episode2.2.6 断頭の刃
……喰われた。目の前で。
それは幾つもの別れを経験したサガミにとっても、色濃く残る強烈な死だった。目の前で巨大なイノシシが身体を震わせる。アカゲがそのまま腹の中に飲み込まれていくのが分かる。
「冬崎よ……」
薙刀を堅く握り締め、ゆっくり立ち上がる。
「こりゃあ流石に、逃げるのはムリじゃよ」
でしょうね、と半笑いで言うアカゲの姿が見えた気がした。空になった口元を大きく開けて剥き出しの牙、いざこちらへ振り向こうというその時。
「……しかし元より逃げる気はない。───逃がす気もなッ!!」
振りかぶった薙刀をぶん投げ、ザクリ、イノシシの眼の奥にブッ刺した───!!
ギュアアアゥギイイイイ!! 途轍もない悲鳴が響き渡る!! 前脚を高く上げ暴れ回り砂煙が巻き上がった。咄嗟に懐から鎖鎌を展開するサガミ! 間髪入れず分銅のついた鎖を飛ばし、グルグルとイノシシの左後脚に絡み付けた!
狼狽えたイノシシは途端に走り出し、グローブ越しの手で鎌の柄を掴むサガミはイノシシに引っ張られていく! 土埃を巻き上げながらズガガガガガ、後に従って凄まじいスピードでガリガリと地を削り続ける!!
「畜生風情が……舐めるなよ───」
グッ、グッ、鎖を手繰り寄せ、イノシシの脚にジリジリ迫っていく。ブンブンと振り回した鎌を勢いよく繰り出し、関節部をギャリっと抉った! 一時的に動きを止めた一本の脚、その真っ白な毛並みを鎌を使って登っていくサガミ。脚力を振り絞ってイノシシの上に辿り着くと、まるで展望列車のような光景が眼前に広がった。向こうに見えるのは突き刺さったままの薙刀。怒涛のスピードで走る巨体の背を、鎌の先で突き刺しながら進む。首を越え、頭へ到達。どうか暴れないでくれ、そう願いながら深く刺さった薙刀をグッと掴み、ザシュ! 引っ張った拍子に赤黒い血が吹き出した。
また凄まじい声を上げ、暴れ出すイノシシ!! 必死に毛並みを掴んで振り落とされないよう踏ん張るサガミ。しばらく暴れた後スピードを取り戻しながら血飛沫も落ち着いてくる。揺れが安定する頃合いを見計らい、振りかぶった薙刀を……渾身の力を込め、巨大な首に突き立てた!! ───ザギュン!!
しかし!! 首に刃が食い込んだまま動かない。なんと、あまりにも巨大で、強靭すぎて、これ以上刃が入っていかない。
グギュウウウギァアア!! ブンと大きく首を振るイノシシ。衝撃は凄まじく、薙刀と共にサガミはブオンと吹き飛ばされ、ガツン、全身を地面に叩き付けた。一瞬意識が飛びかけたが、持ち直す。身体も幸いまだ動く……しかし、これ以上どうすれば。───走りを止めた死の影がサガミに振り向く。眼の無いバケモノが目で語っていた。絶対に殺すと。
右眼からべっとりと血の涙を流し、こちらをしっかり見据えている。蹄を打ち鳴らす音が聞こえ、その場で助走をつけているのが分かった。まもなくこちらへ向かって走り出し、命の終わりが来るだろう。避けようのない死を目の前にした今、身体の力が抜け……運命を受け入れる準備が整った。やはり怖いモノだ、目を閉じて考え事でもするに限る。
「少し、見栄を張り過ぎたようじゃ……。しかしな冬崎、お主のおかげで……少し、少しじゃが……思い出せた。人は、何のために生きるのか」
娘の顔が浮かんだ。今度は消せやしない。ああ、走り出した音が聞こえる。断頭の刃が動き出したのが。冬崎よ、最後に聞いておきたかった。
「……お主は、何のために……生きる」
「───決まってる。復讐だ」
「!」
その声に目を見開いたサガミ!! 目の前に立っていたのは、一人の少女。後ろ姿があの時のアカゲと重なる。なぜここに、そう問いかける間も無く……少女はキラリと光って飛び出した!!
長い髪を靡かせ風に舞い、直後。──────ザキン。
イノシシの太い首は、断ち落とされた。地上までを光は煌めきながら、閃光のように、火花を散らすように。ドスン、巨体は空気を震わせ大地を響かせ、首無しのまま土を浚ってぶっ倒れた。落ちた首はゴロゴロと、サガミの目の前で停止する。土煙が立ち上がったその中から、絶対強者が姿を表す。右手の刃を、ギャン! と鋭く一振り。灰を被ったような髪色の、長いポニーテールを風に揺らしてこちらを向いた。
「なあジイさん。男見なかったか? ヘンな敬語のウザいヤツ」
彼女の名は、長火鉢ツキ。唖然とするサガミにとりあえず手を差し伸べる。立ち上がったサガミは、斬り落とした断面の綺麗な様子に驚いた。圧し切った感じのない、淀みのない一直線。
「探してんだけど見つからなくてさ。あ、そうだ。もし見かけたら伝言頼むよ、伝えておきたいことがあるんだ」
「伝言、か。……聞かせて欲しい」
冬崎アカゲ……。彼はもうこの世にいなかった。だが、その伝言を聞く義務があるとサガミは感じたのだ。そのあと、アカゲの言葉もこの娘に伝えよう。それでよいな、冬崎よ。
バッチリです、と微笑みかけるアカゲの姿が浮かぶ。ゆっくり目を閉じながら、ツキの言葉に耳を傾けた。
「まず一つ目。早く戻ってきて手伝え。家が壊れて大変なんだ、出発どころじゃない。んで二つ目。二つ目な。……その、あの時。デカいのが突っ込んできた時。私を……」
恥ずかしそうに俯くツキ。
「私を。助けてくれて……。あ、ありが」
「ゲホッゴホッオエ!! げー気持ち悪いっすね! まったく!」
2人はビックリして声の方に振り向いた!!
───粘液まみれの冬崎アカゲが、イノシシの首から這い出てくる!!
「うわあ!ジイさん下がれ! バケモノだ!!」
「待つんじゃ! 刃をしまいなさい! アレはバケモノではない。───幽霊じゃ。幽霊に刃物は効かん!」
慌てふためく2人に、粘液を払ってから挨拶する。
「いやあ、オレがいなくて心配かけましたね! 泣いちゃったりしました? してない? してないか!」
アポロの箱を取り出して、一粒口に放り込んだ。
「長い宇宙旅行でしたよ。月って案外、不気味なモンですね」
「……うわこいつアカゲだ、バケモノじゃない」
「むしろバケモノで正解じゃ……。まさか生きて帰るとは」
アカゲは、生きていた。異なる意味で驚きを隠せない2人!
「いやあ嚙み砕かれなくて助かりましたよ。勿体ぶって煽った結果、わざわざ丸呑みにしたんでしょう」
「なんだお前、食べられてたのか」
「まさに、ワシの目の前でな……」
「まあまあ! とにかく全員生きててヨシってことで!」
ちょっと生臭い香りを放ちながら、二人に握手。苦笑いで握手に応じるサガミとツキだったが、握手の後しれっと2人とも手を拭いているのを見ないフリした。
「それにしても、冬崎よ。お主やはり何者じゃ? あの灰の娘が、上界人と懇意に接するなど……」
「灰の娘?」
話の流れ的にはツキのことだろうか。念の為振り返ると、彼女は酸っぱいものを食べたような顔をしている。
「……あだ名みたいなもん」
「なるほど……。つか二人知り合いだったんすね! 先に言ってくださいよ〜」
「ワシとこの子は、まあアレじゃな。ビジネスパートナーというヤツじゃよ」
「ビジネスパートナー?」
スーツを着込んだ2人が頭に浮かぶ。似合わねえ。
「先程も教えたように、落とされた上界人を保護し本部へ連れ帰るという任務がワシにはある。そんなワシがこの辺りをウロついておったらどうなる?」
「アンタとツキで上界人の取り合いになるのか」
「そう。だから私が尋問し終わったらジイさんに電話して引き取ってもらう。ジイさんが先に見つけたら私のとこに寄越してもらう。そんな約束をしてるんだ」
ツキは上界人の情報が手に入って満足。サガミは上界人探索の足が増えて満足。互いに有益ということだ。まさにビジネスパートナー。
「なるほどなあ。……ってアレ、さっきオレのこと殺そうとしてませんでしたっけ? ツキのとこに引き渡すんじゃなく?」
そうだ……最初、サガミはアカゲに刃を向けた。生か死か、本当にその場で決まってしまうような空気感。アレは確かに本物だった。聞いた話と違うが……。サガミは気まずそうな顔をして語った。
「非常事態でワシも結構慌てとってのう、悠長にしている暇はなかったんじゃ。なるべく関わりたくはなかったが、野垂れ死ぬと炭化人間のエサになってしまうからな。苦渋の決断ということじゃな、ほほほ」
「大丈夫だジイさん。殺したくなる気持ちはわかる」
「オレは首の中にでも戻りましょうかね。ホラ、温かいし」
サイコ老人のフォローに回る悪口娘、アカゲに味方はいない。
「ふむ……しかし、あのバケモノをあろうことか身一つで仕留めてしまうとは……。やはり、驚くべき強さだ」
「力で私に勝てるヤツなんていねーよ。……お前らとは違うんだ、私は」
「違う?」
ツキの表情が少し曇ったのを、アカゲは見逃さなかった。包帯で覆われた右眼をそっと触って、静かに答える。
「───村じゃ一番ケンカが強かった。誰よりもだ。……剣を習ったこともあったが、純粋な力で私に勝てたヤツはいない。私は風より速く走れるし、硬い岩も素手で砕く。おかげで怖がられたよ、どこへ行っても。みんな口には出さないけどな」
「でもそりゃ凄いことですよ。おかげでオレもご老人も生きてるんだ。誇っていい」
「んなこと分かってる。感謝しろよ」
左手の拳をコツンとアカゲの額に当てた。それからサガミの方を振り向く。
「……ああてかジイさん、ずっと聞きたかったんだけど。フデオリって何?」
そうだ、そういえばそんな話があったな。
「ほう、フデオリとな。確かに説明し忘れとったのう……。まあ大体見当は付いとると思うが───アレじゃよ」
サガミは大きく横たわる、炭化イノシシの死体を指差した。
「知っての通り、こやつの猛進は地形を変える。その迷惑千万な所業に本部の地図職人は音を上げ、遂には筆を折ってしまった。故に、特別指定炭化生物-
そう言いながら白い毛並みをポンポンと叩くので、2人も真似して叩いていた。
「ふーん、変な名前。もっとかわいいのにすればいい。イノくんとか」
「途端に愛くるしいマスコットだな、倒し辛いでしょうよそれは。アンタが殺したんですからね」
まさかの命名にサガミが唸る。
「───妙案じゃ。分かりやすくて、なかなかよい名じゃな。よし、この亡骸を本部まで運び終えたら改名手続きの申請をしよう」
「首無しの死体に付いてていい名前じゃないですね明らかに。子ども泣きますよ」
「まあアレだ、泣く子は育つって言うしな」
「言わないと思います」
そんな話のさなか、サガミは懐から革のメモ帳を取り出してガリガリと描き込み始めた。
「とにかく、まずは状況を纏めておかねばならん。事後処理というヤツじゃ。それが終わり次第、薬を届けに向かう。ワシも一緒にな」
「いいんですか! アンタ近付けないんじゃ……」
「
アカゲとサガミ、目を合わせて少し笑った。この出会いに、意味はあったのだと。
「何か知らんが、討伐報酬は出るんだろうな?」
「当たり前じゃ、食い切れるだけ持っていくと良い。炭化生物の肉は大層な美味で知られておる」
「よし、決まりだ。やるぞアカゲ」
肉に釣られて乗り気なツキが、ニッコニコでこっちを見ていた。丁度いい、毒味はコイツに任せよう。丈夫そうだし。
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