第4話 ジルベール様の別荘

それからジルベール様にいろんなことを聞かれた。

どうしてあそこにいたのかという事情などは聞かれず、

腕はあがるかとか、目はいつも通り見えるのか、とか。

そういう身体に異常がないかどうかの確認のようだった。


「身体が小さくなったことと、

 猫耳と尻尾があること以外は変わりないようだな」


「多分、そうだと思います」


こんな風に検査されるというか、医師にかかったこともないから、

変っていないとは断言できない。

だけど、不調があるとかはなさそう。


「記憶や知識に欠如があるかどうかはすぐにはわからないか。

 何かあればすぐに言え」


「わかりました」


一通り、やらなければいけないことは終わったのだろう。

マリーナさんが夕食を運んできてくれた。


伯爵家で出されていたものよりもずっと豪華……。

一応は食事マナーは習わされていたけれど、

実際に正式な晩餐に出たことはない。


もし、万が一何かあって食事会に出ることがあった時に、

私がマナーを知らなければ伯爵家が虐待していたと思われかねない。

だから、礼儀作法の教師はしっかりつけられていた。

家庭教師は読み書きを覚えたら来なくなってしまったけれど。


と、気負っていたけれど、私の手ではナイフもフォークもうまく持てなかった。

スプーンを持ってスープを飲もうとしたけれど、直前でこぼしてしまう。


どうしようと困っていたら、ジルベール様のひざの上に座らされる。


「え?」


「一人では食べられないのだろう」


「うぅ……すみません」


「謝らなくていい、最初に気がつくべきだった」


ジルベール様の口調は感情がわかりにくいけれど、

たまに口元や目が少しだけ笑う。


「嫌いなものはないのか」


「特にはないです」


「猫が食べられない物でも平気なのか」


「あぁ、そういう検査でした?」


「そういうわけではないが、

 猫に与えてはいけない食べ物も含まれているなと」


なるほど。食事を見て気がついたのかな。

食べさせられていることが恥ずかしくて、そんなこと気にしていなかった。


「今のところ何も起きていません。

 あとで何かあるかもしれませんが」


「わかった。何かあればすぐに言うように」


「はい」


今は平気かもしれないけれど、絶対に大丈夫だとは言えない。

だって、どうして猫耳と尻尾があるのかわからないし……。


とりあえず食事も終え、食後のお茶も美味しかった。

マリーナさんが淹れてくれたけれど、他の侍女はいないのかな。

もしかして、私のことを見られるとまずいと思ってる?


「この別荘に使用人はどのくらいいるのですか?」


「ここには五人だ」


「は?」


こんな広い別荘に、使用人が五人だけ?

嘘でしょうと思っていたら、マリーナさんが困った顔でうなずく。


「シャル様、本当ですよ。

 私と料理人、御者、護衛の二人だけです」


「あの、助手さんは?」


「帰らせました。彼の家の別荘も近くにありますので」


「……そうなんですね」


黒を嫌っていた助手さん。エクトル様って言ったかな。

あの人、本当に辞めさせられちゃったんだ。


ジルベール様はそれには眉一つ動かさず、マリーナさんに指示を出す。


「マリーナ、明日の昼前にはここを出て王都に戻る。

 準備をするように伝えておけ」


「わかりました」


「え?王都に戻るんですか?」


私はどうしたらいいのかと思って慌てたら、

ジルベール様は不思議そうな顔をする。


「まだここに居たかったのか?」


「いえ、私はどうしたらいいのかと……」


「お前のために王都に戻るんだが」


「え?」


「ここではこれ以上の検査はできないし、

 調べることもできない。

 王都に戻って、魔術院に連れていく予定だ」


「そう、なんですね。

 でも、避暑で来ていたのに、いいのですか?」


せっかく避暑のためにここに来たのに戻っていいのかな。

これからもっと暑くなるのに。


「ここには用事があってきたんだが、もう終わった。

 だから気にするな」

 

「ありがとうございます」


もう用は終わったとはいえ、明日帰る予定ではなかったはず。

予定通りだったら、マリーナさんに指示を出す必要はない。

お礼を言ったら、ジルベール様の目が少し笑った気がした。


夜になって、マリーナさんが夜着と下着を持ってきてくれた。


「急いで作りましたので、

 シンプルなものになってしまいましたが」


「え?マリーナさんが作ってくれたのですか?」


「ええ。仕立て屋を呼ぶ時間もありませんでしたし、

 この辺に衣料品店もありませんから」


「ありがとうございます!」


「いいえ」


渡された夜着と下着はたしかにシンプルなものだったけれど、

布地がいいもので着心地はとてもよかった。

ジルベール様のシャツを羽織るだけなのはやはり心もとなかったので、

着替えたら安心して眠くなる。


あれ、でも私どこで眠るんだろう。


「用意できたか。よし、寝るぞ」


「え」


また横抱きにされるように抱えられ、寝室に連れていかれる。

その先には大きなベッド……まさか。


「ジルベール様?」


「一緒に寝るに決まってるだろう」


「決まって??」


「お前のその状態、いつまで保つかわからん。

 小さくなるか、猫に戻るか、他の状態になるのか」


「えっ」


他の状態って、これ以上ひどいことになるかもしれない?


「さっき解呪してみてわかったが、

 いくつかの魔術式が混ざっている気がした。

 いきなり魔力暴走されたらかなわない。

 何があっても対処できる俺のそばに置いておくしかないだろう」


「……そんなぁ」


言われたら仕方ないことだとは理解できるけど、

ジルベール様と一緒に寝る!?

ほとんど人と関わったこともないのに、突然男の人と一緒に寝るなんて無理!

そう思ったけれど、逃げることもできない。


ジルベール様の腕はまだ私の身体に巻き付いたまま。

……もしかして、逃げないように抱きかかえられている?


「……言いたいことはわかるが、あきらめろ。

 隣の部屋にいたら、急に消えてしまっても助けられない」


その声が私を心配してくれているのだとわかって、

身体の力を抜いた。

ジルベール様が悪い人じゃないのはわかってる。


もうこうなったらあきらめて眠るしかない。


「わかりました。おやすみなさい……」


「ん。おやすみ」


パチンと明かりが消えて部屋が暗くなる。

ベッドに入ってもジルベール様は私を抱きかかえたまま離してくれない。

もう抵抗するような体力も残っていなくて、

目を閉じたら吸い込まれるように眠りに落ちた。




黒い大きな何かに追われ、走って逃げていた。

何度も転んで、這うようにして逃げる。

後ろを振り向くたびに、黒いものは大きくなっていく。

あぁ、もう逃げられない。


「シャル」


黒い大きな何かから無数の腕が伸びてくる。

怖い……あれに捕まりたくない。


「シャル!……シャル!起きろ!」


必死に呼びかけられ、ようやく夢を見ていたのだと気づく。

薄暗い中、私をのぞきこむジルベール様が見える。


「大丈夫だ、身体に変化はない。

 ……襲われたショックか。悪夢でも見たのだろう」


「……ジルベール様」


「安心しろ。何があっても助ける」


「……はい」


「よし、わかったなら、また眠れ」


「はい」


さっきより、身体が近い位置で抱きしめられている。

まるで甘えていいと言われているような気がする。

すぐ近くにジルベール様の胸がある。


頬はふれていないけれど、すぐそこに。


私の背中を支えてくれているジルベール様の手がとても温かい。

その温度を感じていたら、いつの間にか寝てしまっていた。


次に目を覚ました時には、もう明るくなっていた。





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