第10話 元婚約者栄誉の会
マッドリーは仕事の出来る男である。妹のヘルミーネへの異常な執着愛に目を瞑れば、王太子の補佐官としてこれほど有能な者はいないだろう。
仕事の内容は主に内政に関わる事だ。グロリエンのスケジュール管理はもちろん、交渉や業務の改善、政策の立案や果ては料理の献立まで行き届いた仕事をこなしている。
さて、そのマッドリーは今、王宮にある自分の執務室で宰相から届いた指示書を読んでいた。
彼は最後まで指示書に目を通すと眼鏡を外し、疲れた眼球を揉みながら小さく唸って独り言ちた。
「どうしてこの私を名指しで?」
その指示書の内容は、ペイルディス帝国との平和友好会議についてのものである。
隣国同士であるフェンブリア王国とペイルディス帝国は、紛争の絶えない険悪な関係にあった。両国の長い歴史で数えればその紛争の多さに辟易するほどだ。
ところが勇者の加護を持つグロリエンが誕生したことで、両国での紛争がぴたりと止んだのである。
理由はペイルディス帝国が勇者の加護を恐れたからに他ならない。そんな破格の異能を持つ者が隣国の王子として現れたのだ、慎重になるのも当然だろう。
以来今日に至るまで両国は冷戦状態の関係を維持していた。しかし平和主義を掲げているグロリエンには、冷戦状態に留まっている両国の関係では満足出来なかったらしい。
ゆえに王太子となって発言力が増すと、フェンブリア王国の外交方針を帝国との和平へと積極的に傾けさせている。
そんな折、ペイルディス帝国から平和友好会議の申し出が届いたのだ。
(本来なら王国の外交官が扱う案件のはずですがねえ? なぜ帝国側は宰相閣下を通してまで、わざわざ王太子殿下の補佐官であるこの私を会議の調整準備役に指命してきたのでしょうか……)
もう一度唸ったマッドリーは椅子に深く腰掛けると、その理由を考えてみた。
今回の平和友好会議は両国の次代を担う若者たちをメインにした会議である。ペイルディス帝国としてはその成功の為にも、グロリエン王太子の出席を望むだろう。
(その為の根回しに私を呼んだ?)
確かにそれで話の筋は通る。グロリエンの右腕と言われる側近のマッドリーなら、その役目に申し分ない。
だが、グロリエンの平和主義はペイルディス帝国も知るところなのだ。友好会議に参加を求めれば、わざわざ根回しせずとも喜んで応じるのは明らかである。
(いや、違いますね。帝国側からはもっとキナ臭さい何かを感じます)
三たび唸ったマッドリーは両手を組んで天井を仰ぎ見ると、大きく溜め息をつく。
(まあ向こうの外交官と会えば、その理由も見えてくる事でしょう)
ちょうどそこへグロリエンが乱暴にドアを開けて部屋へと入ってくる。
すると今まで部屋を満たしていた深刻な空気が、彼の呑気な声で霧散した。
「おーいマッドリー。ヘルミーネがどこに居るか知らないか?」
「我が妹に殿下が何の御用で?」
「別に何だっていいだろ」
「よくありませんな。ヘルミーネは嫁入り前の微妙な年頃の娘なのです。殿下があまり親しくなされたら、ヘルミーネに婚約を申し込む者たちが萎縮してしまいます」
するとグロリエンは顔色を変え、慌てた風にしてマッドリーに迫る。
「お前っ、ヘルミーネにまた婚約者をつくるつもりか!?」
「いいえ、その件は先日ヘルミーネの名誉が回復致しましたのでもはや意味をなしません。もっとも私が望んだ形での名誉の回復ではありませんでしたから、かなり不満ではあります」
このシスコンの側近は大勢の人々の前での公開謝罪を、グロリエンに望んでいたのである。
だからヘルミーネからグロリエンによる個人的な謝罪を受けたと聞いた時は、その失望からグロリエンに辞表を叩きつけたらしい。
「まあ我が妹の鉄拳による制裁をお受けになったようですし、それを代わりに殿下の贖罪として差し上げましょう」
「まてまて、俺がヘルミーネに顔面を殴られたのは事故だぞ?」
「事故とはとんでもない。むしろ御褒美だと思うべきです」
そんな頭のおかしな事を言いなかまら「ふふふ」と笑って同意を求めてくるマッドリーに、グロリエンは思わず身震いする。
「も、もういいよ、自分で探すから」
「ヘルミーネの為にも目立たない様にお願い致します」
「お前さあ、どんだけヘルミーネに婚約者が出来て欲しいんだよ!」
「まさか! そもそもヘルミーネに釣り合う男などこの世に存在致しません。必要なのは可愛い妹を称賛する有象無象たちなのです。その数は多ければ多いほど望ましい!」
とうとうグロリエンは頭を抱えてしまった。今更ながら元婚約者たちの事を思うと、同情の念を禁じ得ない。
(もし俺がヘルミーネにプロポーズをした暁には、この頭のおかしいシスコン野郎が最大の敵になるのだろうなあ)
そう思ったグロリエンは大きな溜め息をつく。ならばいっそシスコン罪という法律を作ってマッドリーを牢に繋いでしまおうかと、かなり本気で考えるのであった。
◇*◇*◇
ところでグロリエンが探していたヘルミーネは、王都の中心にある繁華街に来ていた。公爵家の格式から言えば侍女を連れていて当前なのであるが、この日のヘルミーネはあえて一人で行動している。
ちょっとこれから会うのが訳アリな人たちだからという理由でだ。
(確かこの辺りのはずだけど……あ、あった、このお店だわ)
その店は何の変哲もないパン屋であったが、別にパンを買いに来たわけではない。そのパン屋のある建物の三階の部屋に、ヘルミーネは用があった。
薄暗い階段を昇って目的地らしき部屋の前まで来ると、大きな表札を掛け変えている者を見つける。ただ奇妙な事にその者はなぜか全身に甲冑を着こんでおり、物々しい気配を漂わせていた。
ヘルミーネはその様子を不思議に思い小首を傾げたが、甲冑姿の者が手にするその表札には『元婚約者栄誉の会』と書かれている。どうやら目的地に間違いは無かったようだ。
さらにかの者の足元には、元婚約者被害者の会と書かれた別の表札も置かれていた。そっちを見た後のヘルミーネはちょっぴり複雑な気持ちになりながらも、甲冑姿の者にと声をかけた。
「こ、これはこれはヘルミーネ様、ようこそお越し下さいました!」
声からして男であろう。甲冑姿の男は足元の表札を隠すようにしながらドアを開けると、ヘルミーネに「どうぞ中へお入り下さい」と促す。
軽く頭を下げ謝意を伝えながら部屋へと入ったヘルミーネは、その異様な光景に眉を顰める事となる。
「あのぉ、皆様どうして甲冑を?」
部屋の中には十数名の甲冑を着込んだ者たちが、一列に整列してヘルミーネを出迎えていたのだ。
「き、騎士たる者の正装であります!」
「そうですか。それはご丁寧にどうも」
彼らは全員ヘルミーネの元婚約者たちだ。面頬を上げ兜から覗くその顔には確かに見覚えがあり、かつて婚約破棄をお願いされた記憶が甦る。
ちなみにマッドリーは彼らを露骨に脅迫してヘルミーネの婚約者にした訳ではない。しかしもし婚約を断ったりすれば、将来は宰相となろうという評判の男から不興を買うのは明らかである。
しかもマッドリーの加護である超記憶力は、決して断られた事を忘れはしないだろう。となれば彼らの貴族としての将来が絶たれかねない。
つまるところ事実上の脅迫なのだ。そんな不運をお互いに慰め合うために作られたのが婚約者被害者の会、じゃなくて婚約者栄誉の会であった。
「そ、それでヘルミーネ様。き、今日はどのようなご用件で我々全員をお集めになられたのでしょうか……?」
ガチャガチャと甲冑の音を立てながら、カップの中で波打つ紅茶をテーブルに置いた元婚約者の一人がヘルミーネにと尋ねる。
ソファに座ってその様子を見ていたヘルミーネは、彼のその声と手が心なしか震えているように見えた。
「お忙しい中お集まり頂きまして、本当にありがとうございます」
深く頭を下げたヘルミーネに、婚約者栄誉の会全員がそれ以上に深く頭を下げた。
「と、とんでもございませんッ! どうかお手柔らかにお願いしますっ!」
「あ、はい……?」
どうみても彼らは怯えているようだが、ヘルミーネにはその理由が分からない。
だがそれもそのはずで、彼らは勝手にヘルミーネが来た意図を勘違いして恐怖に慄いているのだ。
ヘルミーネからの手紙を受け取ったその日、婚約者栄誉の会に衝撃が走ったという。
手紙の内容は、都合の良い日に元婚約者全員と会いたいというだけの簡潔なものだった。だが何故彼らに会いたいのか、その理由が書いていないのが問題となる。
その結果、彼らの推測から出した結論が『お礼参り』であった。
社交界でさんざん婚約破棄を願った彼らには、その心当たりが確かにある。きっとヘルミーネは、その時うけた辱しめの恨みを晴らそうとしているに違いないと考えたのだ。
「
「いや無理だろ、ロックス公爵家から逃げられるワケがない!」
「むしろ逃げたら、ヘルミーネ様の怒りに油を注ぐ事になるぞ!」
結局彼ら全員、死地に赴く兵士のような顔をしながら今日を迎えた。甲冑姿でいるのはせめて生存確率が上がるようにと願う、彼らなりのささやかな抵抗である。
とはいえ古今無双の公爵令嬢であるヘルミーネの前では、それが無駄な足掻きである事を彼らは知っていたのであった。
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