引きつらせ、少し声を震わせた。


「む、無理……とは?」

「私とグロリエン様との恋愛の事ですわ。二人の恋愛で比翼の鳥を消す事は、無理だという意味です」


 その言葉でグロリエンは、自分の愛がヘルミーネに受け入れられずに終わった事を理解したようである。

 しかし事実はそうではない。ヘルミーネにしてみれば、恋愛成就で比翼の鳥が消えるのならば、もうとっくに消えているはずだと思って言った言葉なのだ。


 ヘルミーネはグロリエンを愛していたし、グロリエンもまたヘルミーネを愛している。

 その事をすでに知っている彼女には、恋愛成就で比翼の鳥が消えるという話を否定するより他ない。


「そうか。無理……なのか」


 だがそれをフラレたと勘違いしたグロリエンは、絶望に目が眩んで絶句した。

 それでも直ぐに「じゃあどうすれば……」と呟いたのは、自分の気持ちよりヘルミーネへの心配が先に立ったからだ。


 とはいえこの期に及んでは、どうするも何もないのだ。残る手段はもはや限られている。

 グロリエンはアスマンへと振り向き、「比翼の鳥を解くつもりはないか?」と改めて聞いた。それに対してアスマンは無言で首を横に振っただけだ。


 そんな二人のそのやり取りを見ていたヘルミーネは、グロリエンの考えを察して釘を刺す。


「戦争は駄目ですからね?」


 当然アスマンの殺害による加護の解除を考えていたグロリエンは、ヘルミーネの言葉にギクリとする。だからと言って解除の方法はもうそれしかないのだ。


「仕方がないんだヘルミーネ」

「いいえ、絶対に駄目です!」

「しかしこの方法しかもう無いんだよ」

「戦争になれば大勢の人の命が奪われますわ。それも私一人の為にです」

「いや、もはやお前だけの問題ではない。国家の面目に関わる問題だ!」

「そうかもしれませんけど、私は戦争なんてイヤですわ!」

「あっ……」


 その一言を聞いた途端、グロリエンは子供の頃に聞いた幼いヘルミーネの言葉を思い出す。

 覇王について問うたグロリエンに、ヘルミーネが答えたあの日の言葉を。


『──そんな王様キライ! だってあたし戦争なんてイヤだもん!』


 唇を真一文字に引き結んだグロリエンは、自らを恥じる様にして目を伏せた。

 ヘルミーネに好いて欲しいと願い、平和の守り手となろうとした幼い日の自分の決心を、容易く手放そうとしている今の自分を恥ずかしく思ったからだ。


(こんな俺じゃあ、フラレて当然だ……)


 ヘルミーネは苦悶の表情を見せ黙ってしまったグロリエンに、心が痛くなった。

 彼の心中は分からなくとも、厳しい立場に立たされている事は理解できる。だからヘルミーネは極めて優しい声で語りかけた。


「何も心配いりませんわグロリエン様。私に良い考えがありますの」

「お前に良い考えが?」

「はい。しかもとっても簡単で平和的な方法なのです」


 なんとも明るい声と笑顔でそう言ったヘルミーネであったが、良く見れば彼女の瞳が悲しげに揺れていた事に気がつくだろう。

 だがヘルミーネはグロリエンに気づかれるより先に、言葉を続けた。


「全ての元凶は私にあるのですもの。ならその私が居なくなれば万事解決ですわ!」

「は? お前、何を言っている」

「言葉のままです。私さえ居なければニセ者の私にグロリエン様が襲われる事もありませんし、帝国と戦争する意味もなくなりますでしょ」

「待て、それは解決ではない!」

「いいえ。要するに逃げるが勝ちです」

「ば、馬鹿を言うな! ならお前はどうなるのだっ!」


 ヘルミーネはグロリエンのその問い掛けには答えずに、ドレスの裾を翻すと「ごめんあそばせ」と言ってグロリエンにと近づく。

 すると間髪入れず、グロリエンの腹へと強烈なボディブローを撃ち抜いた。


「グエッ!!」


 グロリエンは薄れる意識の中で、ヘルミーネの唇が『さよなら』と動いたらのを見た気がした。



 ◇*◇*◇*◇*◇



 グロリエンが気を失っていたのは、ほんの僅かな時間であった。

 それでも今からヘルミーネを追うとなれば、かなり致命的な時間ともいえる。彼女が筋力強化を使ったのは間違いないだろうからだ。


「くそう、ヘルミーネの奴め……」


 グロリエンはそう呟きながら、ヘルミーネに貰ったパンチの痕を撫でている。だが殴られた事を怒っていたワケではない。

 自分を犠牲にしようとした彼女の勝手な決断を怒っていた。


 とにかく一刻も早くヘルミーネの後を追いたかったのだが、王族というグロリエンの立場がそれを許さなかった。

 平和友好会議の場にいた王国と帝国の貴族たちが、状況の説明を求めてきたからだ。


 両国の貴族たちはグロリエンからの説明により、ようやく事の次第が分かってくると、彼らは一様に顔色を青くさせて言葉を失ったのである。

 特に帝国側貴族たちの驚きはもはやパニックにも近かった。


 よもや自国の相談役であるアスマンが、グロリエン王太子の暗殺計画を遂行しているとは夢にも思っていなかったからだ。

 しかもその凶行が平和友好会議の場で行われた事を考えれば、彼ら和平派貴族の面目は丸潰れにされたと言っても過言ではない。


 その張本人たるアスマンは帝国貴族の恨みと王国貴族の怒りを一身に受け、衛兵たちによって手厳しく拘束されている。

 床に膝をついて項垂れた様子からは、己の進退に諦めがついてるのが見て取れた。


「アスマン、お前死に損なったな」


 グロリエンはアスマンの背後から、冷たい口調でそう皮肉を言った。

 もはやグロリエンに戦争という選択肢はない。ヘルミーネを、そして自分自身をも裏切る事はしたくはないからだ。


「帝国の思惑などに付き合って、戦争などするもんかよ」


 するとアスマンは強張った表情のまま目だけをギロリと動かして、精気のない言葉を吐き捨てる。


「だが、古今無双の公爵令嬢は貴様の命を狙い続けるぞ。帝国との戦争と比翼の鳥と、一体どっちが厄介なのやら」


 すっり自分の人生を諦めたアスマンは、口の端を歪め開き直った表情でそう言った。

 グロリエンは小さく舌打ちをし彼から目を背けたが、アスマンの言った事が事実であるのも認めていた。


 グロリエンにしてみれば、ヘルミーネの自己犠牲は何の解決にもなってはいないのだ。

 たとえこの急場はしのげても、ヘルミーネにかけられた比翼の鳥は依然そのままである。やがてまたグロリエンへの愛に苦しみ、彼女の殺意は復活するだろう。


 精神支配された状態と正常な状態の二人の自分に心を乱されながら、ヘルミーネが苦悩し続けるのは明白だ。

 そんな状態に耐えられなくなり、やがて自ら苦しみの禍根を絶つ事を考えても不思議ではない。当然ヘルミーネならその禍根を、彼女自身にと向けるだろう。なれば自死を選らばないとも限らないのだ。


(そんなのは絶対に許さんッ!!)


 グロリエンは拳を強く握り締め、ギリリと歯を食いしばる。

 しかしいくら力んでみたところで、比翼の鳥を解除する方法は何も見つからなかった。


 恋愛の成就。術者による解除。術者の死亡。この三つが解除の条件となるのだが、そのどれ一つとして可能性が失われている。

 正直手詰まりなのは事実だ。しかしこんな時ほど冷静でなければなるまいと、グロリエンは必死で気を鎮めた。


(いや、待てよ……)


 グロリエンは何かが自分の中で引っ掛かっているのを感じている。

 すると一つの疑問が浮かび上がってきた。ヘルミーネは本物とニセ者の二人の自分がいると言っていた。そしてアスマンはこんな事は初めてだとも言っていたのだ。


(そもそも本物のヘルミーネとの恋愛が成就したところで、比翼の鳥とは関係ないのではないか?)


 加護の影響下にあるのは、あくまでも加護の影響を受けた者だけだ。となればその影響を受けているのは、ニセ者の方のヘルミーネであるはずだ。

 ならば比翼の鳥が求めている恋愛は、グロリエンとニセ者のヘルミーネということになる。


(現に俺がニセ者のヘルミーネと知らず、その愛情を受け取っていた時、比翼の鳥は消えかかっていた。つまり本物のヘルミーネとの恋愛成就は必要ない!)


 にわかに一筋の光明を見た思いのしたグロリエンは、即座にヘルミーネを追いかける決意をする。

 もう一度、ニセ者のヘルミーネとの恋愛成就に挑んで、比翼の鳥の解除を試してみる価値があると思ったからだ。


 だが、比翼の鳥に支配されているヘルミーネと遭遇すれば、再び戦いとなるのは不可避であった。ただ恋愛するだけの甘い状況が待っているワケではないのだ。

 そんな状況から恋愛するなど、普通ではありえない──


(いや、元より普通じゃないんだ。この際、力ずくで行くしかない!)


 ニセ者のヘルミーネとの戦いに勝ち、グロリエンの死という形での愛は手に入らないのだと、比翼の鳥に思い知らせてやる。

 その上で愛を得られず絶望したヘルミーネに、今度はグロリエンからラブラブカップルになろうと提案をして希望を与えるのだ。


(そうなれば愛に餓えた比翼の鳥は、否応もなくその提案に飛び付くはず……)


 賭けにも似た乱暴な方法だが、もはやこれしか道はないだろう。


「ただ──ヘルミーネとの勝負で一度も勝った事のない俺が、しかもヘルミーネを出来るだけ傷付けずに勝利しなくちゃならない。これは簡単な事ではないな」


 まるで怖じ気づいたかのような独り言を呟いたグロリエンであったが、彼の瞳にはそれとは裏腹な強い光が宿っている。


「面白い、やってやろうじゃないか!」


 グロリエンは僅かに口角を上げると、会議場から駆け出して行った。その姿には一切の迷いはなく、ただヘルミーネの背中を目指して一直線にと。

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