第36話 同行者
目を開けた途端にメルヴィンの心配そうな顔が飛び込んできた。
打ち合わせ通りの行動だったはずなのに何か問題があっただろうかと思いかけたが、すぐに淡い微笑みに変わったのを見て何となく察するものがあった。
恐らくは先ほどのアンリの言葉が尾を引いているのだろう。
(どんな台詞を言うのかまで聞いていなかったし、私も事前にアンリから告げられていなければ反応してしまったかもしれない)
陽香の護衛騎士に任命されているとはいえ、陽香が暗殺された後にアンリの側を離れるのはそれなりの理由がなければ不自然だ。そのためアンリがメルヴィンを遠ざけるための芝居を打つことになっていた。
『メルヴィンには酷いことを言ってしまうけど、我慢してじっとしているんだよ』
言い聞かせるようなアンリの口調に陽香は笑って返事をしたが、実際に耳にすれば当人でないのに胸が苦しくなるほどだった。
「メルヴィン、ごめん。……大丈夫?」
演技だと分かっていても近しい相手にあんな風に詰られるのは、きっと辛かっただろう。その発端は自分の提案にあるため心苦しさを感じていると、頬に温かな手が触れた。
「大丈夫だ。それにハルカのせいじゃないからな?外にいるから着替えが済んだら出てきてくれ」
普段と変わらない様子が逆に心配になったが、ここで時間を割くわけにもいかない。
言われたとおりに着替えることにした陽香は、まず短剣を胸から抜いた。細工のために通常の半分ほどしかない刃渡りに、万が一でも傷付けることがないようにと刃先を丁寧に潰している。背中のボタンを外し、慎重にドレスを脱いでいく。
「……良かった。あんまり内側に染みてないし、飛び散ってもないみたい」
パット部分に動物の血を仕込んでいた革製のブラジャーの生臭さが鼻につくのは仕方がない。どこか適当なところで処分しなければいけないが、ひとまず汚れたドレスに包んでおく。
(あの時はこんな事になるとは思っていなかったけど……)
世の中何が幸いするか分からない。
外出の際に高級下着店に行ったのは、元いた世界の知識を活かしてアイデア料を稼げればと考えたからだった。
友人のお姉さんがランジェリーショップで働いていたため、将来の勉強にと色々見せてもらったことがあったのだ。
寝間着として使用されるネグリジェはあるが、ワンピース風のお洒落なベビードールはないことに気づいた陽香が、オーナー相手に語ったところ話が弾み、見事商品化に至った。
売れ行きは好調らしく、そのおかげで今回パット部分に液体を入れた下着を作りたいという陽香の要望にもすぐに応えてくれたのだ。
胸から腹部まである防具は薄くはあるものの、金属で出来ているためそれなりに重い。全てを外し終わった後、一息つく間もなく女性用の平民服に袖を通す。
「メルヴィン…っ」
着替え終わったことを知らせようと扉を開けた陽香だが、思いの外すぐ近くに控えていたメルヴィンにはっとした。
眩しそうに目を細めふわりと微笑んだ表情はどこか甘やかで、望んでいたことがようやく叶ったような安堵の色が浮かんでいる。
(えっと……着替えに時間が掛かって待たせてしまったのかな……?)
多分そうではないだろうと思いながらも、思考をそちらに傾けてしまったのは何となく面映ゆい気分になってしまったせいだ。
「演技だと分かっていてもあの姿は心臓に悪いな。二度と御免だ」
思わずといった風に漏らした言葉に、成程と心の中で呟いた。
騎士として護衛対象を護れないのは、致命的な失態なのだろう。そんな光景を目の当たりにするのは狂言とはいえ、精神的に負担を強いられるものだったらしい。
そう理解してしまえば、気恥ずかしさなどあっという間に何処かに行ってしまった。
「流石に何度も経験したくはないかな」
陽香の返答に、メルヴィンは口の端を上げて頭を撫でる。
(いつまで一緒にいてくれるんだろう……)
不意に不安な気持ちが頭をもたげ、そんなことを考えてしまった。
メルヴィンは真面目で面倒見が良くて優しい。運命の相手として召喚された陽香に同情を寄せているからだし、護衛対象だからだ。
騎士であるメルヴィンはトルドベール王国を離れられないだろう。国境近くまでは付いてきてくれるかもしれないが、そこからは一人になる。
いくつか候補を考えているものの、陽香の行先はまだ決まっていない。安全な場所まで送り届けるとは言われているが、その先は知らない方がいいだろうとアンリは寂しそうな表情を浮かべながらも言った。
『何処にいるか知ってしまえば、どういう暮らしを送っているのか調べずにはいられないだろうからね』
出会った当初のように運命の相手に対する執着を表に出していないが、それでも簡単に切り替えられるものではないのだろう。
本能的に惹かれずにはいられないのなら、それはどれだけの自制心を必要とするものなのか。
召喚されたことはさておき、運命の相手がアンリで良かったと思った。陽香の意思を尊重し、国から逃がすために国王すらも騙すための芝居を打ってくれる人なのだ。
これからのことに思いを馳せていた陽香は、そんな感傷が吹き飛んでしまうことになるとは想像もしていなかったのだった。
「これからは馬車で移動するが、同行者がいる。……先に伝えてなくて悪い」
「別に構わないよ?」
平民であれば乗合馬車で移動するのが普通だし、そのほうが目立たないのだろう。ありふれたアッシュブラウンの鬘をお互いに被り変装をして待っていると、一台の馬車が近づいてきた。
メルヴィンが荷台部分を確認した後、手招きされた陽香は何も疑わずに近づいたのだが、メルヴィンの謝罪の意味をもっと考えるべきだったのだ。
驚きに目を瞠ったまま固まった陽香は、あっという間に強い力で抱きしめられてしまった。
「ハルカちゃん、無事で良かった……」
涙声のエディットに釣られるように涙がこぼれる。
「ご、ごめんなさ……私のせいで……」
「そんな訳ないでしょう!悪いのは実行犯とそれを命じた人で、ハルカちゃんは被害者なんだからね」
叱るような口調で言われて陽香は言葉を呑み込んだ。だが怪我をしたエディットを見て逃げ出したのは事実なのだ。
「ハルカが自分を責めればそれこそ卑怯者どもの思う壺だ。ただ危険なのが分かっていて護衛の側を離れたのは良くなかった。もう分かってるとは思うが、二度とするんじゃないぞ」
馬車の奥にいたジェイからもそう声を掛けられて、陽香は何度も頷いた。謝罪の手紙だけ送って会おうととしなかった陽香を責めることなく、労りの言葉を掛けてくれる二人にはどれだけ感謝してもしきれない。
「そろそろ行こうか。積る話は移動中でも出来るだろう」
メルヴィンの言葉に陽香は目を瞬かせたが、ジェイもエディットも当然のように頷いているではないか。
「メルヴィン……王都を離れる前にお別れの機会を設けてくれたんじゃないの?」
「彼らが同行者だ。二人はジェイの故郷に戻って食堂を開くらしい」
戸惑う陽香をメルヴィンが抱き上げて荷台に乗せると、すぐに馬車が動き出す。
「元々そういう話があって、ちょうどいい機会だから移住することになったの。そういうわけで新しい環境で一緒にお店を手伝ってくれる子を探しているのよね。経験者なら大歓迎よ」
軽い口調で告げるのは、陽香に押し付けないようにするためだろう。もちろん自分で役に立つのならいくらでも手伝うが、流石にそれは甘えすぎではないだろうか。
「まだ向こうに到着するまで時間があるからゆっくり考えればいい。別の土地で暮らしたければ、ハルカが望む場所まで俺が連れて行くから心配するな」
思わぬ展開に呆然としながらも、メルヴィンの言葉に頷いた。先ほどまで感じていた不安はもうどこにも見当たらなかった。
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