血縁 3

 ゴトッ。





 涼子の懐から何か重いものが落ち、鈍い音が響く。


「涼子さん。それは」


 涼子は慌てたようにそれを懐に隠す。


 それは姫奈希が盗んだプラチナの馬蹄と対になっている金色の馬蹄であり、馬鬼神社に供えられていたものであった。


「はぁ、なんでこんなに上手くいかないんだろう」


 涼子は俯いたまま、床の分厚いカーペットを爪で引っ掻く。


 翔は涼子の凛々しく強い母のイメージとのギャップをどうにも埋めることができず、床を掻きむしる弱々しい姿を呆然と眺めた。


「涼子さん。その馬蹄は」


 豊が切り出す。


「こんなはずじゃなかったのよ」


 涼子はつまらなそうにしながら既に観念している様子である。





「少し長いけど、聞いてくれるかしら」


 涼子はタバコでも欲しいというような大きな溜め息を吐き、 呆然と立ち尽くす豊と翔の足元のあたりを漠然と見つめ、罪を露呈した。





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 私はね、女王様みたいになりたかったの。


 働かなくても幸せに不自由なく暮らすことが夢だった。


 私は小さい頃から「かわいい」とか「美人」とか言われて育ってきたし、頭もいい。


 それにたくさんの男性に言い寄られてきたから、夢は簡単に叶えられると思っていたの。





 私は王子様が来るのを目を凝らして待っていた。


 そして、この村に社員旅行に来た時に、龍之介が私に声をかけてきたの。





 龍之介は私を女王様にしてくれるという確信があった。


 この村はちょっと田舎すぎるけど、龍之介は若くして馬肉加工業と温泉業の社長をしていて、経営もうまくいっている。


 何より金がある。


 私に夢中な龍之介を手の上で転がし、全てうまくいくと思った。


 私は結婚の申し込みを許可し、この村で生きていくことを決めた。





 この村に来たばかりは良かったわ。


 結婚前に龍之介に頼んでおいた立派なお屋敷は完成していたし、おいしいご飯も毎食作ってくれる人がいた。


 お金も龍之介から不自由なく貰えたし、何もしていなくても村の人は龍之介の嫁だからとチヤホヤしてくれる。





 私の理想は間違いなくここにあった。


 でも、その理想は一瞬で終わってしまったの。





 バブル崩壊が全てを狂わせた。





 会社が赤字になったと龍之介はピリつくようになって、それ以降、私よりも村のことを優先するようになってしまった。


 ついには経営を少しでも良くするために、子どもが預けられる年齢になったら私にさくら温泉の女将として働くように促したわ。





 経営難が終わって私は元の様に家にいることが増えたけど、龍之介は私と別のところにお金を使っているのが明白だった。





 私は龍之介に「結婚前の約束と違う。稼いだお金はどこに使っているの?」と問いただした。


 そしたら、「新しいビジネスに投資している。不景気でも安定して収入が見込めるはずだ。」と言って私を誤魔化した。


 龍之介は誠実な人だから私はその言葉を信じてしまったの。


 これが私の人生の最大の失敗ね。


 もっと詳しく聞くべきだったわ。





 その後、私は真実を知った。


 この金とプラチナの馬蹄をはじめて触った日の午後、ふと頭の中に疑いが生じて龍之介の書斎を漁ったわ。


 そして、ノートに記載されていたリストを見て私は龍之介の裏切りを知った。





 馬蹄だけではなく、毎日毎日バカみたいに高価な供物を神社にお供えしてた。


 私たちの食費よりも高い食べ物を供えるだけじゃなく、不定期に貴金属や着物、家具から電化製品まで、明らかにお供えの範囲を超えるものまで馬鬼神社に持ち込んでいた。





 龍之介は私を騙して働かせた上に何千万もの金を神社に注ぎ込んだ。





 私はいつかそれ相応のものを取り返してやろうと心に決めた。





 龍之介が出張した日に姫奈希がプラチナの馬蹄を盗んだのに気づいた私はそれに乗じて、私は金の馬蹄と他の供物を盗もうと夜の馬鬼神社に忍び込んだ。





 夜の馬鬼神社は昼間と違って粘り気のある空気が気持ち悪かったけど、龍之介の裏切りの帳尻を合わせるべく私は手際よく神社を漁ったわ。


 でも、龍之介の部屋で見たノートに書かれていたような物は見当たらないし、誰かに見られているような気がして私は焦って御社殿の手頃なものを漁った。


 そして金の馬蹄を手に取った瞬間、あの気持ちの悪い笑い声が、森から、境内から、そしていちばん大きな笑い声が奥の階段の下から、お堂を震わせるほどの音で響いた。





 ヒキキキィィィンンン。ヒヒヒヒヒヒヒヒヒィン。 


 ヒキキキィィィンンン。ヒヒヒヒヒヒヒヒヒィン。





 そして、その階段からぬらりぬらりと耳が、ツノが、目が見えたとき、私は一目散に逃げ走った。


 じっとりと絡みつくような空気の中を必死に掻き進みながら。


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