第25話 我が家へ
雛は父、雄二と共に無事、家へと辿り着いた。
久しぶりの親子の時間は、なんだか気恥ずかしくもありとても幸せな時間だった。
最初はたどたどしかった二人も、すぐに昔の空気を取り戻していた。
久しぶりの我が家を前に、雛の胸は
ゆっくりと門の中へ足を踏み入れると、我が家へ帰ってきたんだと実感した。
安心感から自然と笑みがこぼれる。
「おかえり、雛」
雄二が雛に告げる。
雛は予想していなかったその言葉に、驚いて振り返った。
そこには、優しい笑顔で雛を見つめる雄二の姿があった。
喧嘩別れして、勝手に出て行ったことを怒っているんだとばかり思っていた。
それなのに、こんな勝手な娘を笑って許してくれるの?
「父さん……」
雛の目から涙が次々とこぼれ落ちていく。
雄二は両手を広げ、最上級の笑顔で娘を歓迎する。
「父さん!」
雛は雄二の胸に飛び込んだ。
「ごめん、ごめんなさい。私……」
嗚咽を漏らしながら泣く雛の涙が、雄二の胸を濡らしていった。
「いいんだ……おまえが無事、帰ってきてくれただけで」
雄二が雛を優しく抱きしめる。
二人は離れていた時間を埋めるように、きつく抱き合った。
雛は男装を解き、女性物の着物に袖を通す。
たった数ヶ月男装をしていただけなのに、女性の姿に違和感を感じてしまう。
雛は鏡に映る自分の姿を見て、可笑しくて笑ってしまった。
でも、こっちが本当の私なんだ。
自室を出た雛は、雄二の待つ居間へと向かう。
久しぶりの我が家を噛みしめながらゆっくりと歩いていく。
見慣れた風景と懐かしい匂い。
廊下を歩きながら、雛は深呼吸する。
部屋の前で立ち止まり、雛は気持ちを入れ替えるように目を瞑り開いた。
そして、ゆっくりと
雛の姿を見た雄二が、一瞬驚いたような表情を浮かべる。
しかし、すぐに嬉しそうに目を細めた。
「雛……似合っているよ」
少し緊張していた雛は、父の笑顔に表情が
二人は向い合って座ると、お互いの顔を見ながらゆっくりと話し始めた。
家を飛び出してからのことを、雛は思い出を語るように話した。
どこか懐かしく、優しい。そして儚く、苦しい物語。
雄二はただ黙って雛の言うことを聞いていた。
「そうか……いろいろ大変だったな。
しかし、色々な人たちと出会い、様々なことを乗り越えてきた雛は、きっと昔の雛より成長していると思う。そんな自分を誇りに思いなさい」
「はい」
慈しむような瞳を向ける雄二に対し、雛は深く頷いた。
「それに……おまえの気持ちはよくわかった。
昔から雛の想いは知っているつもりだったけれど、私が想像している以上の想いを雛は胸に秘めていたんだと、今回改めて思い知らされたよ。
すまなかった、父さんが悪かった。
女だからって、おまえの気持ちを封じ込めるようなことばかりして。
変わらなきゃいけないのは、父さんの方だった」
雄二は雛に頭を下げる。
そして、胸元にしまってあった写真を取り出し、愛おしそうにそれを眺める。
それは母の写真だった。
「おまえは、母さんに似ているよ。
自分の考えをしっかり持ち、それに向かって突き進んでいく。
母さんも頑固でなぁ、一度言い出したら私の言うことなんて聞いてくれなかった。
……おまえは母さんにそっくりだよ」
雄二が雛を愛おしそうに見つめる。
雛は嬉しそうに微笑んだが、すぐにその笑顔は消えていき、目を伏せた。
その様子を雄二は訝しげに見つめる。
「でも、私……今迷ってる」
「何に?」
「私がしていることは正しいのか。
私、新和隊に入ってから、たくさんの人の命を奪った。
それはこの国のため、人々のためなんだって、そのときは割り切ってた。
でも……ふと苦しくなるの」
雛は
そんな雛を、雄二は真剣な表情で見つめていた。
「そうだな……。何が正しいかは誰にもわからない。正しさは人の数だけ存在している。
大勢の人間がそれを正しいと言えば、正しいと定義されるだろう。しかし、雛はそれを望んでいるわけではないんだろう?
……自分の心に従え、そうすれば道を間違うことはない。
おまえはどうしたい? 国のため人々のために何をする? それは人を殺めることでしか成し得ないことなのか?
人を殺めるのが嫌なら考えるんだ。自分の心に聞いてみなさい。
おまえの答えはそこにしかない」
雛はその日、眠れなかった。
雄二の言葉が頭から離れない。
雛は目をきつく閉じ、暗闇に溶け込もうと努力した。
しかしその努力も虚しく、気づけば辺りはすっかり明るくなってしまった。
結局、雛は
とりあえず、雛は朝食を取り身支度を整える。
天気は快晴。青い空に、太陽の光が眩しく照らしている。
雛の心の中とは大違いだ。
雛は雄二から言われたことを
自分の心に従う……私はどうしたい……。
「雛ー!」
門から出てしばらく歩くと、遠くから雛を呼ぶ声がする。
考え事をしていた雛の足がピタリと止まった。
この声は……。
「雛! おかえりー!」
後ろから思いっきり抱きつかれた雛は、前のめりになった。
この感じ……。
雛はゆっくりと振り返る。
「若菜……」
そこには、満面の笑みで雛のことを見つめる親友の若菜の姿があった。
わずかな間離れていただけなのに、すごく懐かしく感じる。
雛の心がほんのりと温まったような気がした。
若菜が今度は正面から雛をきつく抱きしめてくる。
「心配してたんだからね! 勝手に居なくなるんだもん。
雛のお父さんに聞いたら、雛が勝手に危ないことしてるかもって聞いて。
もう気が気じゃなくてっ」
若菜が涙ぐむと、雛は若菜の頭をよしよしと撫でる。
「心配かけてごめん……ありがとね」
若菜の気持ちに、雛の凝り固まった心が少し
彼女の表情から、本当に心配してくれていたことが伝わってくる。
いつも気にかけ、心配してくれる存在が、こんなに嬉しいなんて。
雛はいつになく親友の存在の有難さを実感していた。
二人は激しい
その溺愛振りに、通りすがる者たちが驚いた表情で二人を眺めていく。が、そんな視線も二人には関係なかった。
しばらく雛を
「ねえ、あの人、さっきからこっちをチラチラ見てるんだけど、知り合い?」
若菜が指差す方へ視線を送ると、そこには見覚えのある人物がいた。
「な、なんで……?」
神威だ。
壁にもたれかかりながら、こちらをじっと見つめている。
横を通り過ぎる娘たちがチラチラと神威を横目で見ていく。
その反応は致し方ない。だって彼はそこら辺にいる男性たちとは違い、美男といわれるに相応しい容姿をしているから。
好奇の目など気にも留めず、神威の目は雛に真っ直ぐ向けられていた。
神威がなぜここにいるのかわからず、雛は狼狽える。
雛と視線が合った神威は、軽く手を挙げた。
「え、何!? あのイケメンは? 雛の何なの?」
若菜は興味津々の様子で、目を輝かせながら雛に問い詰めてくる。
「うーん、一緒に戦った戦友?」
雛はどう答えていいかわからず、曖昧な答えを提示した。
そんな雛を怪しむように覗き込み、
「……ふーん、怪しいな。ま、いいや、あとで話聞くからね」
若菜は意味深に笑うと、雛の背中を押す。
「じゃあ、あとでまた」
気を利かしたつもりか、若菜はさっさと雛に手を振り走り去っていく。
こういう勘のいいところや、気が利くところは若菜の才能だと思う。
こちらの様子を窺っていた神威が、雛の側へと歩みを進める。
だんだん近づいてくる神威の姿に、雛の鼓動は早くなっていった。
たった一日しか経っていないのに、神威とずっと離れていたような気さえする。
「神威さん、どうして……」
なぜか神威は雛の姿をじっと見つめてくる。
「似合うな……」
ぼそっと神威がつぶやいた。
「え? あっ、あの、えーと」
このとき雛は、初めて自分が女の恰好をしていることに気づいた。
神威は雛のこの姿を見るのは初めてのはずだ。
どう弁解しようかと、雛が焦っていると神威が口を開いた。
「大丈夫、何も言わないで。……綺麗だ」
「え!」
雛の姿を上から下までまじまじと見つめた神威が、極上の微笑みを見せた。
神威の瞳に吸い寄せられるように雛は神威と見つめ合う。
そんな風に言われることが、前は嫌だったはずなのに。
神威に言われると、なんだかすごく嬉しくて、胸がざわついた。
「少し、話をしたい。いいかな?」
真剣な神威の
雛はうっとりとした瞳を神威に向けたまま、小さく頷き返すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます