ignis
東雲夕凪
第1話 深紅の君
額が裂けて流れ出る血はとても暖かく、そして私の体温を奪ってゆく。
「寒い...なのに暖かい」
矛盾している現象に混乱しつつも目の前の白衣の男(医師)は無表情で縫っている。
「先生、保護者の方はあと数分でお見えになります」
「そうですか。では私は学校に戻りますので」
「引き継がなくてよろしいのですか?」
看護師が担任に聞いていると担任はため息をつく。
「品浜、自分で言えるよな。俺、仕事山積みなんだ。帰っていい?」
目が死んでいる。濁りきった魚のような瞳に私が反射している。
「はい。大丈夫です」
「あなた!少しは優しくすることはできないの?」
看護師に怒られるも担任は避けるようにして治療室を後にする。
その様子に医師は反応することは無かった。
「はい。終わったよ 洗顔とかお風呂は今日は我慢してね」
軽く会釈して待合室へと行こうとすると医師はぼやくように言った。
「みんな自分のことで精一杯なんだ。それもすべては、人間を大切にしない"上"のやつらのせいなのさ。君だってそのうち嫌でもわかるよ」
頭をかいて机の電算機へと体を向ける。私は特にいうことは無く看護師に連れられてゆく。
「保護者の方... 親戚の方かしらね。
少し年上に見える看護師さんはそういって次の患者を呼びに行く。
忙しそうにしているのに、いつだって優しい彼ら・彼女らには不思議がたくさんだった。つらいのに、苦しいのに他人に寄り添えるその行動が自分には無い物で純粋にすごいと。
―凪ちゃん!大丈夫?
「おばさん...すみません。ご迷惑をおかけして」
私の保護者として現れたこの女性は、母が働く実験施設で母の部下である紫桜凛である。私より1つ年上の唯という娘がいる。
母たちが、この都市の外で暮らしていて都市内部で私が一人でいるので代理の保護者になっているのだ。
ーいいのよ。高校生が気にするようなことではないの。
受付へおばさんと共に行くと、事情の説明と治療方針そして治療費を精算機で支払うようにと言われていた。
会計をすますために窓口に向かったおばさんの後ろ姿を見ながら壁に寄りかかっていると、同い年くらいの少女がストレッチャーで搬送されている光景を目の当たりにする。血だらけで助かりそうだとは思えないほどの惨状に、近くにいた患者や看護士たちは皆黙り込んでいた。だが、これは実験施設が多く人体実験も頻繁に行われるこの都市では日常であった。
*
ー大事にならなくてよかったわ。顔に傷ついたことは許せないけれどね 誰かしら?やったやつは...
帰りの車内でおばさんはそういっていた。
「母は...なんか、言っていましたか?」
仕事をしていたはずなので、恐る恐る聞いてみるとおばさんは気まずそうに口をつぐんでいた。聞いてはいけなかったらしい。
「この辺で大丈夫です。スーパーに寄りたいので」
車を降りると、おばさんはニコニコしていた表情が一瞬で真顔になってそのまま走り去っていた。何を考えているのかわからないまでも、面倒ごとを押し付けられたことに対してそれなりに怒っているのは 私でもわかることだった。
わずかにふらつきがあるものの私は、スーパーを通り過ぎて家へと向かった。
***
1999年。
私が生まれた年に出来上がったこの都市は、冷戦下における連合国と同盟国とのにらみ合いの中での軍事産業の発展に伴って政府によって作られた秘密都市だ。名前は無く、荷物や郵便物はすべて隣の夕凪市の私書箱や拡張された郵便用の架空の住所を用いていた。表向きは夕凪市だが実際には全くの別で、政府直下の都市だった。
都市内では主に放射能汚染された場所でも影響を受けない薬剤や体質にする実験と電脳媒体生物と呼ばれる電子生命体を体内に取り込んでも電脳症(ネットワーク上と人体の脳が強制的にオンラインにされ、システム上の電脳媒体生物に情報搾取されてAI用の教育データにされること)にならないようにするための研究が行われている。
多くの犠牲や事故・暴走事件そして汚職と多くの黒い部分の副産物としてこの都市は潤っていた。他の都市では物価高騰や多くの社会問題に悩んでいる中で、この都市ではそれなりに充実していた。
「誠司!杏子!車に乗りなさい そろそろ出るわよ」
私には兄と妹がいる。大学生の兄は今年度卒業予定の4年生、妹は都市外の高校に合格した中学3年生。そして私は高校2年生。
妹の冬休みを利用して私を残し、父と母 そして兄と妹は閉鎖都市の外に買った一軒家へと引っ越しをする。父や母と共に閉鎖都市に通うことだってできるのに二人は提案することなく、私を置いていく事をむしろ喜んでいた。
「なにかあれば、私の部下で紫桜というのがいるから尋ねるのよ」
高校生でありながらも私は捨てられたのかと思うほどに苦い感情でいた。
だが、同時にそうなっても仕方がないかとあきらめてもいた。
学校で使うもの以外に私の私物は意外と無いらしく、学校用と自分用の電算機が各1台とちょっとした小物。そしてハムスターのぬいぐるみが一つだけぽつんと部屋に置かれていた以外は何もない。
広い一室に私は茫然としていた。
人がいないだけでこんなにも広く感じるのかと思っていると、不安や孤独といったものが波になって押し寄せていたのを覚えている。
「いいなぁ一人暮らしだぜ」
「いいんじゃない。私たちといるよりも惨めにならないんだから」
両親が吹き込んだ何かを信じ込む二人に私は何も言わずにいた。別にどうなったっていいとあきらめていたのかもしれない。
***
「凪咲さん いじめられたんでしょ?なぜ、やり返さないの?」
K.O.を食らっている時点でどうすればやり返せるのかと思いながらもうつむいてやり過ごそうとしていると養護教諭はイラついた様子で続ける。
「いいわね。あなたをいじめたという2人は不問とすることが職員会議できまりました。あなたがどう思おうと、昨日のことはただの不注意による事故です」
彼女なりのやさしさで言ったのか、それとも余計なことをするなということなのかはわからないが、私は静かにうなずいた。
職員室を後にする私に、扉越しの教師たちは問題児の扱いには困ったものだと盛り上がっていた。だが、私はそんな事はどうでも良くて血が上って滲み出したガーゼを変えることしか考えていなかった。
結局のところ、私は自分のことにすら興味があまりないのだろうか。
鏡で見た自分の表情は凍てついた死体のようで、悲しさがあふれている。
「なんで泣きそうなの?悲しいことでもあったの?」
そういうのは自分で、言っている相手は鏡越しの自分だった。
そして、それを邪魔するのは見えない自分だった。
「考えるだけ無駄だって。どうせ、人間は生まれた段階で死ぬために生きているんだから」
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