35話「夜の静けさ、光る画面」



 完成したMVのファイル名は「korekara_final_v13」。

 “final”を何回もつけてる時点で、もう終わってないのはわかってる。


 だけど――これが、たぶん本当に最後だ。


 ヘッドホンを外して、静まり返った部屋で深呼吸した。

 音も光も、ぜんぶがやけに遠い。

 パソコンのファンの音だけが、一定のリズムで部屋を回っていた。


 「……これで、いい」


 自分に言い聞かせるように呟いた。

 あとは公開ボタンを押すだけ。

 けれど、それが一番怖い。


 この数週間、俺たちは騒ぎながら、笑いながら、それでも本気で作った。

 絵も音も声も、全部この“これからの日常”という五文字に詰め込んだ。

 あとは世界に投げるだけ――

 なのに、マウスのカーソルが“公開予約”の上で止まる。


 ……指が動かねぇ。



 夜語ルリは、スマホを胸に抱いたまま天井を見上げていた。

 通知には“MV完成”のメッセージ。

 月見からの短い一言が残っている。

 ――「明日、公開。」


 その文字だけで、心臓が跳ねた。


 「ついに……」


 声に出すと、少し現実味を帯びた。

 初めてのMV。初めての“作品”。

 誰かの心に届くのか、誰も見ないのか。

 考えるほどに、息が浅くなる。


 「……でも、見てくれるよね」

 自分に言い聞かせるように笑って、目を閉じた。

 眠れそうになかった。



 双音ミラは、通話アプリのグループチャットを眺めていた。

 「みんな、ちゃんと寝てるかなぁ」


 画面の既読は、ルリと拳王だけ。

 月見は作業中だろう。青藍は寝たふりして起きてるタイプ。


 「……なんか、文化祭の前日みたい」

 ミラは机に頬杖をついて、ぼんやり笑った。

 画面の壁紙には、五人で撮った集合イラスト。

 懐中時計のフレームの中で笑う五人。

 「いい感じに、バカだなぁ」

 そう言って、眠そうな声であくびをした。



 青藍快晴は、カーテンの隙間から夜空を見上げていた。

 月がちょうど雲に隠れかけている。

 光が滲んで、少し儚い。


 「……明日か」


 指先でマグカップを軽く叩く。

 静かな音が部屋に響いた。

 自分の声がどんなふうに聴かれるのか。

 “低俗”と笑っていた自分の声が、誰かに届くのか。


 「怖いな……でも」


 そっと笑った。

 ――その少しの“怖さ”が、ちゃんとした始まりの証拠だと思えた。



 勝常拳王は、深夜のコンビニでエナドリを片手に歩いていた。

 「うっひゃ〜、緊張して眠れん!」

 夜風が冷たい。

 歩きながら、スマホで自分の歌のパートを聴き返す。


 「お、ここええやん俺!」

 すぐにテンションが上がる。

 けど、次の瞬間には眉をひそめた。

 「……いや、ちゃうな。ここズレとるな」

 独り言が止まらない。


 「ま、ええか。明日、バズるし!!!」

 根拠のない自信で笑って、缶を開けた。

 炭酸が夜空に弾けた。



 そして――月見良は、再びモニターの前に座っていた。

 時計の針は午前3時を回っている。


 画面の中では、五人の笑顔が静止している。

 再生バーの上にマウスを滑らせて、最後にもう一度だけ確認。

 映像の最後、白くフェードアウトする瞬間。

 音が消えると、心臓の音だけが残った。


 「……これで、いい」


 そう呟いて、指をゆっくりと動かした。

 “公開予約:明日 午後6時”


 クリック音が、小さく鳴った。


 その音が、この数ヶ月のすべての終わりであり――

 そして、始まりだった。

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