第70話

 






 格子を握って譲っても、蹴り飛ばしても、大声で叫んでも、誰一人様子を観に来る気配すらない。みんなパーティーの準備にかかりきりなのかも知れない。

 ロキはもう一度牢の中を振り返った。無駄かも知れないと思いつつ壁に固定された鎖を握り、力いっぱい引っ張ってみる。しかし、ガシャリと音が鳴るだけで、しっかりと固定されたそれが外れる気配はない。それに外れたとてそれを使ってどのように牢を破るのかなど、ロキの頭には浮かんでいなかった。

 格子の目は思いのほか細かくて鮭になってもうまくすり抜けられそうにない。

 途方に暮れながら、ロキはまた格子の外に目をやった。その時、唐突に視界に映ったものに、驚きはっと息を止めた。


「ガイド……」


 ロキが呟くと、長い金の髪をぶら下げた頭が僅かに揺れた。口角が上がった気がするが、定かではない。首にはやはりくっきりとした繋ぎ目がみえていた。

 

「ガイド! ここから出してくれないか!」


 藁をも縋る思いで、ロキは格子に飛びついた。口元を穴に押し付け必死にガイドに訴えかける。するとガイドはまた白樺の枝のような指を伸ばし、出入り口の錠前を指した。


「あっ!」


 ロキが頼むまでもなく、いつの間にやら鍵が外されていたようだ。

 ロキは扉に飛びつき、格子の外に這い出した。立ち上がって、どちらに行けばいいのかと一瞬戸惑っていると、ガイドが真っ直ぐに道を指し示した。ロキはそのガイドの指先を追う。長い通路が続いていて、等間隔に松明が灯っているようだ。


「あっち?」


 そう言って確認するように振り向くと、ガイドの姿はすでになかった。

 ロキはゴクリと唾を飲み込み。息を殺して通路を進んだ。見た目が明らかに巨人族とは異なる人間の男は、見つかればすぐに異物と判断されるだろう。

 壁に沿って進んでいると、向こうの方から足音がした。

 まずいと思ってあたりを見渡すが、牢からここまで通路は一本道で続いており、隠れられる脇道がない。

 ロキは咄嗟に脇にあった木の扉を開き中に飛び込んだ。幸いそこには誰もいない。

 どうやら調理場のようで、大きな鍋がぐらぐらと湯気を立ち上らせていた。

 天井からぶら下がった肉塊に、一瞬ヒヤリとしたが、形状からして鶏肉だ。犬ではなさそうでほっと胸を撫で下ろすロキだったが、直後背にしていた扉がガチャリと押された。

 誰かが入ってくるようだ。

 慌てたロキは咄嗟に姿を鮭に変えて、傍にあった生簀の中に飛び込んだ。ぽちゃんという入水音は、幸い男たちの会話に紛れたようだ。

 入ってきたのは二人の巨人族で、長い髪を縛ったり、耳当てつきの帽子の中にしまい込んでいる。

 おそらく調理担当のようで、鍋の中の様子を覗き込んで、ぐるぐるとかき回していた。


「たく、こんな時だってのに誕生日パーティーなんてしてる場合なのかよ」


 帽子の方の男が、大皿に切ったフルーツの乗せながら言った。


「こんな時だからこそ、なんだとよ」


ともう一人の髪を結んだ方が言う。


「にしてもオメガなんてさっさと殺しちまえばいいのに」


 帽子の方の男の言葉に、ロキは尾ビレを震わせた。

 水槽の底をゆらゆらと這っていたイカが、ギョロリとロキを見上げている。


「ヴァクがずいぶん食い下がってるらしいぜ、殺さないでおくべきだって」

「ほぅ? なーんだ、ヴァクのやつ、あのオメガを気にいっちまったのかね?」

「かもなー、あっちの具合がよっぽどいいんだろうよ」

 

 男たちはゲラゲラと品のない笑い声を上げた。


「おーい! そろそろ始めるってよ! 残りの料理はまだか?」


 また扉が開き、別の男の声がした。


「おう、もうできてるぜ、運んじまうから手伝ってくれよ」

「あいよ」

「あー、あと、生簀から魚とタコを取ってくれ」

「へーい、捌くのか?」

「ああ、オヤジの目の前でな。そんで素揚げにする」


 水面を見上げると網を掲げた男の姿が映った。

 ロキは慌てて水底に逃れようとヒレをバタバタ揺らしたが、残念ながら生簀が狭すぎる。






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