まるで幼子の描いた星空みたいに
13
「みさごさあ、今回のマガイアはどれくらいヤバいのさ?」
「うん?」
「言ってたぜ、ヨモコさんが。いつもお前は戦ってるって。」
俺とみさごは、教会からの帰路を並んで歩いている。ミサゴにとっては往路だが。例のごとく無言のままダラダラ歩くことになる前に、俺は先手を打って会話を振っていた。
「俺は、マガイアってのをそもそも見たことがなかった。あのカラスが無秩序すぎて危険なのは、一目見て充分分かる。でも、みさごは日常的に戦っているマガイアの内の、一事件に過ぎないじゃないか。だから、他と比べてどうなのかなって。」
「うん、……そうだな。」
物憂げに、少女は虚空を見た。舗装された歩道を軽快に歩く。
「……未知数かな。だって、魔女は全然本気を出しちゃあいない。」
「あー……、やっぱり?」
「もっと、分かりやすいヤツ、だったら良かったんですけどね。」
信号が点滅した。付け根の錆びた歩行者信号。俺は足を止めたが、彼女は急ぎ足で渡り抜けようとする。俺も釣られて、つい渡ってしまう。自動車はじっと俺たちを前に止まっていた。
「カラスのマガイア。うん。戦ってみて、でも戦った感触がないんだ。だから、追い詰めかねている。ずっと使役主が、表に出てこないんだ。戦って勝つことより、逃げるのを追いかける方が難しい。表にマガイアを張らせて、私の相手をさせながら、何の目的を果たしたのか、本丸はずらかる。だから空振り続き。まるで影を相手にしているみたいに。」
「分かりやすいヤツ、ね。そういうのが戦いやすいの?」
「う〜〜ん……、どうだろう。」
面倒臭そうに、みさごは目を細めてみせた。歩調が思考によって緩められる。
みさごは、言葉を引き出しから正しく取り出そうと宙を見ている。俺も前に目を戻す。街路樹には緑のイチョウが立ち並んでいる。
さざめく葉擦れの音。今日は、珍しく風が吹いている。ここ数日、街の天気は砂漠のような虚無的な晴れが続いていた。乾いた砂埃が、徘徊する見えない力に舞い上げられる。風が生まれる原因は、上空の気圧差だ。長きにわたり、お預けされていた雨がやってくる。雨の前兆である。前兆が、じわりじわりと、俺達二人の間をすり抜けていく。
「……なあ、ササル。」
遠くから救急車の音が聞こえた。
「マガイアって何だと思う。」
「……いや、それを俺に教えたのはお前だよ。それが全てで、お前以上の知見なんか持っちゃいない。」
「あ、そ、そか。」
彼女は再び歩調を戻し、後ろに着いてくる。乾ききった街の体内を歩く。
「奇跡は奇跡。魔法は魔法。マガイアは魔法ってさ。」
「…………。そう、だな。」
夏の昼下がり。穏やかに雲が流れていて、風流だ。
これであと、このうだる様な日差しが引いてくれれば、ずっとよかったんだがな。
…………。
「それで?何が言いたい。」
「……。魔法は。ううん。私が言いたいのは、それを踏まえた上で、マガイアと魔法とは何か、ということなんだ。それは、とても醜く、ゴミゴミとしていて、それで。」
また、救急車の音。熱中症に倒れる人も珍しくない。防災放送に、ブロードキャストに、あちらこちらで注意喚起されている。
「……そうして簡単に人は惑わされる、そう思いながら私は戦っている。
マガイア。魔法という異能力が、可視化されたもの。形を伴ったもの。じゃあ、魔法は何かといえば、それは人の『欲』から生まれてくる。
普通、何かを達成するとき、みんな因果関係をきちんと踏んでいる。私たちが生きていく上で、意志や過程、ある時は運という要素も、導き出された結果に釣り合っている。分かる?そう。魔法は、因果関係から逸脱して、結果を操作しようとする企みなんだよ。
誰かを惚れさせたいとか、誰かを殺めたいとか。呪いだってそうだな。
マガイア、それは魔女、使役主の欲望。つまりさ。元を辿れば、
マガイアは『人』なんだ。悲しいね。
人が持つ力の面倒臭さがマガイアの面倒臭さであり、人が持つ分かりやすさもまた、マガイアの分かりやすさなんだよ。
それは本来、人が持ち得るには間違った力なんだ。
私は、力を持たない。私のお預かりしている奇跡は、いつだって神様のものであって、一度も私のものであったことはない。これからもないはず。私が戦っているのは、ああ見えて、神様によるはたらきが、上手く相手に向くように誘っているだけ。
……。
魔法は、マガイアは、誰かの底知れぬ欲が肉付けされて、襲いかかってくる。だから、マガイアだけを光に当てても意味がない。それは根本の解決にならないんだ。本体である魔女を狩らなければならない。私たちは、その時初めて勝利を手にするの。」
俺は黙って話を聞いていた。もうすぐそこに、俺の住むマンションがある。公園にはチビッ子がたむろって、元気にチャンバラをやっていた。俺にも遊びたい盛りの時期があったはずだった。暑さに負けず、楽しそうに遊んでいる。それは病体となって救急車で運ばれていく大人達と、微妙なコントラストになっていて、笑えた。
「普通は、大きすぎる欲望や複雑すぎる欲望を抱く前に、転んで怪我をする。挫折。でも挫折するより先に、マガイアに化けるまで、急峻な動き方をする醜悪な欲望がある。私にもあり得ないとは思われるけど、欲望が一気に膨らんで、コントロールが利かなくなったマガイアは実際にいる。苛烈で病的な欲望。厄介で関わりたくないけど、それでも戦う、というのが、奇跡少女に宿命付けられている。
……で、それらのマガイアと、カラスのマガイアが一番異なるところはどこか。それは、『逃げ仰せていること』そのもの。これくらい探して見当たらないこと、そうそうない。つまり、敵の立ち回りが魔女狩りに慣れているのかも知れない、そう思うんだ。」
「案外近くにいるかもよ?マガイア――」
バチィッ!と、左から音がした。何かが張り裂けるような音。
中二ヶ原みさごが、ワープしていた。火バサミが黒い化け物の爪を受け止めていた。どす黒い影のような、何かよく分からない巨大な生き物が、見ていたのはこの俺だ。
「ウッソ……。」
「モタモタしないで!距離を取らないとオワるよ!」
そうは言っても、咄嗟のことすぎて体が上手く動かない。よくあんなのに応戦したな、みさごは!しかも、すかさず剣道の突きのように、トングを力任せにマガイアにぶち込む。片腕で防ぎながらも、四足歩行らしきそのマガイアを、公園の内側に弾き飛ばした。
「早く!入り口でなく!囲ってるフェンスの辺でなく!角!角ごしに!」
俺はナヨついた情けない走りで、公園の角に移動する。モミの木みたいな並木が生えていて、倒れるようにしゃがみ込む。対してみさごは勇敢にも公園の中に入りつつ、カチカチと火バサミを打ち鳴らしながら、俺の対辺側へ回った。みさごに引きつけられたマガイアは、必然的に俺に背を向けている。
「これ、何を模してんだ……。コワイ。」
「アァン!?俺の可愛い可愛いハクビシンちゃんに文句あんのかァ!?リア充よぉ!」
フェンス越しに、公園内側から禿げ上がった汚いオッサンが怒鳴ってきた。
「まさか、アンタのか?」
「そーうだよ!ガキは昼間っからうるせぇし、バカップルはクソみてぇにイチャイチャしやがるしよお!ちっくしょうめ!当てつけのつもりかゴラァ!
全部全部、力で片付けるんだよ!無様に、へっぴり腰しながら、その場で待っていやがれ!あの姉ちゃんをヤッて、ガキ共をぶちしばいたら、次はお前だ!」
うーわ、強烈だ。しかも酒くせぇ。こいつの言うガキ共ってのは、公園で騒いでいたやつらだろう。
……しかしバカップルとは?
「うええええぇぇん!コワイよお!」
「君ら、立てる?」
チャンバラキッズらが、園内でうずくまっている。みさごが入っていった口とは逆に、向こうからも出ていくことができればベストだが、ガキ共も腰が抜けているようだ。こんな怖いハクビシンなんて見ないから、無理もない。大型バイクよりデカい。
またマガイアが飛びかかった。今度はバネのように力を込めて、真正面からみさごに喰らいかかる。さすがに力負けすると思ったのだろう。みさごは左に転がりながら火バサミで受け流し、何とか一撃を躱す。が、そこは動物のマガイア。一発を外しても、すぐに容赦なく前足で追撃を迫る。
ドン、と音が聞こえた。これは紛れもない、彼女が強打を受けた音だ。変身もできず、生身で攻撃を受けた。ギョッとして俺は立ち上がる。華奢な、木片のような女の子の姿が倒れているのが見えた。
「お、お、うおおおおお!?」
突如、空から火球が弾けた。緑の火球が、真っ直ぐに、ミサイルのように、黒いハクビシンに突き刺さった。
グギギャアアアア!!!!と、黒い化け物は叫び声を上げた。
子供たちも、それに近しい金切り声を上げる。
地面が小爆発する。炎攻撃による煙か、土煙か、何か分からないものが轟音と共に公園一帯に散らばる。地面が、揺れる。ひっくり返るハクビシンと、再び滞空する、小さなウグイス。
聖ヴィッテンベルグが、煌々と輝いている。
「ああ、うるせえええええ!!うるせえええ!騒がしいんだよ!とびきりうるせえぞ!」
「おい、オッサン!アンタが半分やったんだよ!」
「アアン?知らねえよ!」
「いや、知っとけ!」
こうなっちゃあ、誰かが警察を呼ぶのも時間の問題だった。みさごが、むくっ、と立ち上がった。俺はドキリとして、彼女を注視する。まさか、屍体が起き上がったんじゃないだろうな、そう思って。
「ゲホッゲホッ……!〜〜〜!ああ!変身したいんだけどな!」
「「章句がなければ権威を呼び寄せることはできない。」」
「分かってますよ!くッ。あのジジイ。」
可哀想に、緑のワンピースは土だらけで、黒の七分丈のレギンスはヨレヨレだ。でも、ハネまくった黄色い長髪と、クマに覆われたその眼力だけは、他の何者でもない彼女自身であることを雄弁に語った。
「戦いのために、身を変え、権威を授かります。それは、何者かが、『横暴』を求めるが故に、損なわれる人間性が在るからです。」
砂にやられて、みさごは目をしぱしぱさせている。そんな奇跡少女が、戦う為の光に包まれる。あの時見た、強い黄色の光。
青空の熱い風も、雨雲に先行する湿った風も、揺れ落ちた木の葉も、全てが流れの中に取り込まれる。強力なはたらきが、彼女に集中していく。そして、手に持った火バサミが発光し、鋭く、巨大化し、武器となる。
「彼に『節制』をお与え下さい。」
奇跡少女が、目を開ける。
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