バーボン・コール

銀杏 匿

女より酒

「ロイド、貴方とはもう別れるわ」


 だらしなく床に寝転がっていた男は、そう言われて目を開けた。だるそうな目は腫れぼったく、だが天パの金髪と良く似合っている。そんな男──ロイドは別れを切り出してきた美女に言う。


「シェリー! 俺は家もない身なんだ! どうか追い出さないでくれ!!」

「家賃滞納して追い出されただけでしょ」


 呆れたように言ったシェリーは彼のケツを踏みつけた。ぐさっと高いヒールが刺さってとても痛い。つい先程まで付き合っていたのに、血も涙もない女だった。

 ロイドは静かにため息を漏らすと、彼女に向かって両手を差し出した。


「今まで貢いだ分、返して」

「ほんと最低な男ね、貴方」


 シェリーは酷く嫌な顔をすると、財布から二十カムぴったりを差し出した。それにロイドは首をかしげながらも受け取ろうとする。その瞬間、シェリーは金をシュッと動かした。


「分かっていないようだけど、貴方がわたしにくれたのは、たったの二十カムのバッグ一つよ」

「そんなはずないさ! ウィスキー、エール、ワイン、色々送ったじゃないか」


 確かに、この部屋に転がっている空きビンの半分はロイドの金で買ったもののはずだ。たぶん。

 そう考えていると、彼女は顳顬こめかみにしわを作りながら言った。


「女が酒で喜ぶと思ってるわけ? はっ、さすがね」


 馬鹿にしたような言葉にロイドは肩を竦める。ロイド自身……というより、この酒の街『パプタ』でよく言われる男の蔑称だった。

 顔しか取り柄の無い男はごまんといる。その中でも上質な部類であるロイド・ベリアルは、パプタの中小企業で働いている男だ。だが万年金欠。しかも酒カス。

 夜のお相手にはちょうど良くても、真面に付き合おうなんて考えるやつはあまり居なかった。目の前の美女だって、ロイドを本命と見ていない。


 でも良いじゃないか! 女なんてどうでもいい、酒さえ飲めればなんでもいい。

 それがロイドの考え方である。


 ロイドはシェリーからお金を受け取ると、ベルトを締めながらシェリーの住む部屋を出た。そしてマンションの階段を降りて、この『くそったれ』なパプタを口笛を吹きながら歩く。

 酒の匂いが充満したパプタは吐瀉物、汚物、血溜まりで汚れている。そんな街並みがロイドはお気に入りだし、たまに道端で倒れているお兄さんから財布を盗めるからちょうどいいと思っていた。


 お気に入りの酒場に入ると、むせ返る汗と香水の匂いが溜まっていた。吐き気を催したロイドは壁伝いに歩く。暫くするとお気に入りのカウンター席まで辿り着いた。


「やぁエージェント」

「サージェントだよ、諜報員にしないでくれ」


 そう言ったマスターのアリオス・サージェントはコップを拭きながらロイドを見る。相変わらず寝癖は酷く、身体からは酒の香りがする。服は皺塗れでアリオスは何とも言えない気持ちになった。


「うちはドレスコードがあるんだけどなぁ」


 そう言いつつもウィスキーを一杯、彼の前に置く。ロイドは目を輝かせながら舐めるようにそれを飲んだ。カッと喉が熱くなり、そして頬が真っ赤に染まる。その姿はまるで酒に弱い女のようでもあったが、整った顔の下には立派な身体がある。

 だらしなく乱されたままの服だからこそ、彼の美しさは際立っていた。恐らく彼が真面な服を着れば、『神聖な物』として誰も触れようとしないだろう。


「俺はこの瞬間を待っていた」

「金取るからな」

「愛してる、ハニー」


 アリオスの忠告も聞かずに、ロイドはグラスへキスをした。神聖なような、穢れているような、そんな光景はいつものこと。アリオスは彼から視線を外し、別の客をもてなすことに集中した。


「お兄さぁん」


 甘ったるい声と共に、香水の匂いを引いた女が近づいてくるのをアリオスは目線の端で捉えた。ロイドは不機嫌になることなく彼女を受け入れる。


「なんだ? 綺麗なレディ」

「わたしにもぉ、その強いのくださぁい」


 ロイドは機嫌よく自分のグラスを彼女に受け渡す。それから肩を抱きよせると、その日は彼女と過ごすことに決めた。

 ウィスキーを飲んだ彼女は頬を染めてロイドに身を寄せる。女より酒だが、女が要らないわけではない。そう口元を緩めたロイドは、新しい目標と無駄な会話をつらつらと話し続け、それから二時間後にはアリオスに別れを告げた。


「エージェント」

「違う、サージェントだ」

「失礼。次からは換気をしてくれ」

「酒の匂いが好きなお前にしては珍しいじゃないか」

「……ゲロと香水臭くてたまったもんじゃないね」


 こっそりアリオスに伝えると、彼は肩を竦めた。

 ロイドはシェリーから受け取った二十カムを出して、新しい彼女(名前はリリーと言うらしい)と共に店を出た。

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