第20話 苦言

一日側を離れていただけで、ハルカとアンリの関係が悪化していた。アッシュからの報告にメルヴィンは思わずため息が漏らす。


元々良好な関係ではないが、ジゼル・バセーヌの突然の訪問に端を発したとなれば、そこに何らかの思惑が働いたのではないかと疑ってしまう。


ジゼルに関して言えば悪い噂は聞かず、夜会などでもアンリに対しても積極的に言葉を交わすこともなく、一歩下がって静かに控えているような印象しかない。だが王妃との関係や近年降盛を誇るバセーヌ侯爵のことを考えれば、警戒が必要な人物である。


「想い人に他の女性を勧められた挙句、激しく拒絶されて……お労しい限りです。殿下のお気持ちを蔑ろにし過ぎではないでしょうか」

「アッシュ、それ以上は言うな。彼女は被害者だ」


自分の前だからこそ漏らした不満だったのだろうが、言葉にしてしまえば無意識のうちに態度に出てしまいかねない。そしてそれは確実にハルカに伝わるだろう。


「分かっています。ですがあの方もずっとこのままでいる訳にはいかないでしょう?殿下の庇護下を離れることの危うさを理解しているのであれば、多少の歩み寄りは必要かと」

「だとしても、だ。俺たちはもちろん、アンリ殿下も彼女にこちらの事情を押し付けるわけにはいかない」


あの夜、今にも消えてしまいそうなほど儚く、寂しそうなハルカの姿が目に焼き付いている。普段は弱みを見せないよう感情を隠しているハルカは、ひどく不安定な状態だ。今回の状況も降り積もった不満が爆発してしまったのではないだろうか。


抱えきれなくなって自暴自棄になってしまうぐらいなら、時々こんな風にガス抜きをしてくれたほうがまだ健全だろう。


そんな自分の考えがどれだけ浅はかなものだったか、すぐにメルヴィンは思い知らされることになった。



昨日のことに何も触れずにいれば、ハルカは警戒した様子を崩さずにいたが、食堂に入ると肩の力が抜けたようだ。働き始めた当初は失敗を重ねて余裕がなく、もどかしさを覚えているようだったが、最近は瞳に輝きが宿っていて仕事の時間を心待ちにしているようでもある。


ハルカを送り届けたあと、メルヴィンは店舗周辺の安全確認と同時に不穏な動きがないか見回り、情報収集など街の騎士と同じような仕事をしている。貴族籍を持つ騎士はあまりやりたがらないが、メルヴィンはこの仕事が嫌いではない。


ふと目に付いた露店で髪留めを数個買った。食堂で働いているときにハルカが紐で髪を束ねていたことを思い出したのだ。物で懐柔するつもりはないが、実用性のある物なら受け取りやすいかもしれない。

世話になっているエディットの分も一緒に購入して店に戻れば、本日の営業時間が短縮される旨を知らせる看板が出ていた。

少し疑問に思ったものの、帰城時間が早まる分には問題ない。


「いらっしゃい。ハルカちゃんは私と一緒に夕飯を摂るから、ジェイに付き合ってあげてね」


営業終了後、にこやかに告げるエディットの言葉に、ハルカがちらりとこちらを窺うような眼差しを向ける。嫌がっている様子はないし、何故かエディットの笑顔には圧がこもっているため了承すると二人は部屋の奥へと消えた。


あとに付いて行く様がまるで母娘のようだとうっすら思っていたせいで、無言で近づいてきたジェイの行動に対する反応が遅れた。

顔面に向かって繰り出された拳をギリギリのところで避けたが、振り向きざまに放たれた蹴りが脛に当たって体勢が崩れる。


とはいえ、こちらは現役の騎士なのだ。何とか立て直して距離を取り両手を上げる。

ジェイは理由もなく暴力を振るうような人間ではない。


「ジェイ、待ってくれ。理由を知りたい」

「ハルカの代わりだと言えば分かるか?あの子の苦しみには足りないが相応の報いは受けるべきだろう」


静かな声には怒りが滲み、その目は鋭くメルヴィンを捉えている。ハルカの出自や立場を伝えないままだったが、真面目に働いてくれるならとジェイは何も聞かずに受け入れてくれた。


「ハルカが話したのか?」

「あの子は何も言わん。だが普段の様子とお前が護衛に付くほど重要人物とくれば、予想はできる。ハルカは王子の運命だな」


そう断言するジェイにメルヴィンは小さく頷いた。正体を伝えなかったのは何か不測の事態が起きた場合でも責任を取らせないようにとの判断だったが、ここまで確信しているなら誤魔化すのも悪手だ。


「召喚など拉致と変わらん。親元から引き離されてあの子がどれだけ傷ついているか、お前らには想像すら出来ないのか?」


ジェイのいうお前らの中にはアンリも含まれているのだろう。平民よりも政略結婚が一般的な貴族のほうが親子の縁は希薄だと言われているが、何も分かっていないだろうと言われるのは流石にカチンとくる。


「親子や兄弟で訪れる客を見るたびに、一瞬だけ切ない目を向ける。両親だけでなく兄弟姉妹もいたのかもしれない。優しい、家族思いの子なんだろう」


反論しようとしたメルヴィンに、ジェイが淡々とした口調で告げる。それが却ってジェイの怒りを表しているような気がした。


「お前に頼まれて模索していたオムライスに似た料理を見て、ハルカは泣いていたぞ。母親の手作りの味を忘れたくないから食べられないと言ってな」


ぽろりと零したハルカの発言を忘れなかったアンリが、世界各地の文献を漁りコメを使った料理らしいというところまで突き止めた。食堂で働くことになったのをきっかけに、何とかオムライスを作れないかとジェイに依頼したのはメルヴィンだ。


母親の作ったオムライスでなければハルカが本当に求める味ではなかったのだろう。メルヴィンのしたことは余計なことでしかない。


「……悪かった。殴られても当然だ。好きにしてくれ」

「お前を殴ったところでハルカの苦しみが消えることはないだろう。償う気があるのならもっと心を砕いてやれ。お前が思うほどにあの子は、きっと強くはない」


カウンターにあった酒瓶をテーブルにおいて、二つのグラスに酒を注ぐ。ぐっと飲み干した後に俯いたジェイの表情は見えない。


もう一つのグラスを手にメルヴィンはジェイの願いに応えるよう一息に呷る。飲み慣れたはずの酒はやけに苦く感じられた。

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