第26話

 女の赤子が産まれにくくなった、そう言われ始めたのは、いつからだっただろうか。ロキの住んでいた村にも若い女は少なかった。


「普段からこの街はそういったことが盛んだが、今はこの町にヨトの巨人族が来てるからな、それでさらに若い女が集まってんのよ」


 その名を聞いて、ロキは肩を跳ね上げごくりと唾を飲みこんだ。男は酔っているせいか、そんなロキの様子には気がついていないようだ。


「よ、ヨトの巨人族が、なんでこの街に?」

「なんでも、嫁探しに来てるらしいって噂だ」

「嫁……?」


 オメガ探しではなくて? とロキは心の中で呟いた。


「おう、この町の娼館で遊びまくってるらしいが、その中で何人か気に入ったやつを外に連れて帰るつもりなんだと」

「外⁈ ミッドガルドの外か?」


 ロキが前のめりに言うと、男は「巨人族なんだから、そうに決まってんだろ」と唾を飛ばしながら笑った。


「まあ、ほら、巨人族ってのはガタイがいいだろ? だから奴らにとって人間はとびきり可愛いらしく見えるって話だ」

「うむ、なるほど」

「しかも、ヨトの財力は有名だ。ミッドガルドにもでっけぇ船で乗り込んで来るらしい。見初められれば一生遊んで暮らせるってんで、娼婦どころか街中の年頃の娘たちがこぞってその座を狙ってる」


 そういえば、街を歩いている途中で、宿屋か何かの前に娘たちが集まっていた。そこにヨトの巨人がいたということなのだろうか。


「やつらは相当お盛んらしいぜ。一人じゃ足りねぇって噂だ。巨人族には女がいねぇからな、なんなら岩でも孕ませちまうらしい」

「……まさか」


 思わず顔を引き攣らせながら、ロキは言った。

 ふと視界の隅に、ロキの皿にフォークを延ばすフェンの姿が見えたので、ロキはその手元をペチリと叩いて嗜める。フェンは眉を下げてしょんぼりと肩を落とした。


「まあ、それは冗談として。そんなわけで、今近隣の街からも巨人族目当てで娘たちが集まってんのよ」


 誰しも豊かな暮らしを求めて、ミッドガルドの外に出たいのだろうか。この街は一見裕福に見えたが、路地を入れば乞食や孤児がうずくまり、日が落ちればやつれた娼婦が必死に通りすがりの男の手を引く一面もロキは目にしていた。

 その時、また誰かが賑やかな店の扉を開いた。

 少々乱暴なその音のあとで、ドカドカと大きな足音が鳴る。


「噂をすれば、だな」


と男がロキの耳元で呟いた後、店内はしんと静まり返った。

 入ってきたのは三人の大柄な男だ。

 太っていると言うわけではない。まるで鎧のような筋肉を身に纏っているのだ。

 袖のない肩までの衣服がピタリと張り付き、強靭な胸板のラインが浮き彫りになっている。首に巻いた長いストールをマントの様に翻しながら、男たちは店内に入り込んできた。

 ヨトの巨人族だ。とロキはすぐにわかった。

 三人の中心にいる男は、燃えるように赤い髪をゆらめかせていた。

 昨夜、オーディンの遣いと交戦していたあの男に違いない。脇に控える黒髪の男たちも、その体格は赤髪の男と同程度で、おそらく三人ともヨトの巨人族なのだろう。

 店内は満席だ。

 しかし、赤髪の男がチラリとテーブル席を一瞥すると、そこに座っていた数名が逃げる様に席を立った。

 六人掛けのテーブルがまるまる一つ空けられて、巨人族たちは当然のようにどかりとそこに腰を下ろした。

 店員が慌ててテーブルを片付けると、「酒と肉を持って来い」と横柄な態度で赤髪の男が言った。

 しんと静まり返った店内で「は、はいっ……」と震える店員の声が響いた。


「見てるんじゃねぇっ‼︎」


 赤髪の男が、ピシャリと言うと、その場にいた全員が肩を跳ね上げ、みなゆっくりと視線を逸らし俯いた。

 しかしそれも一瞬のことで、店員が赤髪の男らの前に酒を出す頃には、店内はすっかり元の喧騒へと戻っていった。

 ロキは三人の巨人族から数席分離れた位置でその様子を伺っていた。

 相手はロキに気づいていない。

 鴉は「ヨトがオメガを奪いにきた」という趣旨のことを言っていたが、そもそもヨトの巨人族はオメガの顔や名前を知っているのだろうか。知らないからこそ、わざわざオーディンの遣いに一度迎えに行かせてから横取りをすると言う方法を取ったのではないだろうか。

 ロキは正面に向き直った。フェンがロキの皿の上のチキンをじっと見つめている。フェンの皿は既に骨しか残っていない。

 ロキは自分の皿と、フェンの皿を入れ替えた。


「フェン、これ食べていいから、少し良い子に待ってられるか?」


 そう言うと、フェンはフォークを握りしめながらウンウンと頷いた。

 いつのまにか隣の男は別の客との会話に夢中になっている。ロキはその手元に置かれている樽ジョッキを拝借し、するすると席の間を通り抜けた。

 俯きがちにヨトの巨人族たちに近寄ると、少し無理やり、隣のテーブル席に潜り込む。喧騒の中でも会話の聞こえる距離だ。

 ロキは巨人族たちからあまり顔が見えないように、酒を飲むふりで体を傾け、聞き耳を立てた。



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