episode2.2.3 大きな牙の
殺人罪……。ウザくて能天気なこの男がだろうか?本当の人殺しはまさかの自分。それがツキから聞かされた事実だった。
「オレ人殺しちゃってたんすね……マジか、許せねえ」
何というか案の定、冬崎アカゲの適応は早かった。動揺を期待していたツキだが、これには期待ハズレである。
「あーもういいや……。そんでコレな。普通は数字の横に記号が付いてて、それが犯罪の種類を表してる」
「付いてませんけど、これは?」
「記す必要もないくらいシンプルな重罪だからな、殺人ってのは。……で、数字はその罪を犯したヤツが何人目かを示している」
「つまりオレは、上界で22人目に殺人を犯した人間って事ですか」
「その通り」
意外と少ないんだな、とアカゲは短い顎髭を触った。
「結構治安いいんですね」
「らしいな。軽犯罪でも下手すれば下界落とし喰らうみたいだぞ」
「あらま」
一体世界がどんな状況になっているかは知らないが、今いる下界というのがどうやら、いわゆる「流刑の地」として扱われているということは分かった。
「上じゃ
「知りません」
「……死の大地、だってさ。人の生きていくことができない、汚染された世界」
汚染……? というのが何かは分からない。しかし、ツキが悲しそうに俯くのだけは見えた。いつの間にか日は沈んでいた。
「私も、みんなも。死の大地で生まれたっていうのに。最初から生きていなかった事にされて、それで死んでいったんだ。───殺されたんだ」
明るかったのは本当に一瞬のことで、たちまち辺りは暗がりに包まれていく。ハイブエンの傘の裏、赤い光がゆっくり点滅していって、巨大な上界をより威圧的に見せた。世界に蓋をされている気分。並んで立つ2人はそんな蓋付き世界にとって……あまりに小さな存在だった。
「情報統制ってヤツでしょうか。アンタら下界の人達と、オレみたいな流刑者ともども、生きていると知られたくない事情があるのかも」
「
「上界の行き方について、ですか」
アカゲを見上げて、また向こうを見る。
「そう。今んところ手掛かりナシだけどな。───上界と下界を繋ぐのはあのデカい柱、
「だとすれば、警備はガチガチってとこでしょうね」
圧倒的なデカさの柱を上から下へ眺めていく。目を細めるが、なかなか遠くてまあ見えるもんでもない。
「柱の麓にはガラの悪い兵隊がいくらか控えてるが、仮に全員ぶった斬ったところで、外壁の扉が開かなきゃイミがない。仮に運良く入れても、中で足止め食らうことになる」
「外壁の強度は?」
「無理だ。何をどうやっても傷一つ付かない。八方塞がりってヤツ」
その言葉を聞いて頭を捻るアカゲ。彼なりに考えているのだろうか、上界に行く方法について───。
「なるほどな。……いやあそれにしても、アレだけ巨大な円盤が柱一本で立ってるなんて凄いですね! 物理学上不可能に等しい形状ですよ」
「そうなの? 私にはよく分からん」
ツキはもう一度ハイブエンの全景を見上げてみるが、首を傾げるばかり。
「ええ、あの円盤が例え空っぽで超軽量だったとしても、既知の素材の強度では構築できないでしょう。アンタの言う傷一つ付かない外壁、が言葉の通りだとするなら話は別ですがね」
アカゲは長いこと考え込み、不意に口を開いた。
「一つ聞きたいんですが、その大支柱の下……地下に埋まっている部分に人は住んでますか」
「ああ、住んでる。柱の中は
「なるほどね」
アカゲは自らの人差し指を舐めて、空に掲げる。
「え、キモ。今指舐めた!今指舐めた!」
「これで風向きが分かるんですよ、たぶんね」
ふむ、と再び考える。
「仮に、ハイブエンが隙間なく装甲で覆われているとしましょう。風通しが最悪だと思いません?」
「まあ、確かに」
「人間息ができなきゃ死んじまいます。だとすれば、『外から空気を取り込む装置』と『外へ空気を排出する装置』が必要です。空気を循環させるための、吸気と排気の設備ですね」
「それで、結局何が言いたい?」
上空の円盤を指差して、アカゲはご機嫌な顔をした。
「上を見てくださいよ。アレ、何だと思います?」
「その……吸気と排気のってやつか?」
「あのファンやフラップは恐らく全部、排気用です」
「なんで分かるんだ?」
「北西からの風は、高い確率で冬の季節風です。湿度も低く、まあ多分今は冬なんでしょう。それならこの時間帯、日陰のド真ん中で上着も要らないくらいの気温は奇妙だ」
「ほう」
アカゲの白髪が少し揺れ、2人の影が伸びていく。
「風が吹くたび空気の温度にも少しムラがある。暖かい空気が上から流れてきていると考えれば辻褄が合います。上空のアレは、排熱と排気を兼ねた設備の可能性が非常に高い。近寄れば相当アツいと思いますよ」
「じゃあ、もう片方は?」
「どこかにあるんじゃないすか」
「どこかってお前……」
呆れて頭を抱えるツキに、アカゲが言う。
「分かりませんが、オレが設計者なら───地上に作るでしょうね」
「!」
「軸回廊の地下部分も居住スペースとして活用されているのであれば、あの円盤上から吸気を行うんじゃ、地下まで空気を行き届かせるのにいささか効率が悪いでしょう。一番現実的なのは、地下に吸気管の根を這わせ、地上に大規模な吸気口をいくつか設置する案です」
そう、上部に排気機構を設けるのであれば下部に吸気機構を、それも傘の外に出るように作るはずだ。そして、もしこの仮説が正しければおそらくは……。いや、今は関係のない話か。ツキが不思議そうな顔をした。
「うーん……何で地下なんだ?」
「画鋲の軸先から吸い上げた新鮮な空気を上まで行き渡らせ、傘の裏から排出するという構造が理に適ってるんです。形状といい、キノコとちょっと似てますね。いや例えとしてはちょっと不適当か……アレの場合は呼吸じゃなくですね、菌糸体で養分を吸収し
「あーもう分かったいいって! その、吸気口……? ってのが地上のどっかにあるんだな?」
「ある可能性が高い、という話です。無い可能性もありますからね!」
「でも、あるんだな?」
「オレの勘では、ね」
「───それでジューブン。すぐ出発するぞ」
ツキはにっこり笑い、もうトロ火になった夕日に背を向けた。この男、アタリかもしれない。
「え! 今からすか!」
「うん、今」
「いやあアハハなんて言うんでしょうね、まだ場所も分かったワケじゃないですし、正直言って心の準備が……」
「いいから来いよキノコ野郎。心なんて、準備のできるモノじゃねーんだ」
アカゲの手をバシッと掴んで引っ張る。元いたボロ屋に戻っていくが、玄関の戸を越えたその時、室内でレトロな電子音が鳴り響いた。ピリリリリリ。振動と共に発せられるこれは、何の音だろうか? ツキは目の色をちょっと変えて、アカゲの手を離す。
「ちょっと待っててな。電話だ」
乱雑に置かれた赤いガラケーをパカっと開き、耳に当てる。
「もしもし、私だ。なんだ、ジイさんの方からかけて来るなんて珍しいじゃん」
ジイさんと呼ばれる電話先と話し始めるツキ。
「あー、うん。そんで? ……はあ、なるほど。いや逃げろって……ここ家だぞ? あー分かった分かった、はい、じゃあな」
あっさり電話を切って、玄関の戸を閉じるアカゲと目が合う。
「それ、もしかして携帯電話ですか! 随分古いの使ってるんすね」
「そうだけど。お前ケータイは知ってんだな」
「モノに関する知識はそこそこにね」
ふうん、とケータイを閉じて、側にあった革のベルトバッグを拾い上げた。左肩から斜めに掛けて、腰のベルトをギュッと締める。
「なんか、フデオリ? ってのが来るから逃げろってさ」
「誰すかそれ」
「分からん」
「聞きましょう」
「確かに。聞いてみる」
閉じたケータイをまた開く。番号を打ち込んで、耳に当てた。
「もしもし、フデオリって何? ……あ? 全然聞こえないんだけど」
通信状況が悪いのだろうか。外行きましょう外、とアカゲがジェスチャーでツキを導く。外に出るといくらか調子が良くなったようで、ツキはケータイ片手にふむふむと頷いている。
そんなツキを眺めていると、遠くの方から音がするのに気付いた。微かに空気が揺れ、地響きのような何かが……。ド、ド、ド、ド、ド──────!!
突如近付く凄まじい音に、二人が顔を上げ空を見回した。まるで爆撃のような振動がすぐそこまで迫っている───。そう、すごく近い。今にも目の前に───。
その時、ツキの住処を突き破って、巨大なバケモノが姿を現した。
「な───!!」
スローモーションで家の端材が飛び散る中、巨大な牙のバケモノがゆっくり口を開け、ツキを喰らおうとしていることにアカゲは気付く。正体は、白い毛に覆われた高さ5メートルのイノシシ。危ない、そう感じた時には身体が動いていた。咄嗟に動いた身体に自分がビックリした。ツキを勢いよく突き飛ばし、そこでスローモーションが途切れる。
「うわあああぁぁあああぁあああああ──────っ!!」
「アカゲっ!!」
イノシシの突き出た牙にジャケットが引っ掛かって、そのまま凄いスピードでアカゲは連れ去られる。ゴウゴウと風を切って揺れるアカゲ、ツキの姿はすぐに見えなくなった。
……そもそもこの巨大なイノシシはなんだ? 全てが常識からあまりに逸脱している。途切れ掛かる意識の中、最後に見上げたイノシシの顔……。その眼は落ち窪んで空洞───中は真っ暗だった。
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