第96話

 何故そんなことを聞いたのかと、ロキはレイヤに対して首を傾げた。


「言ったでしょ? オーディンは強力な神族を集めてるって。それだけじゃなくて、人間やドワーフからも並外れた能力の者を呼び寄せてるって話もあるわ」

「へ、へぇ……? でも、じいちゃんは至って普通の人だ」

「じゃあ、なんでヴァルハラに?」


 今度はレイヤが首を傾げた。


「え? わ、わからないけど、なんでそんなことを聞くんだ?」


 ロキは尋ねた。

 レイヤはなおも解せない様子で唸りながら、ロキの質問に答えた。


「だって、ヴァルハラはオーディンの神殿のことよ」


 レイヤの言葉に、ロキは息を止めた。


「え? 今なんて?」

「だから、オーディンの神殿のことをヴァルハラって呼ぶのよ」

「な、なんでじいちゃんがオーディンの神殿に?」

「だからっ! さっきからそう聞いてるでしょ!」


 レイヤはツンと唇を尖らせた。

 ポットを両手で持ち上げると、蒸らしたお茶をカップに注いでいく。

 そこで扉がばたりと開き、ボサボサ頭が現れた。「帰ったぞ」と一声発して、フレイはローブを脱ぎ扉の脇のフックにかけた。


「いやぁ、ぼ、私の見立てだとニーズヘッグはただの疲労だね。心配はいらない、ニンニク注射を打ってきたから、すぐに元気になるだろう」


 そう言って、席についてレーズンパンに手を伸ばしたフレイにレイヤが「手を洗って」と言いつけた。

 

「ねえ、おにいちゃん、ロキとフェンはヴァルハラに行きたいんだって」

「なに、ヴァルハラに?」


 手を洗って着席しなおすなり、フレイは用意されたスープを頬張りパンを口に押し込んだ。頬を膨らませたまま喋るから、口からパンくずが飛び出している。


「い、いや……ヴァルハラには……行けない」

「あら? どうしたの急に」


 狼狽するロキに、レイヤが問いかける。


「知らなかったんだ。ヴァルハラがオーディンの神殿だって……俺は、オーディンのところには行けない……」

「でも、おじいさんを迎えにいくんでしょう?」


 レイヤの問いに、ロキは頷けないまま目を泳がせた。隣で心配そうな顔をして、フェンがロキの手を握った。


「むう、最高神相手では怖気付くのもわかるが、案ずるな。私やレイヤが付き添えば、きちんと話が」

「違うんだ!」


 突然声を荒げたロキに、フレイもレイヤも驚いて眉を上げた。


「とにかく、オーディンにみつかるわけにいかないんだ……でも、じいちゃんを迎えに行かなきゃ……」


 フレイとレイヤは何かを察したように顔を見合わせた。

 そして、次に口を開いたのはフレイだ。


「ロキ、おまえもしや、オメガなのか?」


 その問いに、ロキは顔を上げて身構えた。

 椅子から腰を浮かせたロキに、フレイは大丈夫だと示すように顔の前で手を振った。


「なんの因果か、ロキとはオメガに与えられる名前なのだな。ビフロストを通らずに冥界からここまで登ってくるなど、なにか事情がありそうだとは思ったが」


 フレイはそう言いながら、また一口パンを口に放り込んだ。


「ロキ、安心して。私たちは無理やりあなたをオーディンに引き渡したりはしないわ」


 レイヤはそう言いながら、ロキのカップにミルクを落とした。

 ゆっくりと紅茶を飲みながら、ロキはこれまでの経緯をフレイとレイヤに話して聞かせた。

 ミッドガルドにオーディンの遣いが迎えにきたこと。ロキ自身に神の器を作るつもりはなく、爺もロキがオーディンに近づくことを強く反対していたこと。その後で偶然出会ったフェンの正体がおそらくフェンリルであろうことを打ち明けた時には、フレイはあからさまに目を輝かせてフェンの体を調べたがった。オーディンに捕まれば爺を探すことができなくなると思い、オメガであることを隠しながら上層を目指し、そしてヨトの巨人族との衝突を経て、冥界からこの地にやってきたところまで話し終えると、レイヤが淹れてくれた紅茶はすっかり冷めてしまっていた。


「むう、なるほど。オメガと失ったはずの器が一緒にいるとは」

「前のオメガも器たちも失って、いつ黄昏がくるともわからないこの状況では、オーディンはどちらも欲しがるでしょうね」


 フレイとレイヤの言葉に、ロキは俯いた。

 フェンはまだロキの手を握っている。その無垢なブルーアイを一瞬見上げ、ロキはすぐに視線を逸らした。


「私が話してやってもいいが、なぜ見知らぬ老人を尋ねるのかと事情は聞かれるだろうな」

「それに、もしオーディンがおじいさんとロキの関係性を知ってるのだとしたら、勘付かれる可能性も高いと思うわ」

「つまり、じいちゃんは人質みたいなものってことか」


 ロキは奥歯を噛んだ。


「みたいなもの、というか、人質そのものの可能性が高いな」


 フレイの見解に一同は押し黙った。








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