第8話

 助けを求めるかのように、ロキは顔を上げて、横並びの村人たちに端から順に視線を向けた。皆目を逸らしていく。その仕草が、余計にロキを不安にさせた。


「そいつらと、行ってくれ」


 唯一、口を開いたのがタークだった。


「お前は、オメガでこの世で唯一神の器を創れる存在なんだと。だから、その人たちは主神オーディンのところに連れていくために、お前を迎えに来たんだ」


 タークの説明があっているのかと確認するようにロキが男たちの方を向くと、二人は左右対称に頷いた。そして、左側の男が不気味な唐突さでタークを振り返る。


「様、オーディン、様つけろ、ニンゲンはつけろ」


 びくりと震えながら、タークはこくこくと頷いた。


「オメガって、俺、両性具有だったってこと?」


 ロキは二人の男に問いかけた。

 オメガというのは神と交わり次代の神の器を創る存在とされている。その血や涙から創り出すなんて話もあるが、妊娠して産むという説もある。だから、オメガは良性具有。しかし、これもロキにとっては至極曖昧なおとぎ話だった。


「両性具有、違う、オメガはオメガ」


 と左側の男。


「俺にオーディンの子を産めってこと?」


 ロキは続けて尋ねた。

 神殿にはかつてオメガがいた。そしてそのオメガがヨルム、ヘル、フェンリルという神の器を創ったはずだ。

 しかし、先ほどこの男達はオーディンが器を投げ捨てたなどと言っていた。

 神殿はオメガと三人の器、全てを失ってしまった。だから、新しく器を作らせるために、オメガであるらしいロキを迎えに来たと言うことだろうか。


「そう、そう、なの。ロキ、器創って。ロキ、助けて、黄昏がくるんだって、はやくしなきゃ」

「オーディンは慈悲深いお方デス。悪いようには致しませんので、どうぞ我々に身を委ねてくだサイ」


 二人の男の言葉を、ロキは鼻で笑った。

 慈悲深い神が、ヘビだから、立てないから、狼だからと下界に器を投げ捨てるわけがないのだ。

 ロキはまた村人たちに顔を向けた。表情は曇っている。いくらロキが村のつまはじき者だったとは言え、笑顔で神のにえとなり、その身を差し出せと言うものは流石にいないようだ。

 しかし、ついさっきまでロキを金で売ろうとしていたタークがここまでおとなしいところを見ると、何か報酬をもらったか、脅されて、それが理由でロキをこの男らに引き渡そうとしているのだろう。

 ロキはほんの少しだけ考え巡らせ、二人の男に向き直った。


「わかった。荷物をまとめるから、待っててくれ」


 ロキがそういうと、二人の男はまたぎこちない仕草で頷いた。

 ロキは扉を閉めると早足で爺のところへ駆け寄り、ローブを着せて靴を履かせた。幸いなことに爺は嫌がらずに大人しくしていた。ロキ自身もローブ羽織って歩きやすい靴に履き替えた。

 その後はできるだけ足音を立てず(相変わらず床は軋むが)、裏手側にある窓を開ける。覗き込むとそちらに人の気配はない。

 窓前に足場を作ってから、ロキは窓の外に這い出した。そして手を伸ばし、爺を足場に上がらせるとどうにか抱き抱えて窓の外へと引っ張り出す。


「じいちゃん、鴉と狼だった」


 爺の手を握り、ロキは言った。

 人の姿をした二人の黒い男。

 しかし、ロキにはわかった。狼が大きな鴉を担ぎ、それを人の姿に見せていたのだ。だからあれは二人の男ではなく、二羽の鴉と二匹の狼だった。


 ーー鴉と狼には気をつけろ


 昔から口酸っぱく爺に言い聞かされてきたロキにとって、鴉と狼はわざわいの象徴だ。

 黙ってついていけば、きっとろくなことにならない。ロキが信じているのは、自分と爺だけだ。

 こんなクソみたいな村人のために、犠牲になってやるものか。ロキは内心でそう毒づいた。


「とりあえず隣村まで行って、明るくなったらもっと離れた街に行って、そのあとでどうするか考えよう」


 ロキは自分を落ち着かせるようにそう言った。

 三層に分かれる世界を貫く大樹『ユグドラシル』は、世界のどの場所からでもその姿を見ることができる。

 本当に幼い頃の微かな記憶。小屋に幼いロキを一人で置いていくわけにいかなかった爺は、その頃だけはロキを連れて隣の村まで出ることがあった。

 微かな記憶だが、そこには鮮明に視界の先に聳え立つユグドラシルの果てしなく太い幹が見えていた。

 つまり、ユグドラシルに向かって進めば隣の村に辿り着ける。

 ひとまず早くここから離れて林に身を隠そうと、ロキが振り返った時だった。


「じ、じゅんび、でぇぇぇきた? ロキ」

「あちらに馬車を用意していマス」


 二人の男(に見えるもの)たちが、すぐ後ろに立っていたのだ。ロキは声も出せないままぐっと息を呑んで、無意識に爺を背中に隠した。


「あ、あぁ……えっと、出発前に、じいちゃんトイレに連れて行きたいんだけど」


 ロキが言うと、二人の男は左右対称の仕草でロキの背中を覗き込んだ。そのあと顔を見合わせ、何やら耳打ちし合っている。


「ロキ、だけ」

「お連れできるのは、ロキだけです」


 ロキは爺を振り返った。その瞳は虚ろだ。


「わかった。でも、一人にしておけない。向こうの街に頼れる人がいるんだ。そこまでじいちゃんを一緒に乗せていくことはできないかな?」


 「頼れる人」はその場しのぎの口から出まかせだ。馬車とやらに乗ってから、どうにか道中逃げ出せばいい。

 しかし、また二人の男は顔を見合わせた。

 そして今度は何も答えず、右側の男が徐に歪な腕を伸ばしてロキの肩を掴んできた。


「な、ちょ、ちょっと!」


 痛むほどに強く掴まれ、強引に引っ張られたロキは、抵抗して身を引いた。なかなか振り解けずにいると、左側の男も腕を伸ばす。

 そして、その時だった。

 背中から突然爺が飛び出して、右側の男に飛びついたのだ。

 あんなにヨタヨタ歩いていたのにどこにそんな力が?とロキは驚き目を丸くする。

 不気味なことに、右側の男も左側の男も終始表情を変えないままだ。

 爺が男の頭を掴み、強く引っ張った。すると葡萄の実でももぐかのように、男の頭がぼろりと取れた。


「あ、落ちた」


 間抜けな声で呟いたのはロキだった。

 次の瞬間、落ちた頭からバサバサと翼が広がり、大きな鴉がアーアーと耳障りな鳴き声を上げた。

 鴉はジタバタと地面を転がった後、思い出したかのように飛び上がった。

 目の前を黒々とした鴉の体に覆われて、ロキは声を上げる間もなく、視界と共に意識までもが暗転した。






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