第17話 兄、孤軍奮闘す

 ヘルミーネ誘拐事件は、営利目的による犯行であったと結論付けられた。

 もっともフェンブリア王国では今回の事件を、アグネス誘拐事件と思って疑っていない。


 捕まった五人の男たち全員が、美人な方の貴族令嬢を狙ったと白状したからだ。

 もちろん王国は彼らを拷問にかけ、その背後関係を探ってみたが、彼らからその気配を見付ける事は出来なかった。


 改めて言うが五人の正体は、ペイルディス帝国の秘密諜報員たちである。

 しかし彼らは自国にいる家族たちの事を思い、必死でその正体と目的を隠し通した。もし正体をバラしたならば家族たち全員が連座させられ、本人の代わりに裏切りの代償を支払わされるからだ。そういう点において帝国は容赦がないのである。


 ともあれ今回の誘拐事件は、一応の解決をみた事となったわけである。

 たった一人、この男を除いては────

 

「本日、本領より呼び寄せた三百名の騎士と兵士が我らに合流する! 合わせて四百の兵団となるわけだ。皆には命がけで忠義を果たす事を望む。よいなッ!」


 広い庭に規律正しく整列している騎士と兵士達は、その言葉に応と力強くこたえた。

 言葉を発した男は他でもない、マッドリー・ロックスである。彼は王都にあるロックス公爵家別邸の庭で、ロックス家の家臣たちを指揮している真っ最中だった。


 マッドリー本人も完全武装をしており、まるでこれから戦争でもしようという出立ちであった。いや、本人はすっかりそのつもりかもしれない。


「帝国の魔の手から、我れらが世界の至宝ヘルミーネを護るのだ! ヘルミーネの命は我らの命より重いと知れッ!」


 そう、マッドリーだけは今回の誘拐事件の主犯は帝国であり、しかも誘拐はヘルミーネを対象としたものだと思っていた。

 ゆえに解決などはしていないと、グロリエンを始め宰相や国王にまで帝国の関与を訴えた。図らずもマッドリーの推測は真実を見抜いていたのだ。


 ところが誰も彼の言うことを真面目に受け取りはしなかった。

 王国でも一部の者たちにとって、マッドリーの病的なシスコンは有名であったからだ。


 事実マッドリーが示した帝国関与の根拠というのが余りにも異常だった。帝国が持ちかけた平和友好会議自体、世界の至宝ヘルミーネを欲しがった皇帝による偽装工作だと言うのだ。

 もはや根拠というより妄想でしかない。いつもの病気がまた始まったと思われても仕方がないだろう。


 当然ながらヘルミーネもまた、誘拐についてのマッドリーの話は異常だと思っている。

 屋敷の窓から冷めた視線で兄を見つめている彼女は、いつになく無表情だ。だがその口だけは呪文を唱えるようにして、何か言葉を繰り返し呟き続けていた。


「馬鹿なの? 病気なの? イジメなの? ブッ飛ばされたいの? 馬鹿なの? 病気なの?……」


 そんな妹の気持ちも知らぬまま、マッドリーは孤軍奮闘してヘルミーネを護っている。いや、孤軍というのは少し違う。彼には頼もしい味方もいたのであるから。


「マッドリー団長! 正門にエリスティア王女殿下の馬車がご到着致しましたっ!」

「これは元婚約者栄誉の会の皆さん。報告ご苦労様です。貴方達が我が家の門衛をして下さり、私はとても心強く思っています!」


 元婚約者栄誉の会といえば、言わずと知れたヘルミーネの元婚約者たちである。

 彼らはマッドリーがヘルミーネの危難を訴えているという噂を聞きつけて、その助力にと馳せ参じたという訳だ。


「なんのこれしき、これもすべて我らが女神ヘルミーネ様の為! ところで王女殿下の馬車をお通ししても宜しいでしょうか?」


 マッドリーの許可を得た元婚約者栄誉の会の面々は、意気揚々としてエリスティアの馬車を邸内へと誘導した。

 馬車の窓からこの騒ぎを見ていたエリスティアは、玄関で自分を待っているマッドリーに気づくと深く溜め息をつく。


(ほんとぉ、鋭いんだか馬鹿なんだかぁ、昔から分かんない人よねぇー)


 エリスティアにとってマッドリーもまた幼い頃からよく一緒に遊んだ友人だ。

 とはいえマッドリーはあくまでもグロリエンの従者という立場を崩さなかったので、ヘルミーネのような親しさはない。


 どちらかと言えば幼い頃から秀才であったマッドリーへは、異性への淡い想いにも似た憧れを抱いていた。

 まあそれもマッドリーが極度のシスコンだと、エリスティアが知るまでの事ではあったのだが。


「エリスティア王女殿下、我らへの陣中見舞い恐れ入ります」


 馬車から降りるエリスティアをエスコートしながら、マッドリーはそう感謝の言葉を述べた。だがそれに対してエリスティアは、露骨に眉根を寄せて嫌な顔をする。

 あまり感情を表に出さないエリスティアにしては珍しい事である。


「これって戦争ごっこぉ? 悪いけどぉ、私はぁヘルミンに会いに来たんでぇ、マッドリーのお遊びには付き合わないよぉー」

「お遊びとは心外ですな。帝国は必ずやまたヘルミーネを狙ってきますぞ」

「ふぅーん、本気で言ってるんだぁ」

「むろんです」


 ロックス公爵家の家臣と元婚約者栄誉の会の者たち以外、マッドリーの警鐘を信じる者は誰一人いない。

 当然シスコンマッドリーの異常性を知り抜いているエリスティアも、他の者と同様に無視するつもりでいた。しかし何故か今日に限ってはそう出来ないでいる。


「ほんとぉ、あんたって厄介な奴ぅ。けどぉ、そんなに心配ならお兄様に言ってぇ、ヘルミンを護らせればいいのにぃー」

「もはやグロリエン殿下に頼るつもりはありませんな」

「なんでぇ?」

「殿下と私は、すでに訣別した関係でありますので!」


 実をいうとマッドリーは、グロリエンの補佐官を辞してこの場に来ている。

 簡単に経緯を話せば、ヘルミーネが帝国に狙われているというマッドリーの進言を、グロリエンが一笑に付してしまったのがその原因だ。


 しかもグロリエンは五人の誘拐犯をヘルミーネが瞬殺したと聞き、その手際の良さを喜んでしまったのだ。

 マッドリーにしてみれば大切な妹の災難を喜ぶグロリエンの態度は、まったくもって許しがたいものである。だから謝罪するようにと申し入れた。


 だがあろう事かグロリエンは、むしろ災難だったのはヘルミーネと戦った誘拐犯達だろうと笑って言ったのである。

 これではシスコンでなくとも腹を立てると言うものだ。グロリエンにしてみればヘルミーネの強さを称賛するつもりで言ったのであろうが、あまりにも非常識でデリカシーに欠けている。


「お兄様が死にそうになってるのはそう言うワケかぁー」

「死にそうとは?」

「公務の量が倍増したんだってぇー」

「それは重畳。私の調整無しの公務では早晩くたばることでしょう」

「許してあげないのぉ?」

「お断りです。殿下のヘルミーネへの言葉は万死に値しますので!」

「もぉ、ほんっとマッドリーってめんどくさいよねぇー」

「めんどくさいの通り越して、兄上は絶対に異常だよ!」


 最後に言ったその声は、エリスティアのものでもマッドリーのものでもなく、ヘルミーネの声であった。


「エリスンが遅いから玄関の外まで迎えに来ちゃったよおっ」

「ヘルミ~ン、久しぶりぃー」


 二人は手に手を取り合いながら小さく跳ねて、少女のように再会を喜びあっている。

 だがその後ろでは、この世の終わりに直面しているかの様な絶望的な顔をしたマッドリーがいた。


「へ、ヘルミーネ。いまお兄ちゃんの事を異常とか言わなかったかな?」

「ん? 言ったわよ。だって本当だもの」


 どうやらマッドリーはヘルミーネに自分の事をお兄ちゃんと呼んで欲しいようだ。

 まあ、それは置いておいて。ヘルミーネはこの馬鹿げた警戒状態にほとほと嫌気がさしていた。マッドリーが自分を大事に思ってくれる気持ちは有難いが、それにしても限度がある。


 近所迷惑も申し訳ないし、自意識過剰だと笑われるのも恥ずかしい。

 加えてヘルミーネは自分が原因となって、グロリエンに迷惑をかけている事にも我慢がならなかった。


「兄上っ!」

「お兄ちゃん……って呼んで欲しい」

「兄上ッ!!」

「は、はいっ!」

「今すぐこの馬鹿騒ぎを止めないと、もう兄上とは絶交ですっ」

「えっ!? でも帝国が……」

「兄上は心得違いをなさってますわ。グロリエン殿下がいま公務に支障を来している現状を、どうお考えですか?」

「いい気味だと思います!」

「兄上っ!」


 ひときわ高く声を上げたヘルミーネに、マッドリーはビクリとして叱られた子供の様な顔をした。


「お、怒っているのか?……」

「怒るに決まってますッ。王族の公務の停滞はすなわち国家の停滞に繋がりましょう。それこそ他国の思う壺ですわ」

「た、確かにその通りだ。さすがは人類の奇跡ヘルミーネ!」

「だったら早急にグロリエン様の補佐官へと復帰して下さい!」

「し、しかし……」

「もうさぁヘルミン、こんな分からず屋とは兄妹の縁を切っちゃえばぁー?」

「ゲェッ!!」


 どうやらエリスティアのその一言が決め手となったようだ。マッドリーは「それだけはお許しをッ!」と涙ながらにヘルミーネにしがみつき、軍団の解散と補佐官の復帰を約束したのである。

 こうしてマッドリーの奮闘は終わりを告げたのであった。

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