溢れんばかりの愛をあなたに贈る

黒彩セイナ

第一章 出会いと愛情 一

 海に囲まれた自然豊かな国、レディート国。近隣諸国の中でも小規模な国ながら、恵まれた土地と美しい自然環境の中、民は食糧や住む家にも困ることない、豊かな暮らしをしていた。

 店のドアを開けると、涼しげなベル音が鳴る。

「おはようございます!」

「おはようエルダ」

 作業台スペースにいた店長は、エルダを見ると、にっこりと微笑んだ。口元の髭は、今日も綺麗に整えられている。

「早速だけど、今日は午前中の配達が一件入っているから、それを頼むよ」

「分かりました!」

 手際よく紺色のエプロンを着けると、店長から抱き抱えられるくらいの花束を受け取る。胸を弾ませるような、バラの良い香りがした。この花束は、結婚記念日にと、旦那さんから奥さんに贈られるものだと聞いている。その愛情深さを微笑ましく思っていると、かすかに店長の笑い声が聞こえた。

「どうかしましたか?」

「いや、エルダもそろそろ結婚したいんじゃないのかと思ってね」

「け、結婚……!?」

 驚いて、思わず大きな声を出してしまう。

「エルダも、もう今年で十九。そろそろ結婚してもい年だしね。初めてうちの店に来た時は、十六の時だったから、あれから三年になるんだね」

 (そっか……もう、三年か……)

 三年前まで、エルダは母と二人暮らしだった。しかしその母が病死。以来、エルダはこの、Flower Shop Roubleで住み込みで働いている。店長は身寄りのなかったエルダを引き取ってくれた恩人なのだ。

「誰か良い人はいないの?」

「うーん……私はまだ、そういうのはないですね」

 苦笑いを浮かべながらエルダはそう答えた。

 ドアを開けると、眩しい朝日が差し込んだ。目を細め、片手で日を遮りながらドアを閉めると「よしっ」と気合を入れた。

 レディート国の朝は優雅に始まる。朝は焼きたてのパンと、淹れたての紅茶。付け合わせには旬の果物。そして、レコードから流れるクラシック音楽に耳を傾けながら朝食を摂る。よくある朝の風景だ。

「いたか?」

「いいや、そっちは?」

「こっちもダメだ」

 正装姿の王宮騎士が、額に汗を浮かべながら右往左往している。

(何かあったのかな)

 騎士がわざわざ町に赴く時は、昼食を摂る昼休みくらいなもの。こんな朝からなど見たことがない。騒がしい騎士たちに周りの民たちも目を向けながら、ヒソヒソと話をしていた。気になって、近くにいたパン屋の店主に声をかけてみる。

「あの、どうかされたのですか?」

 エルダに気づいた店主は、口元に手を添え、耳打ちをしてきた。

「どうやら、王宮から王子が逃げ出したらしいのよ。それも、一人で」

「えっ、王子が??」

 王宮から王子が一人で出るなんて、それは一大事。あの騎士たちの焦りが納得出来た。

 レディート国の王子は、第一王子のアルバート・レディートのみで、エルダ含めた階級の低い民たちは、生まればかりの赤ん坊の時の姿しか見ていない。エルダに至っては、当時まだ三つと幼く、母に手を引かれて、王宮を見上げたことくらいしか記憶にない。ゆえに、アルバートがどんな姿をしているのかも、誰も分からない。

「変に異才を使わなければいいんだけど」

 異才。通称、才と呼ばれるそれは、王族の血を引く者だけが持つと言われている、いわば、特殊能力のこと。能力は人によって異なり、生まれてすぐに判明するものもあれば、成長とともに判明することもあるらしい。王族たちは、その特殊な能力を使い、代々、国を治めてきた。

 現国王であるヒーデルは、記憶の才を持っており、どんなことでも、鮮明に記憶に残すことが出来るという。

 エルダは、遠く離れた場所に聳え立つ、真っ白な王宮に視線を向けた。

 昔、まだ母親が生きていた頃。母が父から聞かされたという、王宮について話をしてくれたことがあった。そこには、あたり一面に花が咲き誇る庭園があって、それはまるで、神様が住んでいるかと思ってしまうほどに美しいと。

(私なんかが、行けるような場所ではないのだろうけれど、やっぱり、憧れる。一度でいいから、あんな素敵な場所でドレスを着て踊れたら、なんて……)

 そんなことを思っているうちに、騎士たちは町の中へと消えて言った。


 無事に花束を届け終わり、花屋に戻ろうとしている時だった。角を曲がろうとすると、何やら怪しげな黒いマントを身に纏い、フードを被った、小柄な人影が前を通過しようとした。

 ぶつかりそうになったところをギリギリで立ち止まり避ける。

 フードの奥に見えたのは、エメラルド色の宝石に輝く、二つの大きな瞳だった。

 風が吹き、少年が被っていたフード少しだけ頭からずれた。色素の薄いオレンジ色の髪が、瞳を更に目立たせていた。

 少年はフードを被り直すと、エルダに視線を送り、片手の人差し指を立て唇に当てる。静かにするようにと言ってきているようだ。

(なんで、シーッ?)

 不思議に思い、首を傾げていると。

「__いたぞ!」

 少年が来た道から、配達前に見かけた騎士達が、血相を変えた様子でこちらに向かって来ていた。

「やばいな……」

 騎士たちの姿に、少年は明らかに動揺していた。

(きっと何か理由が……)

 考えるより先に、体が動いていた。

「走って下さい!!」

「えっ、ちょっと……!」

 エルダは少年の手を引くと、全速力で走り出した。騎士も全速力でエルダたちを追ってくる。

(仮にも国を守ってくれている騎士に背を向くなんて、許されないことであるというのは分かっているけど、このまま放っておけない……!)

 角を利用して、なんとか騎士たちを撒こうとする。途中あった物陰に隠れて、騎士たちがいなくなるのを息を潜めて待った。

 しばらくして、足音と共に気配も消え去った。慎重に物陰から顔を出して、騎士がいなくなったのを確認すると、エルダは隠すようにして、後ろにいた少年に向き合った。

「勝手なことをしてすいません」

 何度も頭を下げるエルダに、少年は申し訳なさそうにしていた。

「僕の方こそ、助けてくれてありがとう」

 整った顔立ちに、線の細い華奢な体。少年というよりかは、可憐な少女のようだった。年は、自分よりいくつかしただろうか。人懐っこい笑みが印象的だ。

「でも、なぜ騎士の方達から逃げていたのですか?」

 追われていたということは、何か罪に問われることをしてしまったんだろうか。とてもそんな風には見えないが。

 エルダがそう言うと、少年はきょとんとした顔をした。

「そうか……僕を知らないんだ……」

 何かを呟いたように見えたが、エルダの耳には届かなかった。

「そんなことより、名前なんて言うの?」

「私は、エルダと言います」

「エルダか。可愛い名前だね!」

「あ、ありがとうございます……」

 母性本能をくすぐられるほどに愛らしい笑みを真っ直ぐに向けられ、思わずドキッとする。

「僕はアル!」

「アルくん! 素敵なお名前ですね」

 可愛いらし彼に、ぴったりの名前だ。

「ありがとう。ママがつけてくれたんだ!」

 こんな素敵な子を産んだ母親なら、きっと同じように素敵な人なのだろう。花屋で働いているとことを話すと、「行ってみたい」と言われ、エルダはアルを連れて店に戻ることに。

 街の花屋というものが珍しかったのか、アルは不思議なものを見るかのように店内を見回していた。小さな国であるレディート国の花屋と言ったら、この店くらいしかないが、縁がなければ来ることもない。珍しくも思うのかもしれない。

「これ、エルダが作ったの??」

 壁絵に飾られたリースを指差すアル。

「いえ、それは店長さんが作られたリースです」

 リースは以前、店長が造花で作ったものだった。栗色のつる系ベースに、紫のトルコキキョウを入れた、シンプルだけど、品と華やかさを兼ね備えた店長渾身の一作。枯れることなく、長く花を楽しみたいと言う人に人気で、この町ではよく玄関のドアに飾られている。

「毎月、その季節にあったお花を注文される方も多いのですが、大切な方への感謝の気持ちを込めた贈り物として、リースをお渡しするのも素敵ですね」

「へぇー……」

 アルは何かを考え込むように、じっとリースを見つめていた。その横顔は、何やら真剣さが胸を埋めるものだった。

「僕も一つ、作ってもいいかな」

「アルくんがですか?」

「うん、お願い!」

 宝石のような瞳をうるうるとさせ、真っ直ぐに向けられ、エルダが断れるはずもなく。

「では、一緒にやってみましょうか」

「やったあ! ありがとうエルダ!」

「わっ!」

 急に抱きつかれ、驚いて体が硬直してしまった。

 異性に抱き付かれるなんて、そんなことはエルダの人生に一度もない。そんな様子を見て、店長は何やら嬉しそうにしていたけど、アルには花を贈るほどに大切な人がいるのだろうと、エルダは思っていた。

 アルに好きな花を選んでもらい、店長のサポートを受けながらも、リースは出来上がっていく。アルがリースを作る表情は真剣そのもので、贈る相手への強い想いが、エルダには伝わってきたのだった。

 完成したリースを、アルはとても大切そうに抱きしめていた。

「喜んでくれるかな……」

 なぜか不安そうな顔をするアルに、エルダは優しく言った。

「喜んでいただけるのに決まっています。だって、こんなにもアルくんが一生懸命にお作りになられたのですから、お喜びにならないはずがありませんよ。私には目に浮かびます! その方が、嬉しそうに笑っている姿が!」

「……笑って、くれるといいいな」

「また来る」と、笑顔で帰っていくアルに手を振り、見送り終わって思い出した。

(アルくんって、結局、なんで騎士の方たちに追われていたんだろう)

 今度会った時に聞いてみよう。そう思ったエルダだった。その理由をすぐに知ることとなるとは、思いもしなかった。


 それは、アルが店を訪れて、一週間も経たない日のことだった。その日は、店長が風邪で寝込んで、エルダが一人で店番をしていた。

「エールダ! 来ちゃった!」

「えっと……」

 アルが来た。

 騎士を連れて。

 アルバートほどの容姿を持つ人を、見間違えるはずもない。

 口をぽっかーんと開け、アルを見るエルダ。驚きのあまり、声も出ないといった様子だ。

「あの……アルくん、ですよね……?」

「うん、そうだよ」

(では、どうしてそのような格好を……そんなの。そんなのまるで……)

「王子様、みたいです」

 いかにも高級そうな煌びやかな装いが、アルが一般階級の人間ではないことを示していた。

 戸惑うエルダを前に、アルは清々しほど輝いた笑みを送ってくる。

「その通り。実は僕、この国の王子なんだ」

「えっ……ええええぇぇ……!!」

 あっけらかーんと言うアルを前に、混乱した頭を抱えながらも、なんとか自分を落ち着かせようとする。

(アルくんが王子。とてもそんな風には見えなかった。確かに、お顔はすごく綺麗だと思ったけど、服装はマントで隠れていたとはいえ、あんな可愛くて人懐っこい方が王子だなんて……)

 だが、あの時、追われていたのも、こう言うことだったのかと、腑に落ちた。では自分は、ずっと王子に対して、あんな馴れ馴れしい態度をとてしまっていたと言うことになる。

 一気に血の気が引いた。

「大変、申し訳ありません……!!」

 床に頭がつきそうな勢いで頭を下げる。

(王子様と知らなかったとはいえ、私はなんというご無礼を)

 思い出す言動の数々を、エルダの頭をぐるぐると回る。

「頭を上げてよ」

 柔らかで、静かな声が頭上から降ってくる。だが、エルダは頑なに頭を下げ続けた。アルは浅いため息を吐くと、エルダの肩を両手でぐっと掴み、無理やり頭を上げさせた。

「やっと、目が合った」

 大きなグリー色の瞳は、少しだけ悲しげに揺れていた。

「驚かせてごめんね。言わない方が、僕と仲良くしてくれるかなって思って」

 くるりと体を回転させ、あの日のように店を見回すアル。

「やっぱり、このお店素敵だな……人の幸せが詰まっている」

 けして大きくはない店を、ゆっくりとした、重みのある足取りで歩く。

「何より」

 そして、一歩づつ、確かな歩みでエルダの前に立つと、そっとその両手を取った。

「何より、君がいる」

「アル、くん……?」

 握られた手に力が込められた。

「エルダ。君にお願いがあるんだ」

 これが、全ての始まりだった。

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