第62話

 





 ヨトはかなり栄えた街だと思っていたが、不思議なことに、ヨトは近いと伝えられてからも一度も他の馬車とすれ違うことはなかった。

 ふたたび馬車が止まったのは小高い丘の上だった。

 夜に包まれたヨトはしんと静まり返っていて、幌に降る雪が微かにパラパラと音を鳴らしていた。

 この丘をおりた先にヨトの街があるのだと言う。

 ロキはまた新雪の中を進み、丘の上からトールがいう方向を見下ろした。


「えっ⁈」


 思わずロキが上げた声は、積もった雪に吸い込まれていった。ロキは咄嗟に口元を抑えながらも、確かめるように後ろのトールを振り返る。

 トールは落ち着いた様子で、ロキの隣に歩み寄った。雪で遊んでいたフェンも、ロキの様子に気が付いたのか転がるように近寄ってくる。


「これ、どういうことだっ⁈」


 ロキはトールに尋ねた。

 トールはその街の情景をみても驚いた様子はない。

 ヨトの街は、まるで朽ちた遺跡かのように粉々に破壊されていた。石造りの家の基礎やわずかな壁が残るばかりだ。この丘の上からだと、ヨトの街は中心から街の外側に向けて、吹き飛んでしまっているように見える。


「思った以上に盛大にやらかしてるな。この様子じゃ生きているものはいないかもしれない」


 トールの言葉に、ロキは息を飲んだ。隣にいたフェンの腕を掴みながら一歩後ずさる。


「トール……これは、あんたのご主人の落とし物のせいなのか?」


 ロキが問うと、トールは眼下の街から顔を上げた。


「怖がるなロキ。俺たちはおまえを傷つけることはしない」

「それは、俺たち以外は傷つけるってこと?」


 いや待て、トールは今「おまえたち」ではなく「おまえ」といわなかったか?

 そう思ったロキは、フェンの姿をその背に隠した。


「誤解するな。ヨト族は我が主人の邪魔をしたんだ。これは、その報復みたいなものだ。まあ、確かに少しやりすぎではあるが」

「少しなんてもんじゃないだろ! 街が吹き飛んでるんだぞ⁉︎ ヨトにはミッドガルドから連れてこられた人間の女の人だっていたはずだ!」


 ロキは声を荒げた。

 フェンが不安げにロキの腰に腕を回して抱きついている。足に力が入っていて、いざとなったら抱えて逃げようとしているかのようだった。


「あんたの主人って何者なんだよ。こんなことするなんて……」


 声を震わすロキを見下ろし、トールは少しの間何かを考えるように押し黙った。

 誠実で優しい印象だったはずの彼が、一気に穏やかに喋るだけの無感情な存在に思えてしまう。


「では、共に街に降りるか、ロキ。 その答えはあそこにある」


 そう言って、トールは街の中心部、おそらく彼の主人がをした場所を指差した。


「わかった。いく」

「ロキ……」


 背後でフェンが不安げに名前を呼んだ。

 ロキは宥めるように、腰に回ったフェンの腕を軽く叩いた。


「どのみちヴァルハラにいくにはトールについていくしかないんだ。トールやトールの主人が何者なのか、ちゃんと知っておいた方がいい」


 フェンへ向けた囁きはトールの耳にも届いたようだ。なにやら、ふむと頷くと、トールは穏やかな表情で口角を上げた。


「安心してくれ、本当におまえを傷つけたりはしないし、害のないものを無闇に襲ったりはしないから」


 つまり害があれば傷つけるのだ。そう思ったロキは、離れることのないようにぐっとフェンの手を握った。



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