Milk Tea ~あなたが教えてくれたこと~
ナナシの新人
第1話 木漏れ日の出会い
人間関係は、思いがけないことで一瞬で壊れてしまうことがある。
さっきまで一緒に笑い合っていたのに、次の瞬間言葉はおろか顔を合わすこともなくなってしまう。
何気なく口にした言葉、ボタンの掛け違いで起こる誤解、投げつけられる悪意――。
特に十代の多感な時期は周囲からすればたいしたことのないほんの些細なことで、目に映る世界が大きく変わってしまう。
反対にどんなに苦しくても、辛くても。
新しい出会いが。たったひと言の言葉で目に映る灰色だった世界が鮮やかに色づくことを、あなたが教えてくれた。
だから、私は後悔しない。
あなたと過ごした、かけがえのない日々を――。
* * *
スマホの目覚ましよりも早く目が覚めた朝。
ベッドで横になったまま、閉じたカーテンの隙間から差し込む朝日が照らす先をぼんやりと見詰める。やがて、設定時間通り鳴り出したアラームを止めて、憂鬱で重い体を起こし、ベッドを降りて、洗面所で顔を洗って一度部屋へ戻る。ハンガーに掛かった灰色基調のチェック柄のスカート、えんじ色のブレザーの制服に着替えてからリビングに入ると、トーストの芳ばしい匂いがした。
「おはよう、
気づいた母が、私の名を呼ぶ。私は「おはよう」と、挨拶を返してテーブルにつく。
「午後から雨予報だから傘忘れないようになさいね」
「はーい」
キッチンに立つ母といつもと変わらない朝の日常会話を交わして。誰々が結婚した、浮気をした、テレビから流れる芸能ニュースを聞き流しながら、イチゴジャムを少し厚めに塗ったトーストと目玉焼き、生野菜サラダの朝食を食べる。食後自室へ戻って、姿見の前でもう一度身だしなみを整えてから充電が終わったスマホをスカートのポケットに入れ、折り畳み傘を入れたスクールバッグを肩に担ぎ。靴を履いて、玄関のドアを開ける。
「いってきます」
「気をつけて。いってらっしゃい」
まだ少し肌寒さを感じる、春から夏へと移り変わる空気。雲ひとつないどこまでも続く青空に、これから本当に雨が降るのか疑いそうになった。
目を閉じて、ひとつ深呼吸。
「――大丈夫。いつも通り⋯⋯」
自分に言い聞かせて、玄関前で止まっていた歩みを動かす。
徒歩で10分歩いた先にある、いつも利用者で混雑している最寄り駅はいつも以上に混雑していた。人混みの中を改札へ向かう。拡声器を持った駅員が、電車の遅延を知らせるアナウンスをしていた。運行再開は早くて40分後。ひとまず。遅延証明書を受け取って、足止めを食った利用客で溢れる改札を離れた。
「はい、はい。電車が止まっていまして――」
「マジかー、カラオケでも行くか」
「金ねーよ」
連絡を取る人、持て余した時間をどうするか話す同い年くらいの学生。いろいろな人たちが居る中、一度自宅へ帰るには中途半端な時間を自分はどうしようと考えていると、同じ制服を着た同級生の女生徒二人の会話が聞こえた。
「どうしよっか?」
「うーん⋯⋯あ、そういえば今日、ストバの新作出る日じゃなかった?」
「あ、ホントだ! 行こー」
駅構内のカフェへ向かった同じ制服の女生徒たちとは真逆へ歩き出す。別にどこか向かうあてがあるわけじゃなかった。ただ反射的に彼女たちの視界に入ることを避けてしまった。
こうなってしまったのは、二年に進級してひと月が経とうとしたゴールデンウィーク直前のこと。一年の頃同じクラスで比較的よく話しかけられた男子から「なあ、オレたちさ。付き合わねぇ?」と言われたのがきっかけ。
その男子には既に付き合っている同級生の女子が居ることを知っていたこと、普段の軽いノリと言動から恋愛の対象として見ていなかったし、友達とも呼べる間柄でもなかった。
だから当然、答えはNO。はっきり断った。
そして、休み明けの登校日――教室から、私の居場所はなくなっていた。
「彼女が居るのを知っていて奪い取ろうとした」
そんな根も葉もない噂が悪意を持って流されていた。
どれだけ強く誤解だと訴えても信じて貰えない。その男子と付き合っている、同じクラスでリーダー格の女生徒の感情に訴える言葉を、クラスの女子たちは支持した。
私にはもう、どうすることも出来なかった⋯⋯。
駅前の通りを、北へ10分ほど歩き。春になると、川の両側の土手数百メートルに渡って一定の間隔で植えられてた桜並木の桃色の花びらが川一面を染める美しい景色を臨める、朱色の欄干の橋を渡った先に、今も時々利用している馴染み深い市営の図書館が見えた。
電車の運行再開予定時刻まであと30分ほどある。図書館はまだ開館していないため、両側一車線の車道を挟んだ向かいの公園に入った。公園は大きいというわけではないけれど、それでも駅前のメイン通りに比べて自然を感じられる遊歩道を、ゆっくり歩いて回る。
つがいの鴨や鯉が優雅に泳ぐ池のほとり、涼しげに揺れるしだれ柳の木の下に二つ設置されたベンチのひとつに、人の影があった。
「あっ⋯⋯」
思わず声が出てしまった。
柔らかな朝日の木漏れ日が差すベンチに座って本を読んでいるその人は、清潔感のある白い寝間着の上にやや青みかかった白いカーディガンをはおり。背中にかかるくらいの後ろ髪、二つに分けた両の前髪の左側を耳の上でヘアピンで留めている。
前を通って、空いているもう一つのベンチに腰を下ろしても、その人は手元の本に目を落としたまま特に気にする素振りを見せず、私のことはまるで気に留めなかった。
聞こえるのは一定の間隔で本のページをめくる音と、風に吹かれて揺れる木々のざわめき。新緑の若葉を揺らす爽やかな初夏の風に乗って、隣に置かれた紙コップに注がれたミルクティーのほのかに甘い香りに混ざって、微かに消毒のニオイがした。
ただ、そんなのは些細なことで――。
淑やかな仕草、綺麗という形容詞がピッタリ合う、どこか儚げに想えた横顔の中に、単純な言葉では表せない不思議な感覚を覚えて⋯⋯それが気になって、仕方なかった。
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