第45話

「んー…既読マークもつかない…」


「え、なぁに?龍詠さん?忙しいんじゃないの?」


「ううん、違う。村主さん」


スマホのアプリ画面を難しい顔で見つめる真緒の隣に、椅子のまま移動してきた伊夜がひょいと画面をのぞき込んでくる。


村主と別れてから半日経ったけれど、彼女から何の音沙汰もないままだ。


「え、村主さんとID交換したの?消極的な真緒が?すごいじゃない!」


やっぱりこれまでの西園寺真緒ってそうだったよな、とちょっとげんなりする。


他人とは弾かれること前提で付き合って来た。


期待しなければ傷つくこともないからだ。


「違う違う。お昼に出勤した時、廊下で会って、具合悪そうだったから仮眠室まで送ったのよ。ほら、特殊薬物対策室エスクードって女子一人だから、困ったことあったらメッセージしてねって無理やりID交換を」


「そんなお節介まで焼けるように…」


「だって同僚が男の人ばっかりだと、汗かいたときの着替えと言い辛いだろうと思って…でも、この通りなのよねー…疲れて眠ってるだけならいいんだけど…」


「高熱で動けない、とか困るよね…」


「どうしよ……セキュリティーに相談してマスターキー借りてもいいかな?一緒に行ってくれる?」


「もちろん!すぐに行こう」


フットワークの軽い同僚兼親友は本当に助かる。


辰馬に事情を話すと、マスターキーの貸与申請を買って出てくれた。


ありがたい上司の対応に感謝しつつ、伊夜と連れ立って手に入れたマスターキーを手に仮眠室へ向かう。


眠っていることも考慮して、数回ノックをした後で声掛けもしたが、やっぱり返事が来ない。


「村主さーん、開けますねー?」


呼びかけながらマスターキーをかざしてドアを開けると。


「…あれ…?」


仮眠室はもぬけの殻状態だった。


二人して顔を見合わせる。


「元気になって戻った…とか?」


「あの様子じゃそんなすぐ回復しそうにないけど…あ、待って!伊夜、おかしい…くつが…」


中に入ると、寝具が整えられていないベッドの下に、彼女の履いていたパンプスが転がっていた。


「元気になって靴忘れるなんて絶対あり得ない」


「誰かが来て裸足でドアを開けて……?」


最悪のパターンが頭をよぎって、真緒は思わず口を押えた。


村主は、デルタワクチンを摂取したオメガだ。


何かの事情で発情ヒートが始まったのだとしたら。


「辰馬さんに報告して、都築さんの連絡先聞いてくる!」


同じ結論に至ったのだろう、伊夜が慌てて仮眠室を飛び出していく。


「私、セキュリティールーム行って、監視カメラの映像確かめる!誰が部屋に来たのか調べないと!」


具合の悪い彼女を同僚が病院へ連れて行ったのならいいが、この様子だとそうではない可能性のほうが高い。


都築は現場だと言っていた。


唐田はどこにいるのだろう。


様々な疑問を抱えながら必死にセキュリティールームまで走る。


運動なんてほとんどしていないので、あっという間に息が上がったけれど足を止めるつもりはなかった。


飛び込んできた真緒の事情を聞いて、警備員がすぐに監視カメラの映像を調べてくれた。


該当データを探す警備員の後ろでハラハラしていると、顔色を変えた辰馬と伊夜がそろって息を切らしながらセキュリティールームに駆け込んでくる。


「都築さんに連絡してるんだけど、電話が繋がらないんだよ」


「さっきここに来る前に特殊薬物対策室エスクードの詰め所ものぞいたけど誰もいないの」


「無人になることはあり得ないはずなんだがなぁ…」


難しい顔で首をひねる辰馬に、真緒と伊夜が不安顔で続く。


と、パソコンを操作していた警備員が該当フォルダを見つけて声を上げた。


「あ、ありましたよ!これですね、5階の南エリアの仮眠個室前廊下…」


「ありがとうございますっ!」


三人が警備員を押しのける勢いで画面をのぞき込む。


と、すぐに廊下の向こうから一人の男が歩いてきた。


「あっ唐田さんだ!」


「真緒の言ったとおり、様子を見に来たのかなぁ…」


「え、ちょっと待って!見て…腕…」


「刺青…!?」


ワイシャツの袖を捲っていた彼の腕には、遠目にもわかるほどびっしりと刺青が入っている。


「これがあるから上着脱がなかったんだ…」


「これはもう、確実に黒だね」


三人が見つめる画面の中で、唐田が仮眠室のドアをノックしている。


しばらくすると、内側からドアが開いた。


と、次の瞬間。


唐田が村主の体を俵のように肩に担いで歩き出した。


明らかに病人を運ぶ動きではない。


「警察!警察に連絡!」


泡を食ったように辰馬が叫ぶ。


「り、りょ、了解です!ひゃ、110番…っ」


異常事態に大わらわで固定電話の受話器を取り上げる警備員に、我に返った辰馬が待ったをかけた。


「い、いや、それより捜査本部だ!誰か残ってるだろう!行ってくるよ!」


「お願いします!二人の入退出のデータは!?」


養成機関アカデミーの出入りは、すべて電子ロックの入館証で管理されており、ログを見れば、何時に入室して何時に退出したのかがわかるのだ。


「二人に貸し出したテンポラリーの番号調べないと…申請書のデータってどこですか!?」


もしも発情ヒートした村主が攫われたのならば、いま捜査中のオメガ失踪拉致事件と関係している可能性がかなり高い。


再び警備員がパソコンを操作し始めたところで、巡回中だった警備員がセキュリティールームに飛び込んできた。


「た、大変です!倉庫裏の非常口の鍵が壊されてます!」


倉庫裏の非常口は、駐車場に続いている。


彼らは電子ロックを解除することなく外に出たということだ。


最悪の事態がとうとう起こってしまった。


「二人の足取り…探さなきゃ…」


「その前に都築さんに連絡して、龍詠さんにも…」


押し寄せてきた事態に、頭が回らない。


落ち着け、落ち着け、と言い聞かせる真緒の耳に、固定電話の着信音が聞こえてきた。


「はい、セキュリティールームで…え、あ、特殊薬物対策室エスクードの都築さんですか!?」


警備員の言葉に、伊夜が彼の手元から受話器をひったくる。


真緒は伊夜の真横に張り付いて、必死に彼女の横顔を見つめた。


「もしもし!?倉橋ですっ!大変です、唐田さんが村主さんを連れ去りました!………え、それって…どういう……はい…はい……分かりました…はい…お待ちしてます…はい…失礼します」


だんだん小さくなっていく伊夜の声に、不安が見る間に膨れ上がっていく。


受話器を置いた伊夜が、ふらふらとこちらを見つめてきた。


「唐田さん……偽物だったんだって……本物は事故で昏睡状態なんだって…」


「え…なにそれ…じゃあ…あの人って…誰なの…?」


「わかんない…唐田さんのアパート調べたら、事件現場にあったものと同じ呪符が貼ってあったって…」


これで確実に村主は失踪拉致事件の被害者になることが確定した。

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