三. 睡蓮宮

黒花状元こっかじょうげんの言葉に静蘭ジンランは息を呑む。迫力があり、とても冷たい声だ。自身の実父であった元国主よりも冷酷そうに見える。

 顎を持つ黒花状元の力がだんだん強くなったと思えば、急に手を離された。それどころか不気味な笑みで笑いかけてきたのだ。


「まあいい。お前には価値がある。このまま俺の領域に放置したら三日も経たずに野垂れ死ぬだろうし、かと言って月雨国げつうこくに送り返したとしても死にそうだ。この天趣城てんしゅじょうにて飼ってやろう」


 静蘭も権玉シュエンユーも驚いた。静蘭に至っては元より門前払いされ国に返されると思っていたものだから、ここに置かれるという事は想像すらしていなかったのだ。

 静蘭でさえどう反応して良いのかわからず、沈黙していたのに先に口を開いたのは以外にも権玉だった。


「お言葉ですが鬼王様、少なくとも天趣城では人間を良く思っていない者も多くいます。ここに置いておくにしても城内は危険かと」


 ここに来てから感じていた事でもあるが、城内……いや、鬼界に入ってから鬼達が静蘭に向ける視線はどちらかと言うと冷たいものが多い。

 何故なのかは人間である静蘭にはよく分からないが、権玉の言い方からして普通鬼は人間を嫌うようだ。


「俺の愛人だか妻だか言っておけば誰も手出し出来まい。丁度良く花嫁の格好をしているしな。それに護衛を付ければ問題無いだろう」


「しかしその護衛を誰が受け入れてくれるというのです?」


 あの黒花状元を相手に口答え出来るとは、権玉は余程肝が据わっているのか、または黒花状元から信頼されているのだろう。


「それも問題無い、黎月リーユエに任せる」


 静蘭はぎょっとした。黎月とは先程まで一緒にいた黎月の事だろう。あの活発な性格は静蘭とは正反対であり、静蘭からしたら少々苦手な部類の人間……鬼だった。


 どちらかと言えば黎月のような活発な者よりも権玉のような必要以上に詮索せず介入もして来ない権玉のような大人しい者の方が合っている。

 ……が、そんな事言えるはずも無いため素直に従う他無い。


「して、その黎月はどこにいる?」


「先程までは一緒にいたのですが……あの自由な性格故また途中でどこかへ行ってしまったのかと。」


「またか……」


 黒花状元は眉間に手を当て、頭を悩ませているようだ。鬼王を悩ませるなんて一体黎月は何者なのだろうか。というかそんな者を利用価値があると見込み、生かして城に置いておく事にした静蘭の護衛を任せて本当に大丈夫なのか?


「ご安心を、黎月はああ見えてかなりの実力者なのです。ただこう……ちょっと自由人というか破天荒というか」


 ちょっとどころでは無いだろう。思わず言いたくなったが、言葉が出そうな所で飲み込む。


「いい、後宮に連れて行け」

「本当に妃として迎えるおつもりですか?」

「形だけだ」


 愛なんて傍から期待しちゃいない。そもそも黒花状元が男色家だなんて聞いた事がないし、自分が男だとばれる事は避けた方が良さそうだ。愛どころか関心すら無い方が好都合。

 ただ月雨国を何とかするまでは生きておこう。静蘭には新しい目標が出来た。

 

 * * * * * * * *


 天趣城の一番奥には下界と同じく王が妻を囲う後宮という場所がある。


「いやぁー、まさか鬼王様が送られてきた生贄を殺さず娶るとは!先程までのご無礼をお許しくださいね、鬼王妃きおうひ様!」


 あれから黒花状元によって後宮に連れて行くように言われた権玉は城中を探し回ってようやく黎月を連れて来た。どうやら城の厨房で仲の良い料理人に甘味を作らせ食べていたらしい。本当に自由人だ。

 というか調子者だ。墓道門ぼどうもんと呼ばれるあの墓場で会った時は顔が欲しいだの収集品の一部にしたいだの言っていたのに、生贄から仮とは言え鬼王の妻となった静蘭に掌を返したように敬語を使ったり鬼王妃と呼んで来る。


 しかしここは後宮だと言うのに静かだ。建物は華やかで外装も内装も隅々まで手入れが行き渡っていてとても綺麗なのだが、先程から数人の女官を目にしただけで他の妃と思われるような格好の女は見ていない。


「他の妃達は?」

「いませんけど?」

「いないって?」


 確かに黒花状元に妃がいるとか女がいるとか聞いた事は無かった。だが後宮なんて用意されているものだからてっきりいるのかと思っていた。


「今までちょっと力のある鬼とか、鬼王様の力を恐れた天界から女が送られて来る事はあっても一人も娶った事は無いんですよ。おかげで鬼王様は男色家なんじゃ?って噂も昔に一時流れてて。あ、そう言えばその噂を流した張本人と思われる神仙二名をわざわざ信徒に見せつけるように下界で徹底的に叩きのめして、結果信徒を全て失った二名の神仙を失脚させた事もあるんです」


 そんな話が聞こえるような距離に誰もいないのにわざわざ耳打ちするように黎月がそう言ってきた。


「いやぁー、あの時の鬼王様は流石に怖かったなぁ!城の空気も冷めきっていたし」


 その話を聞いて静蘭は自分が男だという事は絶対にばれないようにしよう、と再度心に決めたのだった。

 というか神仙二人を徹底的に叩きのめすとは。何百年前の話かは知らないが、下界にそんな話は伝わっていない。天帝が必死に揉み消したのだろうか。鬼界に来て話を聴けば聞く程黒花状元は恐ろしく感じられる。

 神仙を叩きのめすというのは分かっての通り簡単な話じゃない。何しろ相手は神だ、例え武神でなくとも強いに決まっている。普通の鬼が手出し出来るような相手じゃない。

 まあそもそも黒花状元は鬼王であり普通の鬼では無いのだが、それにしてもだ。


 天界も黒花状元の顔色を気にしている、というのは本当の様。


「ですから鬼王妃様、貴方がこの後宮の初めての主人なんですよ!」


「いや、主人はあくまでも城主である鬼王閣下な気が……」


 先程までの態度は少し気になるものの、黎月を味方に付けて悪い事は無さそうだ。強いらしいし、鬼王も自由奔放な彼女を罰したりしていないようだし。何かあった時に頼りになりそう。


 やがて後宮の中心にある、一際華やかで豪華な建物に通された。


「ここが鬼王妃様の宮、睡蓮宮すいれんぐうです!」


 名前の通り周りは池に囲まれていて、綺麗な睡蓮が咲いている。こんな素敵な場所に捕虜も同然である自分が居座っていいものかと少々躊躇った。


「お付の侍女はー、えーっと……何人欲しいですか?」


「黎月が護衛なんでしょう?なら黎月一人で充分。下界にいた時も湯浴みや着替え等身の回りの事は全て自分でやっていたから」


「へぇ、やっぱり噂通り変わった公主様なんですね。手が掛からないし良いや」


 最後に本音が出ていたが、その言葉の通り思っているならば黎月も世話事には過干渉して来なさそうで安心した。


「だから貴方も護衛だけで充分だからね」

「はぁい」


 後は本当に言った通り自由にさせてくれた。湯浴みの時も外で黎月が見張りをしているだけで中には絶対に入って来ないし、着替えも外で見張りをしてくれているから特に心配は無い。

 ……と思っていたのだが。


「な、何故鬼王閣下がこちらに……?」


 就寝しようと閨に入った時、黒花状元が睡蓮宮を訪ねて来たのだ。形だけの妃であるため閨事なんて心配無いと思っていたのだが、やはり黒花状元も男だ。別に意中の相手出なくても欲の発散位には確かに利用出来るだろう。もしや利用価値とはそういう事なのか?

 黒花状元がここに来るのは計算外で、冷や汗が滴る。


「何だ、夫が夜に妻の元に通うのは普通の事だろう。何を狼狽える。もしや覚悟無く嫁いで来たわけでは無いだろうな」


 そのまさかだ。静蘭はそもそも運良く鬼界に来れるとも、黒花状元の配下に保護される事も、そして黒花状元に娶られる事も何もかも想定外だったのだ。そして鬼王が夜に睡蓮宮を訪ねて来る事も。


「いや、あの、まあそうなんですけど……」


 自分も4尺6寸4分(175cm程)と女性の中では勿論背は高く、男性の中でも決して低い方では無いのに随分と見上げなければ黒花状元の顔は見えない。もしかすると5尺0寸3分(190cm程)あるのではないだろうか。


 そして先程は頭がいっぱいで気が付かなかったが、黒花状元はかなりの美形だ。自分がまだ公主だった頃、他国からの献上品として黒花状元を描いたという絵を貰った事はあるが、鬼王と聞いて思い浮かべる姿に相応しくそれは恐ろしく描かれていた。なのに目の前の黒花状元はどうだ、今まで見た事無い位に顔が良いではないか。

 キリッとした眉や目にハッキリとした目鼻立ち。男性的な美しさのある顔立ちは誰が見ても正真正銘の美男だ。妃はいた事が無いと言っていたが、こんなに美男で強く、立場も鬼王とあらば鬼の女、そして仙女であっても放ってはおかないだろう。


 確かに男色家と言われても仕方が無い気がする。


「何をじっと見ている。無礼だぞ」

「ああ、すみません」


 つい夢中になって見つめてしまっていた。自分の顔が美しいという自負はあるし、後宮も美男美女揃いであった為目が肥えているという自信もある。それにしても、黒花状元と同じ男の静蘭が見蕩れてしまう程綺麗な顔だった。

 しかし今思ったのだが、黒花状元の顔をじっと見つめるなど何と命知らずな行為なのだろうか。その場で首を切り落とされてもおかしくは無い。

 顔を青ざめさせていると、不意に黒花状元が静蘭を寝台に押し倒す。


「き、鬼王閣下……?」

「夫婦が閨でする事なんて一つしか無いだろう?」


 これは不味い、どう乗り切ろうか。そう考え始めた時には既に遅く、黒花状元は静蘭の中衣ちゅうい(寝間着)に手を掛けていた。


「ちょっと待ってください!」

「さっきから何だ?俺の手を止めるとはお前は本当に命知らずだな」


 黒花状元のそんな言葉は今は静蘭には届いていない。今の静蘭はこの状況をどう乗り切るかで頭がいっぱいなのだから。

 先程絶対に男だという事が知られてはいけないと心に決めたばかりなのに、もう知られてしまいそうではないか。


 いっその事全て打ち明けるか?素直に打ち明ければ許してくれるかもしれない、こちらだって別に騙したかった訳では無いのだ。打ち明ける機を失ってしまっただけであって……と心の中で言い訳をする。


「何も言わないなら続ける」


 再び中衣に手をかけた時にとうとう静蘭の口から言葉が飛び出た。


「私は男なのです……!」


 どの位だろうか、暫くの沈黙が流れる。心の中ではやってしまったと自分を責め立てた。


 終わった、自国を救う事無く今から黒花状元に首を落とされるのを確信して下を向き、ぎゅっと目を瞑った。

 しかし一向に首は落とされない。不思議に思い、恐る恐る顔を上げると黒花状元は静蘭に背を向けて肩を震わせていた。

 それ程までに屈辱的で許し難い事だったのだろうか。これでは首を落とすだけじゃ足りずに拷問が先かもしれない。


「申し訳ございませんでした!決して騙すつもり等無く、ただ申し上げる機会を失っていただけで……」


 直ぐに背を向けた黒花状元の正面へ行き、頭を垂れる。しかし黒花状元は何の反応も見せない。

 また恐る恐る視線だけを上げると、何と黒花状元は怒りに震えていたのではなく笑いを堪えて震えていたのだ。

 その光景に唖然とし、ぽかんとしていると黒花状元が口を開いた。


「そんなに真剣に言わずともそんな事くらい分かっている。逆に気付かれていないとでも思っていたのか」


 おかしい。逆に何故知っている?


 元月雨国公主の魏静蘭が生きているという事は国師一族の者は知っているため、何処かで漏れたり黒花状元の耳に入っていたりしてもまだ納得出来た。


 しかし自分が男であるというのは自分と実母、そして数人の侍女のみが知っている事だ。しかも自分以外は既に死人であり、実母は静蘭を一番に考え、とても大事にしていたためその秘密を外部に洩らすような事は何があっても絶対にしないと言い切れる。侍女だって自分が生まれる前どころか母が入宮する前からの母の側近で、この国と言うよりも母に忠誠を誓っているようなものだった。それは勿論息子である静蘭にも同じく固い忠誠心を持っており、秘密について口を開くとは考えられない。


「何故その事を?一体何時から知っていたのです?」


 すると黒花状元は口元を少し緩ませて答えた。


「俺は以前お前に会った事がある」


 それはおかしい、静蘭は心の中で再びそう思った。正直これ程の美男であれば一度見かけたら忘れられないと思うのだが。記憶にはそんなもの無いし、黒花状元の話だって噂話で聞いた程度で、地下牢に幽閉される前に月雨国に黒花状元が現れたなんて話も聞いた事が無い。


「人違いではありませんか?正直に申し上げると、閣下のご尊顔を一度見たら忘れる事は無いと思うのですが……」


本相ほんそう(本当の姿)でお前の前に姿を現したのは今日が初めてだ」


 忘れていた。神通力が多い神仙は仮相かそう(仮の姿)を創り出す事が出来る。今までは知らなかったが、権玉も縮地の術を使っていた事から鬼にも神通力がある、若しくは神通力に似た何かで同じような事が出来るのだろう。

 だとすると今この美しい姿も仮相なのかもしれない。

 そう考える静蘭の意思を読み取ったのか、黒花状元が口を開く。


「この姿は正真正銘の本相だ」


「そうですか。しかし一体何処で会ったことがあると言うのです?私は数える程しか皇宮の外に出た事はありません」


商隊キャラバンとして後宮に入り込んだ時、市場にお前もいた」


 そう言われてみれば商隊が後宮に来た時は珍しく静蘭もよく顔を出していた。数年に一度、商隊が後宮へ来て数日間商売をする。その期間だけは後宮も商隊の男のみ男の出入りが国主により許可されていた。出入り出来るのは昼間だけで、夜は当然後宮には出入り出来ないが。


 ほぼ後宮を出られない女達からすると商隊と言うのはとても気晴らしになり珍しい物で、後宮の市場がとても賑わう。静蘭も例外では無かった。

 成程、その時に人間の仮相で商隊に紛れ込んでいたのなら確かに顔を合わせていたのかもしれない。


「しかしそれが何なのです?会った事があると言っても公主としてお会いした事があるだけで、私の秘密を知る理由にはなりません」


「簡単だ。女は男より陰の気が強い。女だらけの後宮の中で陰の気が少ないお前は異質な存在だった。しかも宦官では無く公主の格好をし、公主様と呼ばれていたからな」


 そうだったのか。また新しい事を一つ知る事が出来た。

 しかし鬼がその陰の気とやらを感じ取る事が出来るのであれば、鬼界に来た時から自分が男だという事は周りの鬼達に気付かれていたのでは無いだろうか。

 そうとも知らずまるで女のように振る舞い、というか元より女として育ったため振る舞いは染み付いてしまっているのだが、とにかく恥ずかしい事をしていたのでは?

 男があんな花嫁衣裳を着るなんてどう思われただろうか。

 羞恥心やら色んな気持ちが相混ざり、一気に顔を赤らめる。

 黒花状元は人の心を読み取れるのだろうか、またしても静蘭の心情を読み取った。


「俺以外は気が付いていないだろう。限られた高位の鬼以外は陰の気を察知して判別する事は難しい。権玉や黎月ですら気が付いていないだろう」


 静蘭は胸を撫で下ろしたものの、黒花状元が知っているなら別にわざわざ隠す必要も無い。


「そうなのですか。しかし別に隠すつもりもありませんでしたし、気付かれていたとしても構いません」


 ここに来て気が付いたのだが、黒花状元と普通に会話をしている。しかも先程とは雰囲気が少し違い、柔らかくなった気がするのだ。


「何をしている、早くこちらに来い」


 いつの間には黒花状元は寝台に横になっていて、自身の隣を叩いてそう言った。

 まさか一緒に寝るつもりなのか?男色家では無いのだろう、なら何故?

 恐ろしくは無くなったが、謎が多くなってしまった。黒花状元は一体何を考えている?

 そう思いつつも、今日一日に起きた事があまりにも多すぎて疲労困憊だ。眠気に負け、大人しく黒花状元の隣に横になり目を閉じた。

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