第98話


 よほど疲れていたのか、いくらも立たないうちに、フェンは穏やかな寝息をたてた。

 ロキは月明かりにうかぶフェンの白いまつ毛を眺めた。額に落ちた前髪を掻き分けてやると、フェンは少しむずがり小さく唸った。

 フェンの陶器のような白い肌を辿ると、開いたシャツの胸元に擦り傷が見える。この地にたどり着いた時のものだろうか。

 ふと窓の外から声が聞こえて、ロキはフェンを起こさないように、ゆっくりと上体を持ち上げた。

 庭の方を見下ろすと、ニーズヘッグとフレイの姿がそこにあった。どうやら動けるようになったニーズヘッグをフレイがここまで連れてきたようだ。

 ロキはフェンを跨いでベッドから起きると、ニーズヘッグとフレイのいる庭へと向かった。




「んっふふ、かぁわいいなぁ、僕の言ってることがわかるのかい? ほぉら、もっと食べていいよ? お野菜はドラゴンの体にもい」

「フレイ」

「ぬあっふぁ! な、ど、どうしたんだね、ロキよ」


 今まで、ニヤニヤしながらニーズヘッグの首筋に頬擦りしていたはずのフレイは、ロキが声をかけた途端肩を跳ね上げ姿勢を正した。

 

「いや、上から姿が見えたからさ、元気になったんだなニーズヘッグ」


 ロキは丸太で組まれたベンチに腰を下ろし、肩にかけたブランケットを手繰り寄せた。


「むう、まだ本調子ではない。しばらくここで休ませるつもりだ。体調が戻れば、こいつはまた冥界に戻るだろう」

 

 そう言いながら、フレイは爪先立ちでニーズヘッグの頭を撫でた。

 ニーズヘッグはお化けカボチャを丸ごとバリバリ齧っている。

 青白い月明かりが降り注ぎ、星空を背景にしたドラゴンの姿は実に幻想的で見応えがあった。


「あ、そうだ。これさ、ニーズヘッグの歯に挟まってたんだけど、何かわかる?」


 煌めく星で思い出し、ロキはポケットに入れていたそれを取り出した。朝のような光を含んだその鉱石をフレイに差し出してみる。


「なんだこれは? シトリン? ガーネット……いやイエローサファイアか?」

「宝石?」

「わからん、あまりそちらの分野には明るくないのでな」


 おまえは知っているか?と問うように、フレイはその鉱石をニーズヘッグに見せた。

 冥界でこれをみた時ニーズヘッグはボロボロ涙を流していたが、今はかぼちゃから頭を上げると、どこか穏やかな眼差しで見つめている。


「ニーズヘッグにとって特別なものなのかと思ったんだけど」

「わからんな」


 フレイは顎に手をやり、星空に鉱石をかざしながらそう言った。


「ニーズヘッグはお前に持っていて欲しいようだ」

「え? 言葉わかるの」

「むう、なんとなく雰囲気だ、雰囲気」


 そう言いながら、フレイはローブにたくさんついたポケットの一つから、革の小袋を取り出した。鉱石をその中にしまい込むと、口を長い麻紐で縛り、それをロキの首にかけてくれた。

 ロキはその小袋の形を指で確かめてから、襟首から服の中に仕舞い込んだ。


「ねえ、フレイ。教えて欲しいことがあるんだ」

「むう、なんだ?」


 なにか尋ねられるのが好きらしいフレイは、少し口角を上げながら、ロキの隣に腰を下ろした。


「オーディンの器っていったい何なのかな」


 ロキのその問いに、フレイは少しの間言葉を探していた。二階の窓を見上げる仕草は、そこに眠るフェンの姿を思い浮かべているのだろうか。


「ミッドガルドではどう伝えられているか知らないが、神は万能ではない」

「うん、レイヤに教えてもらったよ。神族も死ぬんだって」


 フレイはロキの言葉に頷いた。


「神は老いることはない。しかしその肉体は長い年月をかけて確実に劣化しているのだ」


 その言葉を聞きながら、ロキは深く息を吐いた。







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