第10話 思い上がりの代償
「なるほど……」
メルヴィンからの報告を聞き終えたアンリはその隣にいるエタンに顔を向けた。本人は抑えているつもりだろうが、内心不満を感じていることが表情や態度から伝わってくる。
「エタン、申し開きがあるなら聞こう」
顔を上げたエタンの眼差しはまっすぐで、自分の行いが正しいことだと信じて疑っていないようだ。
「彼女の言動は目に余るものがあります。これ以上好き勝手にさせることは王室の権威を貶めることに繋がるでしょう。何より殿下のお気持ちを蔑ろにし、傲慢に振舞うなどあり得ません!」
憤りを隠さずに熱心に説く姿をアンリは冷ややかに見つめていた。
(どうして私が怒らないと思うのだろう)
運命の相手であることを拒否されても、彼女が大切な人であることは変わらないと伝えていたのだ。彼らがハルカの態度に不満を抱いたとしても、心の中にさえ留めておくならば咎める気はないが、それを表に出しただけではなく護るべき相手に暴言を吐くなど到底許せることではない。
「そのことと私が欲しいと望んだ物を勝手に壊したことにどんな関係があるんだい?」
「それは……殿下のお望みの品を壊すつもりなどございませんでした。ただ殿下から贈られた物を使って対価を強請ろうとした強欲さを諫めただけで、落としてしまったのは不慮の事故です」
思いがけないアンリの問いかけに言葉を詰まらせたものの、エタンは自分に責任はないと言い募る。見かねたように口を開きかけたメルヴィンをアンリは視線で制した。
争いごとを好まないとはいえ、大切な人を傷付けられて大人しくしているつもりはない。
「思い上がっているのはどちらだろうね、エタン」
明らかに嬉しそうな表情を見せてくれたわけではない。だけど対価を警戒しつつもアンリが差し出した薔薇そのものを疑う素振りはなかった。警戒心の強いハルカがその点においてはアンリを信用してくれたようで、嬉しかったのだ。
彼はそれを台無しにしてしまった。
「命令を無視し、大切な人を傷つけるような者など要らないよ」
「――殿下!どうか、お考えなおしください。俺は生涯の忠誠を殿下に誓った騎士です。俺はただ殿下のために――」
エタンを近衛騎士に指名したのは、王妃の実家と懇意であり、由緒正しい家柄であること、そして政治的なバランスを取るためだった。彼の勤勉さや熱心さなどを好ましく思っていたものの、彼は踏み越えてはいけない線を越えたのだ。
「では選択肢をあげよう。このまま自主的に騎士を辞めるか、ハルカが言うように同じ経験をして騎士に戻るか、どちらか好きな方を選ぶといい」
「……同じ経験とはどのような……?」
困惑した表情を浮かべるエタンに、アンリは淡々とした口調で言った。
「極東にある島国の王弟が世話係を探しているそうだ。主人の身の回りの世話と護衛、それから夜の相手を勤めることもあるらしいね。少し条件が違うけど、そこで半年過ごしたなら騎士に戻してあげるけど、どうする?」
「アンリ」
肩を落としたエタンが立ち去ると、メルヴィンが気遣うような眼差しでこちらを見ていた。彼が何を懸念しているかは分かっている。いつだって優しい従兄はアンリを案じ、護ろうとしてくれるのだ。
「ハルカに反感を抱いている者は他にもいるだろう。まずは護衛の見直しをしないとね。それから……もし君に母上の派閥に属する者たちから接触があれば、私にも共有してくれるかい?」
少しだけ勇気が必要だったその言葉に、メルヴィンは虚を突かれたような表情を浮かべた。
(もっと早くそう言うべきだったんだ……)
王妃である母がアデール公爵家を目の敵にしている。特にメルヴィンへの嫌がらせは執拗で、そのたびに淡々と対処する姿に罪悪感を覚えたが、メルヴィンはいつも大丈夫だと言って困ったように笑っていた。
それは幼いアンリを護るためだったのだが、今はもう大切な人を護るための手段や力を持ち合わせている。
「母上の意向に背いた私に注意が逸れてくれれば良いのだけど」
出来ることならハルカを関わらせたくはないが、そう遅くないうちに王妃はハルカに接触を図るだろう。そして彼女の意に沿わないと分かれば、どんな行動に出るか想像に難くない。
「彼女には内情を話しておいたほうがいいかもしれないな」
自衛を促すためにはそれも良案だと思うが、机の上に置かれたガラスの欠片が目に入り躊躇いが生じる。壊れた小壜の破片をメルヴィンは丁寧に拾い集め、怪我をしないように一回り大きな壜に入れて渡してくれていた。
自らの手で作り上げたものを目の前で壊されたハルカは、どんな気持ちで破片に手を伸ばしたのだろうか。
「頃合いを見て伝えないといけないけど、今はそっとしておきたい。……ハルカに詫びの品を贈りたいが嫌がられるだろうか……」
きっともう花束は受け取ってもらえない気がする。高価な宝石もドレスも彼女は欲しがらないだろうし、女性に人気の菓子やお茶の類も口にしないだろう。
壜の中では粉々になったガラスの欠片が陽光を浴びて光っている。表面にそっと触れると冷たい感触が伝わってくるだけで、その輝きに触れることはできない。
壜を持ちあげると薔薇の香りを嗅いだ気がして、アンリは少し泣きたい気分になった。
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