第2話 謎の青年 


 町は多くの人でにぎわっていた。


 雑踏の中、雛は人混みを避けながら一人歩く。


 夕飯の買い出しへ出かけた雛は、賑やかな町の喧騒を尻目に落ち込んでいた。

 少しうつむいて歩いていたせいで人にぶつかりそうになる。


「すみません」


 雛が顔を上げると、目の前では青年が雛を見下ろしていた。

 鋭い視線に少し冷たい印象を感じる。


 青年は雛を一いちべつしただけで、何も言わずさっさと歩いていってしまう。


 不愛想な人だなとその後ろ姿を見つめていると、突然雛は誰かに目隠しされた。


「だーれだっ」


 こんなことをするのは一人しか思い浮かばなかった。


若菜わかなでしょ?」


 雛が振り向くと、ニカっと歯を出して笑う小野おの若菜がいた。


「もう、その反応つまんない。もっと、ビックリしてよ」


 唇をとがらせ、頬を膨らませるその姿は年齢よりも幼く見える。

 雛があきれ顔で若菜に告げた。


「だって、こんなことするのは若菜くらいだもの」

「いいじゃん、私たち親友でしょ」


 そう言っていたずらっ子のような表情で、嬉しそうに微笑む若菜。


 若菜の笑顔が雛は大好きだった。何でも許したくなってしまう。


 若菜は雛の幼馴染おさななじみで親友。


 他の女の子たちより元気に外で遊ぶことが好きな雛は、他の子たちから浮いていた。

 しかし若菜はそんな雛にピッタリな男勝おとこまさりな少女だった。


 剣術の相手もしてくれたし、外で魚釣り、泥遊び、かけっこ、鬼ごっこ、男子が好きそうなことを若菜は楽しそうに雛と遊んでくれた。


 彼女の性格はとてもサバサバしていて雛と波長が合う。若菜といると心地がよかった。

 若葉といる間は男だから女だからとか考えなくていい。


「雛、なんだか暗い? どうしたの?」


 雛が何かに悩んでいることに気づいた若菜が心配する。

 昔から若菜に隠し事はできなかった。


「また、父さんと喧嘩したんだ……」


 雛が父との喧嘩の内容を説明すると、若菜は怒りをあらわにする。


「ほんと、信じられない。なんで皆男だからとか女だからってこだわるのかね!

 雛、負けるんじゃないよ。

 大丈夫! 雛が常識を塗り替えてやれ」


 若菜が力強い眼差しを向け雛を励ます。


「ありがとう、若菜……」


 若菜の言葉には力がある。

 雛はいつも彼女の言葉に救われていた。


「私、雛はたくさんの人を救える力があるって思う。

 きっと世の中を変えていく一人なんだって。

 雛は本当に人のことを思える優しい人間だ。そんなあんたのような子が今の世の中必要なんだよ」


 若菜は真剣な表情で語る。

 雛は嬉しくて涙ぐんだ。


「若菜が友達で本当によかった」

「何言ってんの! あったり前でしょ」


 二人で笑い合っていると、突然怒鳴り声が聞こえてきた。


「おい! 貴様、よくも私の着物を汚したな!」


 声の方へ視線を向けると、武士かお侍のような恰好をした人物が、身なりの汚い男性を見下ろしていた。

 見下ろされている男性はその恰好から乞食こじきだと推測できる。


「貴様がぶつかったせいで私の着物が汚れてしまったではないか、どうしてくれる」


 そんな些細なことで、と雛は怒りを覚えた。


 しかし、武士や侍はお高くとまっているやからが多いのも事実。

 こういうことはよくある光景だった。


「も、申し訳ございません。どうかお許しを」


 怯え震えながら土下座する男に向かって、武士らしき男が告げる。


「そうだな、おまえに罰金を申しても無理な話だろう。

 ならば親族から徴収するまでだ」


 そう言われた乞食の男は慌てる。


「それだけはお許しを、家族には迷惑をかけたくないんです」

「ええい、うるさい! 私に歯向かうつもりか! ならば貴様の命でつぐなえ」


 男が刀に手を伸ばす。 


「やめなさい」


 雛がその男の腕を掴んでいた。

 いつの間にか背後にいた雛に驚いた男が、大きく見開いた目で雛を見つめる。


「なんだ、おまえは?」

「私はただの通りすがりの者です」


 男は眉を寄せ、不快そうな表情をする。


「おまえに用はない、女が口をはさむな」


 その言葉が雛の怒りを買ってしまった。

 遠くで若菜があっちゃーという顔をしていた。


「女だからって舐めない方がいいですよ」


 生意気なその態度に、男の顔が歪む。

 こんな年端としはもいかない少女に口答えされ、彼のプライドは傷ついた。


「貴様も大人を舐めない方がいいぞ」


 男が刀を抜き、雛めがけて振り下ろした。


 雛の目つきが変わった。


「そこまで」


 いつの間にか雛の背後にいた青年が男の刃を脇差わきざしで受け止めていた。


「貴様、何者だ! こいつの仲間か」


 男が怒りにまかせて謎の青年に向かって叫んだ。


「私も、ただの通りすがりの者ですよ」


 そう微笑む彼の目は他の者とは違う何かを感じる。

 目は笑っているのに物凄い殺気を放っているのだ。


 男は身震みぶるいした。

 こんなに恐怖を感じたことははじめてだった。

 こいつは本物だ、本能がそう叫んでいた。


 男は静かに刀を引いていく。


「関係のない者が口を出さないでいただきたい」


 男のその言葉に、雛が反応する。


「しかし、先ほどのあなたの言動は容認できません。服を汚されたくらいであの仕打ちは酷いでしょう」

「そ、それは」


 男は雛に言い返そうとしたが、側にいる青年が恐くて強く言い返せず口をつぐんだ。


「今日は勘弁かんべんしてやる!」


 そう吐き捨てると、男は急いでその場から去っていく。

 周りで高みの見物をしていた人たちも徐々に散っていった。


 雛はまだ震えている乞食の男に優しく手を差し出した。


「大丈夫ですか?」


 乞食の男は泣きながら雛にこうべれる。


「本当にありがとうございました、あなたは命の恩人です。何かお礼を」

「そんな、何もいりません。当たり前のことをしたまでです。

 何事もなくてよかった。

 これからは気を付けてくださいね、ああいう連中もいますから」


 いつまでも頭を下げ続ける男に手を振り、雛はその場をあとにする。


 ふと先ほどの青年のことを思い出した。

 辺りを見渡し探したが、もう彼の姿はどこにも見当たらない。


 事の成り行きを遠くの方から見物していた若菜が、雛に近づいてくる。


「雛、よかったね、あの男すぐに逃げてくれて。

 まあ、雛が負けることはないと思うけど。あんまり暴れるとあとで面倒なことになるもんね。

 ……ね、それよりさっきの人誰? 知り合い?」

「ううん、知らない人」


 背後に立たれたので顔はよく見えなかった。


 しかし雛の背後に立ったときのあの気配、相当の実力の持ち主だ。

 あの殺気、今まで会ったどの剣士よりもすごかった。


「でも、あの人強そうだったよね。あいつびびってたもん。

 雛といい勝負だったりして」


 若菜は冗談で言ったつもりだったが、雛は真面目な顔をして神妙に頷く。


「うん、かなりの実力者だと思う……」

「え? マジ?」


 若菜が驚いて雛を凝視する。


 雛は青年のことを思い返しながら一人歩き出す。

 その後ろを追いかけるように若菜が雛のあとについていく。



 少し離れた物陰から先ほどの青年が雛たちを目で追っていた。


 しばらくして雛たちが見えなくなると、青年は暗闇の中へと消えていった。


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