睡蓮宮に現れた水鬼

 後日、黒花状元こっかじょうげんからだという衣装達が贈られてきた。色鮮やかで美しい物から黒や白等の簡素な物まで有り余る程に。


「あれ、全部男物……」


 届いた衣装を確認していた黎月リーユエがふと声を挙げた。そういえば黒花状元に自分は男だと自ら言ったのは良いが、黎月や権玉シュエンユーにはまだその事を打ち明けていなかった。権玉はそもそも天趣城てんしゅじょうに来た初日以降一度も顔を合わせていない。男だと知られるのに後ろめたさは感じていないものの、黎月に打ち明けるのは悩んでいた処もある。


 彼女は出会った時からずっと静蘭を女だと思い込んでいる。勿論静蘭の護衛を引き受けてくれたのも静蘭が女だという事を前提しての話だ。男という事を知られ、護衛を拒否されるのは構わないのだが、幾ら破天荒な黎月と言えども黒花状元に命令されている以上嫌でも引き受けるしかないだろう。

 それはやはり不憫だ。世の中には知らない方が良い事もあるように、このまま女と思い込んで仕えていた方が黎月にとっては心身的に楽なのでは?とずっと思っていた。

 しかし黒花状元より賜った衣装が全て男物だと疑問に思われたのなら隠す必要も無いのかもしれたい。


「あのね、黎月。あまり驚かずに聞いて欲しいのだけれど……」


「えぇ、普段物静かな鬼王妃様がそんな風に言うなんて……何ですか、もしや鬼王妃様は男装趣味なのですか?あ、いやこの場合鬼王様が鬼王妃様に男物の衣装を贈っているから……鬼王様が男装をしている女性が好みとか?なるほど、確かに今までどんなに美しい女が現れても目もくれなかったわけか」


 お喋りで想像力豊かな黎月は疑問に思った事や自分が感じた事をすぐ口に出しては自己解決するという癖があった。黒花状元によると、その癖は時折とんでもなく良い方向に繋がる事があるそうで。しかし今は自己解決せずに最後まで話を聞いて欲しい。

 ぶつぶつと呟く黎月を無視して静蘭は続けた。


「私、実は男なんだ」

「へぇ、そうなんですか男……男?!?!」


 ほぼ叫び声に近い声をあげられたせいか睡蓮宮が心做しか揺れた気がした。

 黎月は静蘭に近付いて顔をまじまじと見つめた。しかし静蘭は女顔であり、金枝玉葉の美女という通り名まで付けられる程の美しさだ。突然男と言われたって顔だけ見たら冗談としか思えないだろう。


 すると次は何と胸に手を当ててきたのだ。


「なっ……ちょっと黎月、何してるの?!」

「ふむ……確かに硬い……」


 このままでは着ている衣装を脱がせ、下半身まで確認してきそうな勢いだ。


「そうだ、私は硬いだろう?腕や足、腰周りだって女と違って硬いんだ」


 まだ内心疑っていそうだが、胸に膨らみが無く、硬い事から信じる事にしたらしい。

 しかしそれと言って嫌という表情は見せなかった。というか事実を聞かされて驚いてはいたものの、全くもって気にしていない様子だ。


「嫌じゃないの?」

「何がです?」


 不思議に思って聞いてみてもこの反応だ。


「……男に仕えるのは嫌じゃないのかと。もし嫌なら私から鬼王閣下にお伝えする事も出来るけど」


 黎月が言い難とも静蘭がそれとなく伝えてみたら替えてもらう事も出来るかもしれない。無論静蘭としては、破天荒と言われるだけあって中々活発的でお喋り、外向的と正反対の性格をしている黎月を最初こそは苦手だと意識していたものの、最近は寧ろ黎月がいると落ち着くようになってきた。

 これでも確かに仕事は出来るし、睡蓮宮から一歩も出ない静蘭にとって黎月のお喋りはかなりの暇つぶしになる。黎月が嫌じゃなければここに留まって欲しいのが本音だ。


「別に嫌じゃありませんよ?男だろうが女だろうが私が仕えるよう命じられたのは鬼王妃様ですし。それに私の身を案じて言ってくれているのであれば、申し訳ないですけど鬼王妃様より私の方が何十倍も強いはずですから」


 別に女を好きになったりそういった情を持った事は無いが、確かに仮に静蘭が黎月に変な気を起こしたとて返り討ちにされるだろう。それは否定出来ない。


「それとも何です?鬼王妃様は男の護衛がいいですか?やめといた方がいいですよ、その顔なら男だと知った上でも絶対喰われる」


 そしてそれも否定出来ない。男色家で無いとされる黒花状元でも、静蘭が何となく感じ取れるほど豪く静蘭の顔を気に入っているようだ。実際に利用価値があると言われ、お墨付きである。


「いや、私は別に貴方で構わないのだけれど……男の妃に仕えるのは貴方が嫌かと」


「そんなの気にしません、鬼王妃様は鬼王妃様です」


 その言葉に心臓がぎゅっと握り締められるような感覚になった。何だか自分自身を……上辺だけでなく中身までも見てくれていたみたいで、黎月の何気無いその一言がとても嬉しかったのだ。

 黎月は視線を賜った衣装に戻すと、幾つかの衣装を取り分けていた。


「何をしているの?」


「鬼王妃様に特別似合いそうな衣装を分けているんです。紅なんかの極彩色もよくお似合いになるでしょうけど、やっぱりその羊脂玉ようしぎょく(上質な白い玉)のような肌には白や黒と言った無彩色や二藍のような簡素な色がよく映えると思うんですよね」


 次から次へと衣装を選別して行き、あっという間に衣装の山が二つ出来上がった。黎月に流されるがまま、黎月の選別した衣装を着ていく。

 簡素な色の衣装は他人が着ればただの質素な衣装に見えるだろうが、静蘭が着る事により何故か華やかに見える。清廉な雰囲気がとてもよく似合っていた。

 黎月も大満足なようで目を輝かせて褒めちぎっている。


「いやぁ、流石鬼王様!賜った衣装は極彩色よりもこういった簡素な衣装の方が多かったんですよ。きっと鬼王妃様には敢えて簡素な衣装の方がお似合いになると見越して贈って来たに違いありません!」


 黎月の言葉が本当だったのなら嬉しい。そう思った。僅か数週間ながら、優しく様々な事を知る黒花状元に少しだけ心を許していた。利用価値がある、だから形だけの妃として置いて貰っている。それは十分に理解しているのだが、それを踏まえても心を許す程黒花状元という者は何処か惹かれる物を持っている。

 そんな彼が静蘭のために静蘭を思いながら衣装を選んでくれた、と勝手に想像すると先程の黎月の言葉の時とはまた違った風に心臓が握り締められたように苦しくなった。

 

 *


 その日はいつもよりも早くに目覚めた。鬼界は太陽が無く、ずっと夜の状態だが、今の時間を下界で言うなればまだ平旦へいたん(午前四時頃)頃だろうか、いつもは黎月が起こしに来るし後宮は女官達が朝から仕事だと騒がしくしているのに、寝静まっている。

 しかし、昨夜も隣で共に寝ていたはずの黒花状元の姿は既に無い。一体彼は何時に起きているのだろうか。


 そんな事を考えているうちに完全に目が覚めてしまったようで寝付けない。観念して後宮を散歩しようと立ち上がる。

 普段なら護衛である黎月を必ず呼んでから外に出るのだが、何分まだ誰も起きていないような時間帯であるため黎月を起こすのも申し訳ない。少し外に出るくらいなのだから、と思い簡単に着替えると一人で睡蓮宮を後にした。


 外に出ると変わる事の無い、宮を取り囲む池に色鮮やかで美しい睡蓮が咲いている。毎度特に意識する事も無く眺めてしまうほど静蘭のお気に入りであり、それも相俟って睡蓮宮の景色はやはり鬼界の夜の風景によく映える。それが誰もいない静かな時間なのだから尚更幻想的だ。

 誰も見ていないのを良い事に、その場で屈んで池をじっと見つめる。今まで気が付いていなかったのだが、僅かに水面が揺れていて、どうやら池には魚か何かも生息しているらしい。水面は静蘭の姿が反射する程暗く、到底水中なんか見れやしない。

 小魚だろうか、それとも亀でもいるのだろうか。しかしこんな池に餌となる生物が他にも生息しているのか?というか自然形体は成り立っているのだろうか。

 何ともないただの疑問だったが、よく良く考えれば睡蓮だって咲いているんだ、問題無いだろう。


 もっとよく見たくて水面に顔を近付けようとしたその時だ。

 突如後ろ襟を捕まれてぐいっと後ろに引っ張られた。

 何だ、さっきまで誰もいなかったのに。こんな事をするのは黒花状元……でなければ黎月?いや、黎月もこんな事はしない。


「危ないですよ、その池には骨魚こつぎょが生息している」


 知らない声に警戒心を込めて振り向くと、静蘭の襟元を掴んでいたのは、茶色がかった髪を一つに纏め、藍色の衣を着た男だった。

 容姿年齢は黒花状元と同じく二十代半ば位に見えるが、黒花状元とは違いにこやかと口角を上げている表情からはどこか少年のような雰囲気を感じ取れる。

 というより男子禁制のはず(静蘭は男ではあるが)の後宮に何故男がいる、というか何故入り込めている?


「誰です?」


 後ろ襟と掴まれていた右腕を持つ手を咄嗟に払い、男から少し距離を取る。


「あぁ、自己紹介も無しに突然引き寄せたりしてすまないね。私は黒花状元の親友、沈引秋シェンインチュウと申します」


 突然の事だったとはいえ、少々無礼な態度を取ってしまったがそんな事は気にしないとでも言うように優しそうな微笑みを向けてくる。

 初対面の静蘭でも分かる、この人は少なくとも悪い人では無いだろう。


「私は鬼王閣下の……」


 そこまで言って口篭ってしまった。私の立場はなんなんだ?妃と名乗っていいのだろうか?別に妃の仕事は何もしていないわけで、ただ衣食住を与えられ夜には黒花状元の話し相手になる……この関係は何と言うのだ。居候とでも言うのが正解なのだろうか。


「はい、存じ上げてますよ。鬼王閣下の妃、魏静蘭殿でしょう?」


「はい、一応」


 目を輝かせた引秋は再び静蘭の手を取り、握ると握手をするように上下に振り回した。


「やっぱり美人さんだね!彼奴が羨ましいや」


 この楽観的な性格というか話し方はどこか黎月を彷彿とさせる。間違いない、彼も黎月属性だ。もしこの場に黎月が居合わせていたら意気投合しているかもしれない。いや、黒花状元の親友という事は既に顔を合わせている可能性もある。

 そう考えていた時、また後ろから声がして驚いて肩を上げた。


「お前、ここが何処だか分かっているのか」


「分かっているから来たんだよ、今日はお前じゃなくて静蘭殿が目的だからな」


「失せろ、静蘭はお前に用は無い」


「そりゃそうだろうけどさぁ。お前に嫁が来たって聞いて気になったんじゃないか」


 二人のやり取りを聞いていれば、確かに親友のようだ。黒花状元はまあまあ酷な事を言っているが、引秋はそれを見事に受け流している。まるで慣れた会話のようだ。


「鬼王閣下にもこの様なご友人がいらしたのですね」


「友人じゃない」


「酷いな!親友だろう?」


 黒花状元は引秋の言葉にどこか呆れたような、面倒臭くなったような表情を浮かべた。初めて見る黒花状元の表情に少し笑みが零れる。


「わぁ、笑った顔はもっと綺麗だ!」

「うるさい見るな」

「何、独占欲が酷いと嫌われるよ?」

「帰れ」


 果たしてこれは会話が成立していると言えるのか分からないが、仲が良いのは間違いない。黒花状元が静蘭の肩を抱き寄せる。


「まあまあ、そんな酷い事言わないでよ。今日は挨拶に来ただけだからそんなに長居するつもりも無いしね」


 こんな調子だが、黒花状元の親友という事は鬼なのだろう、それもただの鬼じゃなさそうだ。

 鬼界に来て分かった事なのだが、ただの人間の静蘭でも黒花状元が鬼の中で別格、そして黎月や恐らく権玉もそこら辺の鬼と違う強者だと感じ取れる。そして今目の前にいる沈引秋もだ。

 引秋は黒花状元の胸元で縮こまっている……というより縮こませられている静蘭の方に視線を向けると微笑んで言った。


「んじゃ、言われた通り帰りますよ。静蘭殿、また今度水府に遊びに来るといい」


「行かせるものか」


「はぁ……束縛が激しいと嫌われるから程々にしろよ?」


 それだけ言うと彼は飛び込んだ。


 何処にだって?池の中にだ!

 今の光景に一瞬驚いて声も出なかったものの、我に返り池を覗き込もうとする。


「おい、池には骨魚がいる。そう簡単に覗き込むな」


「い、今……引秋殿が、み、水の中に……?!」


 別れの言葉を言った後、迷うこと無くすぐに池に飛び込んだのだ。先程引秋も黒花状元もこの池には骨魚がいるから危ないと言っていたが、それならば引秋の行動は何だ?死にたいのだろうか?!いや、骨灰が無いから死ねずただただ苦しい思いをするだけではないか。


「気にするな、彼奴は海域・水域の鬼王だ。」


 黒花状元が説明するには、陸の鬼王は黒花状元(本人はそのつもりは無かったが、勝手にそういう事になっている)、海・水域の鬼王は先程の沈引秋らしい。その為引秋は天趣城に訪れる際、必ず城内の至る水場から姿を現すという。


「一番気持ち悪かったのは俺の寝室の水瓶から出て来た時だ」


「沈引秋殿は愉快な方ですね」


 何気無くそう言ったつもり静蘭だが、黒花状元の表情が引き攣っていた。何か失言でもしただろうか、おろおろしていると不機嫌そうな、納得いっていないような声色で黒花状元が言葉を発した。


「彼奴を名前で呼ぶな」


「嫌でしたか?親友ですもんね、敬意を示して呼んだ方がいいですか?」


 しかし鬼王閣下というのは黒花状元を呼ぶ時に使っているし、名前以外何も知らないため何と呼んでいいか分からない。彼が帰る前に聞いておくべきだったか。

 そもそも引秋の通り名は何なのだろうか。逆に黒花状元の本名は知らない。仮にも夫婦だというのに何事だろうか。


「しかし私は彼の通り名は知りません。鬼王閣下は貴方をお呼びする時に使用していますし、一体何と呼べばいいのでしょう」


「ならば俺も通り名では無く名前で呼べばいい」


 そう言えば静蘭は黒花状元の本名を知らなかった。黒花状元というのは彼の通り名であり、黒衣を着て、花畑に聳え立つ城に住んでいる事から黒花と言われているらしい。状元は……どこから来たのかよく分からない。静蘭が物心つく前から存在していた様だし、恐らく何百年も前からそう呼ばれて来たのだろう。もしかしたら黒花も本当の意味は違うのかもしれない。

 何度か本名が気になった事はあったが、聞くのを躊躇っていた。鬼は本名を隠したがる者が多いらしい。本名が知られて、まだ存命している一族や身の回りの者達への被害を恐れる者が多いからだ。その他にも出自や生前の身分をを知られるのを嫌がる者が多いため、大体の鬼は通り名を使うとか。

 それに黒花状元は謎が多い。きっとそう言った類は知られたくないだろうと考えたのだ。


「本名、教えていただけるのですか?」

「ああ。その代わり名で呼べ」


 何だか信用されたような気がして嬉しくなった静蘭は間髪入れずに問い質した。


「では本名は何ですか?」

霊玄リンシュエン


 目をじっと見つめてただ名前だけを言う。

 霊玄…… 瀟洒しょうしゃな彼にぴったりの名だと思った。

「霊玄様、良い名前ですね。貴方にぴったり」


 改めてその名を口にすると、ちょっと気恥しさもあったが、何よりまた一歩彼に近付けたような気がして静蘭は心が高鳴った。

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